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「『水ようかん』は地球から人間へのメッセージだった。
だが、単に人間へ送ったものではない。職人。お前への
返事だな」
『水ようかん』の発生地点は6225地点。ソラに頼
んだ調査によると、6225地点に共通する事項がある。
すべての地点でRWMが仕事をこなしたという点だ。仕
事をこなすということは、RWMの製品を使用して問題
事象に対応したともいえる。
現在、RWMの社員が一番多く持っている装置のひと
つにウサギ型催涙弾がある。手のひらサイズの装置で、
文字通りウサギの形をしている。うずくまったウサギだ。
相手に投げつけると催涙効果のあるガスを噴出するとい
う装置だ。消耗品であり、その愛らしい形態から社員は
気軽に多用している。
そして、ウサギ型催涙弾は職人が開発した装置だ。職
人がRWMに就職してすぐに開発し、量産認証を受けて
流通が始まった装置だ。
量産装置係においてもウサギ型催涙弾は職人が一手に
引き受けている。
何百個体の注文があろうとも何千個体の注文があろう
とも、最終確認は必ず職人自らが行う。職人の承認印が
ついていなければ出荷しない。それほど職人の手が加わ
った装置はほかにない。
15年間、職人自らが最終確認を続けた装置だ。
「ウサギ型催涙弾にはなにが搭載してあったんだ?」
職人はクッションを抱きしめる。うっすらと笑みを浮
かべて青色のテーブルを眺めている。口はしっかりと閉
じていた。トップライトに照らされた微粒子がゆったり
とテーブルに舞い落ちるチンダル現象を起こしていた。
空調機の小さな音が室内に響く。
「職人のことだ。自分が地球をどれだけ好きなのかを伝
えようとしたんだろう? そして自分に関するデータを
入れた。たとえば好物についてとか。お前はいつも社員
カフェでみたらし団子を食べているけれども、本当に好
きなのは水ようかんだよな」
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職人が顔をあげる。なぜ知っているのか、と大きな瞳
をダブルに向けた。
「ヘリウム特性水ようかんを食っているときに気づいた。
たしかにあれは美味かった。それでもタフじゃあるまい
し、一度に30個も食べるには美味いだけではなくて好
きじゃなくちゃできない。それも『大好き』だ。だから
オレは考えた。『職人がみたらし団子が好きなのはウソ
ではない。父親との思い出の品であることも事実だ。だ
が、一番の好物は水ようかんではないのか。そのデータ
をウサギ型催涙弾に搭載していた。だからカフェでは水
ようかんを食べることはできなかった』」
職人はまばたきもせずダブルを見ている。真っ直ぐな
瞳だった。瞳が揺らぐこともない。いたずらを見つけら
れて照れている顔つきではなかった。そりゃそうだよ。
職人にとってはイタズラなんかじゃないんだから。そう
だな。本気だからな。気後れする必要はない。浮気では
なく、本気だからな。だからこそ、タチが悪い。
「『だからカフェではみたらし団子を食べ続けた。好物
として食べ続けた。社員のだれもが職人の好物はみたら
し団子であると刷り込むために。オレも含めてだ』。違
うか?」
どうしてRWMの社員に職人のたくらみがばれると困
るのか。
ウサギ型催涙弾の使用を制限されるかもしれない。場
合によっては中止されるかもしれない。そんな個人的な
データを含んだ装置を会社として使用を許すわけにはい
かない。たとえどれほど便利であろうともだ。
制限されたら、さらには使用中止されたら地球へメッ
セージを送ることができなくなる。地球が大好きで、地
球とひとつになるのが夢だと伝えることができなくなる。
だからこそ、職人は個人データが搭載してあることをだ
れにも気づかれるわけにはいかなかった。
そして努力のかいあって、15年の年月を重ねたのち
に地球はようやくリアクションを起こした。
「あの膨大な量の『水ようかん』はぜんぶ職人へのメッ
セージなんだな。ひとつでもよかったんだろうが、それ
だと確実に職人に届くとは限らない。だから職人のメッ
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セージがあった地点で職人が好物だという『水ようかん
』を発生させた」
繰り返し繰り返し発生させた。それがいまや2万個体
どころか8万個体とか10万個体に上る勢いだ。
「『水ようかん』に3世紀前の水を使用したのは、地球
の粋な計らいなんだろう? まず、人間が作り出したも
のと区別するためだ。人間には3世紀前の水を使用して
水ようかんを作ることはできない。ひとつやふたつなら
可能性もあるだろうが2万個体は到底できない」
不可能だ。人間技ではない。
当然だ。地球が作ったのだから。
タフに依頼した『水ようかん』を回収しているRWM
の社員28名の証言ともつじつまが合う。目の前でなに
もないところから『水ようかん』が発生すれば、食べな
くとも人間技ではないことくらいはわかる。
「そしてついでに現状への警鐘だろう。『現状に不満ア
リ』だ。3世紀くらい前の地球環境が望ましいとの意思
提示だ」
だから『水ようかん』を食べたものの多くはパラダイ
ムシフト、意識改革が起きた。このままじゃダメだと鼓
舞された。自分が好ましいと思っていたころの地球を思
い起こさせるような反応を起こさせた。少なくとも『水
ようかん』というありえない出来事は人々の脳に刻まれ、
地球が『生きている』ことを思い起こさせた、はず、だ。
まあ、ぼくなんかはなんとも思わなかったんだけどね。
70億人の人間の何割がオレみたいに無反応なんだろう
な。ほとんどだとしても少数派が頑張ればいいんだよ。
