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 地球上のあらゆる地域で一斉に2万個体以上もの『水ようかん』が発生をした。
 しかも『水ようかん』に使用してある『水』は3世紀以上前の、現在は存在しないピュアなミネラルウォーターだ。
 かつ『水ようかん』はいまなお発生を続けている。
 さらに『水ようかん』という人間が作り出した菓子であるにもかかわらず、世界各地で発生を続けている『水ようかん』には人間の手が加わった形跡はない。自然発生物だ。
 ただし、発生場所にはひとつの法則があった。規模が広すぎて、ほとんど地球全体に及び、法則と呼ぶのも心もとないくらいだが、この際だ、ないよりましだろう。
 その法則とは、地球環境問題が発生した場所だ。共通点は人間により地球環境がなんらかの害をこうむった場所に限定されていた。すなわち、人間が棲んでいたことのない、古来よりの無人島やら野鳥の王国や、大海のど真ん中といったごくわずかな地点からは『水ようかん』は発生していなかった。南極でも北極でも『水ようかん』は発生していた。多いほどだ。人間が問題を引き起こしているという点からすると当然といえよう。
 このことから、『水ようかん』の発生は人間が関係しているものと思われて――。
「もともと『水ようかん』そのものが人間が作り出した菓子だってんだ!」
 タフが作業台を力強く叩いた。
「しかも世界的に普及している菓子ではなくて、いち地域に限定して流通している和菓子だぞ! こしあんと寒天でできてるんだろう? なんでそんなもんが!」
「思考がループしてるぞ。『なんでそんなことが起きたか』とか『どうしてそれじゃなくちゃいけなかったんだ』とか、どうでもいいじゃん。事実は事実だ。曲げることはできない。そこからなにを見出すのかが問題なんでしょ」
 ダブルは満面の笑みでパネルに指を動かした。まあね。『なんでそんなことが起きたか』ってことを追求するのを生きがいにしている科学者もいるけど。ここはアンノウン係だからな。そうそう。そこで立ち止まると、仕事になんないんだよね。
「やっぱりここは無難に『なんらかのメッセージ』だと受け止めるところから始めるべきだろうねえ。軌道修正はいつでもできるからな。時間もないし。考える前に動け」
「だれからのメッセージだっつうんだ!」
「それもこれから考えるんでしょ。ま。これまた無難に考えると『地球』ってことになるだろうけどね」
「なんで地球が『水ようかん』なんざ自然発生させなきゃならんのだ! そもそも地球がそんなことをするわけがないだろう! 地球は惑星なんだぞ!」
「太陽系第3惑星で、岩石質の地球型惑星に分類されて、形成されてから46億年、惑星の表面に大量の水を保有し、多様な生命体が生存することを特徴としていて、毎秒30キロメートルで太陽の周囲を公転している惑星だ。地殻を構成する元素は酸素、ケイ素、アルミニウム、鉄、カルシウム、ナトリウム、カリウム、マグネシウム。中心部は鉄やニッケルだ。そんなことはぼくだってわかっているよ」
 ぐう、とタフは口をつぐむ。
 それでも地球上の各国で2万個体以上もの『水ようかん』が自然発生しているとなれば、発生させているのは『地球』そのものと考えるのがシンプルな流れだ。
「ありえない! バカバカしいにもほどがある! もっと常識的な解明をやってくれ!」
「信じないのはタフの自由だけどね。ひとの耳元で怒鳴るのをいい加減に止めろ。耳が痛いぞ。いいじゃん。違ったらまた別の方法で解明を始めれば。とにかく始めることが第一だ」
 ほれ、とダブルはプリンターから印刷したばかりの紙をタフに手渡した。
「調べて欲しいもののリスト。口でいってもタフのことだから忘れちゃいそうだもんね。あとでパソコンにメールも送っておくよ」
「……なんだ? 急に積極的になったな。気味が悪い」
 失礼な、とダブルは頬を膨らませる。だれのせいでこんなに話を長引かせなくちゃいけなかったと思っているんだ。タフの物分りが悪いからでしょ。もう。
「それに基本、ぼくは働きものなんだよ」
「しょっちゅう社員カフェへ脱走しているやつの言葉とは思えんな」
 それはそれ、これはこれ、とダブルはタフに渡した紙を指差した。
「いい? 調べて欲しいのは。今なお『水ようかん』が発生しているところにRWMの社員がだれかいないか、ってこと。できれば情報調査部員だといいねえ。どんな状況だかを具体的に知りたいからな」
「オレが送ったデータだけじゃ足りないのか?」
「直接本人に聞いてみたいんだよ」
 ダメだダメだ、とタフは両手を振った。
「技術開発部員と他部署のやつらを接触させられるか」
「非常事態じゃん」
「うちの会社はいつも非常事態だ」
 ダブルは舌打ちをする。タフのくせに至極まっとうな発言を。生意気な。
 ダブルの反応にタフが低い声を出す。
「……お前ら、この前、最終研修中の情報調査部員の新人が社員カフェに来たとき、ひと目見ようと共用通路の扉の前に貼りついていただろう? アレで情報調査部から強烈なクレームが来たらしくて、オレにも厳しく通達されていて――」
