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「よし! いいだろう! 百歩ゆずってこの黒色直方体が食い物だと仮定しよう!」
「ぼくが無茶な理論を押し通そうとしているみたいにいわないでよね。データ上はそうなっているの。オレのせいじゃないぞ。データはウソつかないし」
「砂漠のど真ん中に干からびもせずみずみずしい『水ようかん』がありました、なんていわれて、だれが信じるっつうんだ!」
「信じる信じないの問題じゃないもん。オレたちの仕事は検体の解析だ。既成概念なんてどうだっていいんだよ。どうして砂漠にみずみずしい『水ようかん』があっちゃいけないのさ」
 ああもう腹が立つ、話が進まんだろうが! とタフはダブルの首を締め上げようとした。そこをダブルは両手に注射器を持って威嚇する。タフも注射を打たれまいと両手を構えた。
「前にもいったがこの検体はな! ほぼ同時刻に世界各地で一斉に発生したんだ! 世界各地で一斉に雹が降ったとかそういうレベルの話なんだ。突然コロンと出現をした。オレもこの目で見た! それが『水ようかん』だなんてそんなバカな話があるか! 1個や2個じゃない。2万個だぞ!」
「6225地点だっけ? 6225人のテロリストが一斉に『水ようかん』を設置したバイオテロです、って話よりはまともな話だと思うけどね」
「バイオテロ? いいじゃないか。そっちのほうがよっぽど信憑性がある」
「さっき自分で『この目で見た!』っていったじゃん! そこにテロリストがいたの?」
「お、オレが気づかなかっただけかもしれん」
「そこまでバカなの!」
「失敬な!」
 タフが再びダブルに飛びかかり、ダブルはらせん階段脇の手すりに飛び乗った。両手に注射器を持って姿勢を低くする。
「ひょっとするとRWMに対する嫌がらせかもしれん。こういう事態はRWMが対処するのが通例だからな」
「6225地点で2万個も一斉に? どんだけの手間。しかもいまなお発生しているんだぞ。嫌がらせなわけないじゃん」
「なら地球外生命体のしわざっていうのはどうだ! それならこのわけのわからない事態も一気に解決だ!」
「お前の頭が解決しろ!」  ダブルはタフに向かって鎮静剤の注射器を手裏剣のごとく投げつけた。タフは顔を守ろうとして腕を出す。その腕に注射器はぶすりと刺さった。へなへなとタフはらせん階段の前で膝を折る。
「あのさ。現実逃避したい気持ちもわかるしオレだって宇宙人なんていない、とはいいきらんがな。少なくともあの黒色直方体は『水ようかん』なんだよ。データがそう語っているの。そこんとこはぼくのせいでもなんでもなく事実なの。ちゃんと認めてくれないかな」
 ダブルはタフの前に、とう、と飛び降りる。体育すわりをしてダブルはタフの頭をぐりぐりと押した。
「そうじゃないと話がまったく進まないじゃんか。なんだってこんな単純な事柄にいつまでも固執しやがるんだ。迷惑極まりないよ」
 タフはその場でごろごろと転がり始めた。頭を抱えて、うおお、と低い声を発している。受け入れがたい事実に奮闘しているようだ。白衣が床にこびりついた試薬で汚れるのもいとわないらしい。どんな危ない薬品がこびりついているともしれないのに、哀れなヤツ、とダブルは首を振る。さらにはらせん階段の手すりに頭をごんごんと打ち付けている。
 額から血を流しつつ、「だってよ!」とタフは身体を起こした。……この男、鎮静剤の効果を薄れさせるためにのたうちまわっていたのか。むちゃくちゃだねえ。リペア部員のやることはわからんな。リペア部員でひとくくりにしちゃほかのリペア部員に怒られちゃうだろうけどね。
「ありえねえだろうよ! 世界各国6225地点で2万個体もおなじような黒色直方体がある日突然一斉に出現したんだぞ! それだけで異常事態だ! 異常気象みたいなもんだろ! お前のいうとおり、いまなお増え続けている。どんな天変地異だって、世界中で騒ぎになってんだぞ!」
 それをお前、とタフはなみだ目になる。
「いうにことかいて『水ようかん』だと? いくらデータどおりだといわれても『バカをいうな』としかいえんだろうがよ! 報告書に『水ようかん』だなんて書けるか! 読んだやつらは全員『やりなおせ』と口を揃えるだろうよ!」
「ならさ。なんだったら納得したのさ。まさか測定のやりなおしをしろだなんていわないよね」
「う」
「再測定はやらない。2個や3個じゃない。20個や30個でもない。200個や300個でもないんだよ。2万個体だぞ! どれだけ半端ない測定数だかわかっているのか! 2万個体も測定をして信頼できない測定データなんて存在しないよ」
「だったらオレはどうすりゃいいんだ」
「ありのままを受け入れればいいだけじゃん。ずっとそういっているだろうが」
「『水ようかん』がどうして地球上でぽこぽこぽこぽこと自然発生せにゃならんのだ!」
 エヘヘ、とダブルはようやく気持ちを緩めて笑った。「よおし、いいコだ」とタフの頭を撫でてやりたい心境だ。この瞬間だ。おそらく無意識だろうけれども、タフは持参した検体を『水ようかん』だと認識した。ダブルはにんまりと口を曲げる。
「その解析をリチウムくんが目の下に隈を作って敢行中だよ。2万個体分の測定データの海の中をがむしゃらに泳いでいる感じかな。なにしろヘリウムくんが退院するまでに終わらせる予定だから、文字どおりに敢行なんだよ」
 おお、とタフは初めて解析をしているリチウムに興味深げな目を向けた。そういわれれば、あのなよなよしたヤツが男らしく見えるな、と失礼な独り言までつぶやいている。
