3 「ダブルくんっ」 職人に背中から抱きつかれてダブルは我に返った。 いつの間にかテーブルの上にはマシュマロ入りココアとバナナチョコパンケーキとジャーマンポテトとドイツのアルトビールが並んでいた。 ……無意識に頼んだのかな。オレが頼んだのはマシュマロ入りココアだけだったはずだが。ううん、食べたいって気持ちが言葉になって、カフェスタッフに伝わっていたのかもしれないねえ。 「あたしが頼んだんだよっ」 職人がダブルの隣りに座る。満面の笑みでダブルに顔を向ける。職人の長いふわふわの髪が揺れた。サバンナの草原のようだ。 「ダブルくんが食べたそうだなって思ってっ」 「よくぼくがカフェにいるってわかったねえ」 「ダブルくんにはアタシがつけたGPSがついてるからねっ」 「えっ! いま何かさらりととんでもないことをいわなかった!」 ダブルが職人に向き直るのと、職人の前にみたらし団子とアツアツのほうじ茶が並ぶのが同時だった。職人は「わあっ」と頬に両手を当ててみたらし団子に見入る。 「食べないのっ? 冷めちゃうよっ」 「……ひょっとして職人さあ。アンノウン係のラボの中に盗聴器とか仕掛けた?」 「うんっ。ざっと40個くらい、つけたっ」 「冗談でいったのにマジかよ!」 「嫌だったっ?」 職人は不思議そうにダブルにたずねた。まるで、肩こりで悩んでいる人間の肩をもんだのに迷惑そうな顔をされて不可解だ、みたいな顔つきだ。これはなにをいっても無駄だと、ダブルは瞬時に判断をする。それにしても40個も仕掛けられていたのにまったく気づかなかったとは。オレとしたことがとんだうかつさだ。 「嫌だったっ?」 職人はもう一度たずねる。ダブルはマシュマロ入りココアを口に含む。どうだろう? 意外だな。うん、さほど嫌じゃないねえ。むしろ職人にそこまで独占欲があるとは知らなかったな。いつ盗聴器をつけたんだろうねえ。水素やリチウムがうろうろしているラボに盗聴器を40個もつけるなんて簡単ではなさそうだがな。少し前まではヘリウムくんだっていたし。あいつなら気づかないわけがないだろうしな。測定の邪魔になるからな。 「あ」とダブルはカップを置いた。 「ひょっとすると、それって、職人とソラっちが友だちになったあと?」 「うんっ」 ……なるほど。ヘリウムくんの差し金か。あいつ、淡白そうな顔をしてけっこうどろどろした人間関係がお好みなんじゃないのか。さすが地球のすけこまし野郎だねえ。はあ、やれやれ。 ダブルは横目で職人を見た。職人は頬を赤くしてみたらし団子を頬張っていた。小さな頬がリスのように膨らんでいる。眉が緩く下がっていた。ダブルはマシュマロ入りココアからドイツのアルトビールに切り替えて、そっちがそうなら、とテーブルに頬杖をついた。 「職人さあ。いまでも『ウサギ型催涙弾』の生産は忙しいの?」 「今日も300個体納品したよっ」 「ひとつひとつ職人が最終確認をしているんだっけ」 「もちろんだよっ。『ウサギ型催涙弾』は特に慎重に扱わないといけないからねっ。誤爆とかないように製品の精度には気を使うよっ」 ダブルはぐびりとドイツのアルトビールを飲んだ。『特に慎重に取り扱う』ねえ。 「……職人が全部最終確認をしているのは『ウサギ型催涙弾』だけなのかな?」 「そんなことないよっ。『シロクマ型無効化装置』もそうだし『スイカ型情報収集機』とか『ドロップ型環境変換機』も『ゼリービーンズ型睡眠弾』も大好きだよっ。みんなみんな大切な装置なんだよっ」 頬にみたらしのたれをつけて職人は微笑む。微笑むだけだ。「全部最終確認をしている」とは肯定しなかった。 ダブルはドイツのアルトビールをもうひと口ごくりと飲んだ。 いくら職人がヘリウム並に作業効率を上げられるよう自身に薬物投与していたとしても、それこそ1日平均1万個体の量産装置を生産しているのだ。