「そうそう。そのコを紹介してよ! なんでも音に色がついて見える共感覚があるコなんだって? 大変好都合じゃないか。さっそくそいつを現地へ派遣して『水ようかん』がどんなふうに見えるのか、調査をしてもらってくれ。水素くーん。依頼書をよろしく」
「だ・れ・が・さ・せ・る・かー」
 タフがこぶしをダブルの頭にぐりぐりと当てた。
「他部署と接触するなっといっているだろうが! これ以上クレームが来たら、総務の業務が機能停止するわ!」
 ……しかたがないな。ダブルはうつむいた。タフなんかを相手に、こんな手はそれこそバカバカしくて使いたくはないが。たまにはいいだろう。そうだよね。
 ダブルは胸のうちで咳払いをすると、深呼吸をひとつして、がらりと口調を変えた。背中を丸めてこぶしを手に持って、弱弱しい声を出す。
「ひどい……」
「ん? なんだ? 急に」
「……ぼくたちだってRWMの社員なのにな。おなじ社員なのに。仲間と仲良くしたらダメだなんてあんまりだよ。情報共有はとても大切なことじゃないのかな」
 ダブルのうしひしがれた表情にタフが、そ、それは、とたじろいだ。ここぞとばかり、ダブルはタフに近づいた。瞳を潤ませて、頼るものはタフしかいない、と全身で表す。
「検体がなにかわからないで集めた情報と、わかっていて集める情報とでは雲泥の差があると思うんだよ。少しでいいんだよ。ねえ、お願い。いま何人くらいの社員が検体の収集に当たっているのかな?」
「まあ、うん、それくらいならいいだろう。教えてやる。28人だ」
「いますぐ依頼をかければ28人分の情報は確保できるよね。タフだもん。それくらいちょちょいのちょい、でやっちゃうよね」
「いやいや、簡単にいうな。そいつらだって移動するだろうし、お? なんだ? な、泣くこたねえだろうがよ。オレがいじめたみたいだろうが。そ、そんなに必要な情報なのか? え、えと? 各部署に収集してもらいたい情報は――」
 タフはダブルに手渡された紙を見る。検体を発見した時間帯に、発生時の検体周囲の気温、検体周囲の生命体の検体に対する反応、とタフは読み上げて首を傾げる。
「『検体を発見したときの発見者の体調』? こんな個人的なことが必要なのか? 『検体周囲の自然現象・例・虹など』? これもいるのか?」
 いるんだよ、とダブルはにじり寄る。瞳からあふれる涙の量はタオルでしぼれるほどだ。わ、わかったわかった、とタフはダブルの頭を撫でた。
「すぐにやってやる。いますぐだ。だからもう泣くな。いいな」
 うん、とダブルは鼻をすする。ありがとう、タフ、とタフに抱きつき、ついでにタフの背中へ精力剤を注射した。精力剤の効果だろう。タフはダブルから離れると、じゃあな! と威勢良く立ち上がり、作業台の上に飛び乗って、山積みになった検体も押しのけて、ついでに水素の頭を踏みつけて、ラボから走り出て行った。
「係長―」
 水素が恨みがましい声を上げる。
「その無駄な演技力。どうせならもっと有意義なことに使ってくださいよ」
「なにをいう。これ以上どう有意義に生かせというんだ。少なくとも水素くんは28人分の調査依頼書を作成提出する手間がなくなったんだよ。礼をいってもらいたいものだな」
「手間を作ろうとしていたのはアンタです。勝手に仕事を作って、あげく俺に押し付けようとして、うまくタフに肩代わりさせたのを、さも自分の手柄のようにいわないでください。プラスマイナスでゼロっす」
 へへーんだ、とダブルはキャラメル色の椅子の上で足をばたばたと動かした。指先の装置を使ってタフが散らかしたダブルの作業スペースを片付ける。
 さて、うまく動いてくれるといいんだけどね。タフについては頼んだことだけはやってくれるだろうから心配ないだろうけど。それ以上のことは気が回らないがな。まあ足を引っ張る行為だけはしないだけ、ましだと思おう。
 ダブルは口元にペンの尻を当てて転送機を見る。タフとの数時間のやりとりの間もあきることなく検体を排出している。遠目でもすべて黒色直方体、おそらくはすべて『水ようかん』だと見て取れる。別件の検体が入る余地もない。
「……凄まじい気合だねえ。採取しまくるウチの社員もすごいけど」
 ダブルは無言で携帯電話を白衣から取り出した。相手が相手だから、ここは念には念をだね、とメールを打ちはじめる。
 送信相手はソラだ。
「ソラっちなら、確実にタフよりは気が回るからね。きっと頼んだこと以上の情報を教えてくれるよ。エヘヘ。楽しみ」
 サイクルからすると、ソラはそろそろ月面本社に量産装置の補充に来るころだ。うまくすると、じかに話を聞けるだろう。それまでにぼくができることは、とダブルはパネルに指を走らせる。あれをして、これをして、と書き上げるダブルの脳裏に再び職人の姿が浮かんだ。
 アツアツのほうじ茶を両手につつんで、頬に長い睫の影をおとし、職人は地球を見上げている。あきることなく地球を見上げ続ける。地球の光に照らされて、職人の蝶の髪飾りがきらりと光る。透き通った真っ直ぐな職人の瞳。そういう眼差しを、職人は地球以外に向けることは、ない。

(第4章の1 へ続く)
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