 それで、とダブルはタフの前で手を叩く。タフは弾かれたようにダブルを見た。 「いきなり解析結果をいったところで、タフには到底、理解できないだろうから、こうしていま現在ぼくが解説を行おうと試みているところだ、っていう状況をようやく理解してもらえたかな」
 お、おう、とタフはおずおずとうなずいた。
「まあね。タフたちみたいなひとたちにはさ。『水ようかん』じゃなくて溶岩とか鉱石のほうが受け入れやすかっただろうけどねえ。エヘヘ。それだと意外性がないからな。ここは『水ようかん』で正解だろう。そんなバカなことが起きるか、とショック療法にもなるしね。ものの見事にタフはいいリアクションをしてくれたわけだし」
「ん?」
「ショックは大きいほうが説得力が増すっていう話だよ。感覚がマヒするからね。『そんなバカな』という事実を受け入れたあとだと、どんなことが起きても『そんなものか』と思えるでしょ」
「のちのち『なにか』馬鹿でかいことでも起きるっつうのか?」
「おや、意外。物分りがいいじゃんか。起きるっていうか、起きているっていうか。ま。そういうことになる予定なんだろうね」
 ダブルは転送機のほうへ顔を向けた。タフもつられて顔を向ける。『新着検体です』の音声アナウンスが断続的に続いて、ぞくぞくと黒色直方体らしい検体が転送機から吐き出されている。すでにダブルの位置からでは水素の面影は見えなくなっていた。
 さて、とダブルはタフに向き直る。
「問題は『水ようかん』の『水』なんだよ。さっきは聞き流してくれたけど、今度はちゃんと聞いてよね」
「『水』?」
「ヘリウムくんが倒れるほど頑張って出してくれた2万個体の測定データからすると、この『水』が特殊なのさ。このオレでもさすがに驚いたな。そう来るかって感じだね」
「もったいぶるな。なにが問題なんだ」
「構成元素だよ。水を構成しているのは水素と酸素だっていうことくらいは覚えているよね。この『水ようかん』はミネラルウォーターを使ってできている。水素と酸素だけでできているわけじゃない。もっとほかのものも含まれているんだよ。純水とかイオン交換水とかミリQ水とかじゃないんだよ」
 そこでダブルはふと不安になる。タフは純水とかイオン交換水とかミリQ水って知っているよね。待って。それ以前に――。
 ダブルはすとんとキャラメル色の椅子に座った。まじまじとタフを見上げる。
「タフさ。あのさ。天然の水が水素と酸素だけでできているわけじゃないこと知っているよね? ミネラルウォーターっていうくらいだからな。ミネラル、ってわかるよな」
 バカにするのもたいがいにしろよ、とタフはふて腐れてヘリウムの黄緑色の椅子に座る。額からは血がまだどくどくと流れ出ているが気にはならないようだ。つくづく丈夫な男だな、とダブルは感心する。
「ミネラルウォーターっていやあ、硬い水とか柔らかい水とかっていうアレだろ? 美味い蕎麦は柔らかい水で打ったやつだっていうしな。それくらいは知っているぞ」
「それくらいしか知らないんだね。タフがいう柔らかい水っていうのは軟水っていって、カルシウムとマグネシウムとかが少ない水のことなんだよ。硬い水、硬水はたくさん入っている水のことをいう」
「水にカルシウムやらマグネシウムが入っているのか!」
「知らなかったの! なんのための研修期間! いいや、研修以前の問題だろうが!」
「だから! 実戦で役に立たんことは忘れたって言っただろう」
 程度があるよ、とダブルは額に手を当てた。
 あ、やばい。そろそろコイツを相手にしているのも本当に飽きてきた。完璧に限界だ。いますぐ、別の作業がしたくなってきた。新しい試作装置の着手はどうだ。いいねえ。『ポケットティッシュ型記憶転換装置』はどうだ。いいね。でも、やっぱり、だからってここで放り投げるわけにはいかないし。くうう。面倒くさいな。いいじゃないか、放り投げても。いいかな、放り投げても。
 そのとき、再び職人の姿が脳裏に浮かんだ。
 大きな瞳を真っ直ぐに地球へ向けている職人だ。壁に手を着いて一心に地球を眺めている。蝶の髪留めがきらりと光る。ふわふわの長い髪がゆったりと風に揺れている。髪が乱れるのも構わずに職人は瞳を輝かせて地球を眺め続けている。口元はなにかをいいたげで、でもいえなくて、もどかしい、そんな雰囲気だ。
 ううう、とダブルはうなる。ちくしょう。相手が職人じゃなかったら。そしてタフがもう少し知的かつ柔軟な思考力を持っていたら。オレだって根気よく解説しようと思うぞ。こんな一般常識のかたまりなんかじゃ技術開発部員は勤まらないんだよ。
「オレはもともとリペア部員だ」
「だったらヘマなんかしないで。技術開発部に来ないでよ」
「人間なんだからヘマのひとつやふたつはするだろう」
 タフは開き直ってハハハハと笑った。ダブルは面倒になってタフに人差し指を突きつけた。猶予なしで直球をタフに投げつける。
「タフが持って帰ってきた検体の『水ようかん』に使われていた『水』はどう組み合わせても『現在存在しない』ミネラルウォーターなんだよ」
「は」
「地球温暖化とかプチ氷河期とか地球もいろいろあっていろんな変化をたどってきたからねえ。湧き出るミネラルウォーターの質も変わっちゃったってわけ」
「……だから?」
「3世紀は前のミネラルウォーターなんだよ。『水ようかん』に使われていた『水』は3世紀以上前にしか存在しなかった『水』だ。いまの地球に存在するはずがない『水』ってことだね。『ありえない水』なんだよ」

(6 へ続く)
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