すべてを職人ひとりで最終確認することは無理だ。一般常識とは異なる技術開発部の常識で考えても無茶だ。 職人が「すべて最終確認をひとりでやっている」と認めた装置は『ウサギ型催涙弾』だけだ。そして『ウサギ型催涙弾』は大人気で、地球上にいる社員のほとんどが装備している装置だった。 「職人は地球が好きだもんねえ。暇さえあればいつも眺めているしな」 「ダブルくんだってさっき見てたねっ。今日の地球も元気そうだよねっ」 「地球のどこが好き?」 職人がみたらし団子を食べる手を止める。きょとんとした眼差しでダブルを見つめた。うっすら口をあけている。小さい口だ。ダブルはフォークにジャーマンポテトを刺すと、職人の顎を指でつかんで、ジャーマンポテトを職人の小さな口に入れた。職人はごく自然にゆっくりと口を動かす。 「美味しいねっ」 ダブルもジャーマンポテトを口に入れる。ベーコンの塩味が利いたほっこりとした食感のポテトだった。ジャーマンポテトをドイツのアルトビールで喉に流し込み、ダブルは職人の顎から手を離す。 「じゃあねえ。ぼくと地球、どっちが好き?」 職人はにっこりと笑うとみたらし団子の串を差し出した。 「今度はアタシがお団子を食べさせてあげるっ。お返しだよっ」 ダブルもおとなしく口を開けた。ダブルの口の中はみたらし団子とジャーマンポテトとドイツのアルトビールとマシュマロ入りココアの入り混じった、なんとも珍妙な味が広がった。 ダブルの問いには答えない――、それが職人の答えだ。職人の優しさで、職人の愛情だった。ぼくも意地悪だったしね。お父さんとお母さん、どっちが好き、みたいな質問は反則だったな。仕事とぼくのどっちかじゃなくてね。オレと地球を選べ、だからな。オレも地球も職人にとっては比較できる対象ではない。職人がどれだけ地球のことを好きなのかわかっていてする質問じゃなかったよね。それでも。うん、それでも。 ――『確認』の必要があった。 ダブルはドイツのアルトビールを飲み干して2杯目を注文した。職人はあられの浮いた汁粉を注文する。 いつしかカフェには人が増えていた。カウンター席の社員はロコモコ定食を頬張っていた。斜め前方のテーブル席の社員はトリプルジェラードアイスクリームを食べている。背後のオープンキッチンからは皿やグラスの触れ合う音が聞こえた。ニンニクを炒める匂いも漂ってくる。 ダブルは黙ったままの職人に手を伸ばした。職人のふわふわの長い髪をゆっくり撫でる。 「よく泣かなかったねえ」 「……アタシ悲しくなかったもんっ」 そうか、とダブルは職人の髪を撫で続ける。職人は目を閉じて、気持ちよさそうに撫でられ続けた。ドイツのアルトビールが来てもダブルはドイツのアルトビールを飲みつつ職人の髪を撫で続けた。職人もあられの浮いた汁粉にふうふうと息を吹きかけ髪を撫でられ続けている。 おそらく、とダブルは思った。職人は気づいている。ダブルがなにかに感づいたことを察している。そしてダブルが謎を解いていくのを楽しみにしているのだ。職人そのものも全貌まではわかっていないのかもしれない。だから余計にダブルが謎を解くのを待っている。これまた職人ひとりがわかっていてはラチがあかない事態だからだろう。 「このあられ、こりこりしていて美味しいよっ」 「ドイツのアルトビールもまろやかな苦味が心地いいよ。職人も飲んでみるか?」 「アタシはビールより日本酒っ。いまは止めておくねっ。仕事中だからっ」 「ぼくも仕事中なんだけどね、って、仕事中じゃないときなんてぼくたちにないじゃん」 アハハそっかーっ、と職人が明るく笑った。ならば飲もうかな、とはいわない。警戒しているのだ。14年のつきあいだ。間の取り方ひとつで相手の気持ちはわかる。職人はいまはこれ以上気を緩められないようだ。ダブルの謎解きがうまくいくためには、職人はボロは出しすぎないほうがいいらしい。 見え見えなんだけどな。いいじゃないか、見え見えなのは職人も自覚しているだろうさ。そうだね。 「ところで職人、ぼくにつけたGPS機能を取ってくれないかな。盗聴器ならまだしも、監視のしすぎだ。ストーカーだよ」 「いいじゃんっ。やましいことがないなら問題ないでしょっ」 「気持ちの問題なの。いいから早く取って。どこにつけたのさ」 「取れないよっ。ダブルくんの体内につけたんだもんっ」 「はいっ? いつ!」 「この前ダブルくんがアタシの部屋に来たときっ」 ずいぶん前じゃん。なんてことを。ダブルが身もだえているときだ。 テーブルを大きな手が叩いた。タフだ。 「うわ。びっくりした」 「びっくりするのはこっちだ! 2人揃って性懲りもなく社員カフェにいるだけでなく、いちゃいちゃいちゃいちゃしたあげくに、でっかい声でなんつう会話をしてるんだ! 少しはひと目を気にしろ!」 いわれてみればカフェにいる社員全員がダブルと職人を見ていた。管理営業部の前ではモジャモジャ頭の営業部員が呆れた顔で立っていた。ダブルが視線を向けるとみんないちように顔をそむけた。『技術開発部員とは接触するな』という各部署での通達が徹底しているらしい。 むう。ちょっと通りすがりに試作装置をポケットに忍ばせたり、試しに新しい試薬を投与したり、メールアドレスデータをいただくだけじゃん。それくらいのことで目くじら立てるなど情けない会社だ。ねえ。 「だからそういうことをやるなっていうんだ!」 タフは額に手をやって、ダブルの向かいの席にどっかりと座った。 「ヘリウムが入院したんだって? 大丈夫か? オレが無茶をさせちまったせいか?」 「まあね。確実にお前のせいだな」 「すまん。数検体でも測定してもらえればと思っていただけだ」 タフは素直に深々と頭を下げた。 「まさか2万個体ちかくをひと息で測定するとは思わなかった。2週間で2万個体をどうやって測定したんだ? そっちのほうが疑問だ」 「ヘリウムくんのやったことだからね。測定データは信頼していいよ」 「そうか。で? ヘリウムの容態はどうなんだ? 少しは回復しているのか?」 「ん。わかんない」 わかんないって、お前、とタフは呆れた口調になる。 「まさかとは思うが。見舞いに行っていないのか?」 「行ってないよ? なんでさ」 「いやいやいや。そこは行くところだろう! お前の部下なんだからよ! 心配じゃないのか!」 「医務室の室長は優秀だから心配はいらないね」 医務室の心配じゃなくて、とタフはテーブルを叩いた。ダブルは身をのけぞらせる。タフがいったいなに興奮しているのか、ダブルにはさっぱりわからなかった。職人に顔を向ける。職人もきょとんとした顔つきでみたらし団子を口に含んでいた。ほらね。やっぱり妙なのはタフじゃんか。 「違う!」 タフがつばを飛ばす。 まあそんなことより、とダブルはジャーマンポテトを口に入れた。 「検体のおおまかな正体がわかったよ。厳密なことは現在リチウムが解析中だがな」 「本当か。なんだったんだ」 「アタシそろそろラボに帰らないとっ」 唐突に職人が立ち上がった。テーブルにはまだみたらし団子とアツアツのほうじ茶が残っている。それでも職人は慌てて着物と白衣のすそを直している。 おや、聞いていかないのか? ダブルは職人に顔を向ける。職人はダブルと視線を合わせないようにして走り去ろうとした。その前にダブルは声を出した。 「あれね。『水ようかん』だったんだよ」 ぴくりと職人が動きを止めた。一瞬、ダブルの顔を盗み見る。職人の目の下がこわばっていた。そしてそのまま草履の音をぱたぱたと立てながら職人はカフェから出て行った。 (4 へ続く)