無反応ってことは地球に関心がないだけで、地球を悪く
思ってはいないんだからさ。
地球を悪く思っているやつは『水ようかん』を食べて
どんな反応をしたんだろうねえ。
きまっているだろう。
そういうやつらは『水ようかん』を食わない。
そういうやつらはどんどん宇宙移民へと能力と体力と
財力を注ぎ込むだけだ。
念には念をいれて『デイジーワールド』の実験まで行
った。データだけではなく、本当に3世紀前の水を使っ
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て作られた『水ようかん』で、その『水ようかん』が自
然環境にどんな働きかけをするのか知りたかったからだ。
結果は恥ずかしいほどにあからさまだった。
疑問の余地がないほど明白だった。
3世紀前の水があれば自然環境はいまより断然長続き
をする。地球という大きなひとくくりの生命体はいまよ
りはるかに健康体となって長生きするだろう。
ダブルは首に手を当てた。職人はクッションを抱きか
かえたまま身じろぎもせずダブルの話を聞いていた。ダ
ブルがどんなふうに謎を解いていくのか、耳をすまして
いる。
できることなら、とダブルは首のリンパ線を押す。こ
の先の話はしたくない。それでも職人が黙っている以上、
話の続きがあると職人はわかっている。話さないわけに
はいかないようだ。
「つまりだ。『水ようかん』というのは、職人の存在を
ひとりの人間としてではなく、個体として地球が認識し
たあかしなんだろう? そしてさらなるサインでもある
――」
職人がダブルに顔を向けた。ダブルも職人に顔を向け
る。
「職人に、その気があるなら『こっち側』へ来てもいい
ぞ、というサインだ。過去に例もあるんだろう? シャ
ーマンとか『新しい精神構造』を確立した変態した人類
とか、な。だからこそ、自分もできるんじゃないかと、
地球にメッセージを送り続けたんだろう? そして見事、
努力が実って、地球はメッセージを送り返してきたわけ
だ」
めでたいな、とダブルはちっともめでたくなさそうな
声を出した。
職人はようやく声を出す。乾いた冷たい声だった。
「よくわかったねっ。正直、ここまでダブルくんが解き
あかしてくれるとは期待していなかったよっ」
ううん、と職人は首を振る。
「別に解きあかしてくれなくてもよかったんだよっ。邪
魔さえしなければねっ。でもダブルくんはアンノウン係
の係長さんだしっ。それにかなり有能だからねっ。遅か
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れ早かれダブルくんのところに検体として『水ようかん
』が届けられると思ってたっ」
まさか2万個体とは思わなかったよっ、地球は本当に
面白いねえっ、と地球を語るときは柔らかい口調になる。
ねえ、と柔らかい口調のまま職人が呼びかけた。
「本当に検体が『水ようかん』の形をして目の前に現れ
たときの気持ちを想像できるっ? みんなの前で平静を
保つのが精一杯だったっ。黒色直方体の検体がダブルく
んのラボの転送機から山のように雪崩れ落ちてきたとき
はしあわせで胸がいっぱいになったんだよっ。ダブルく
んが乱れた髪を直してくれたときには、震えているのに
気づかれないよう精一杯だったっ」
なるほど――だから、あのとき、職人は自分のラボに
戻る前、オレの白衣に顔を押し付けたのか。涙を抑える
ように。込み上げるよろこびを噛み締めて。めでたしめ
でたし、とは職人自身に向けた言葉だったのだ。地球と
のコンタクトを成功させて、めでたしめでたし。オレた
ちに向かっていうことで自身への感情の抑圧を軽減させ
たわけだ。
「なんで」
ダブルの口から知らず言葉がこぼれていた。
「なんで月なんかに来たんだ? そんなに地球が好きな
ら、ずっと地球にいればよかっただろうが」
職人はクッションを膝の上に置く。
「きまってるよっ。つらかったからだよっ」
「……両親がいなくなったから、ではないよな」
職人はうなずく。
「お父さんとお母さんのことはいいのっ。2人の人生で、
2人の生き方で、2人の終わり方だからっ。それについ
てアタシが口を挟むような権利はないんだよっ」
たとえ血がつながっていてもねっ、と職人は突き放す。
なまじ能力があったがゆえに、子ども時代を子どもらし
く扱ってもらえなかった者の意地だった。
「『そんなこと』はどうでもいいんだよっ。アタシがつ
らかったのは地球のことだよっ」
当然でしょう、とばかりに職人は両親の話と地球の話
に線を引く。次元の違う話だと強調する。語るに足る話
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は人間関係のごたごたなどというくだらない話ではなく、
それらをすべてひっくるめてひとかかえにした地球の話
だと念を押す。
だからこそ、職人はガイア理論にこだわってきた。地
球は単なる惑星ではなく、ひとつの生命体であるとこだ
わり続けた。いい続けた。ウサギ型催涙弾というかたち
で。
その代弁をダブルはこの5週間、ずっといい続けてい
た。職人の気持ちがわからないはずがない。
「地球にいるとねっ。地球が人間の手によってどんどん
変わっていくのを見ちゃうでしょっ。感じちゃうでしょ
っ。知っちゃうでしょっ。自分も人間だからっ。自分が
人間としていることで地球を変えてしまう事態に加担し
ているんなら、地球にいちゃダメだって思ったっ」
好きだからこそ、大好きだからこそ、そばにいること
ができない。ひとつになるのを恋焦がれているのにもか
かわらず、待ち望んでいるにもかかわらず、地球から飛
び出さなくてはならなかった。
RWMの会長がただ手を差し出しただけで、会長が演
説ぶるのも待たず、職人が会長の手をつかんだのはひと
えに地球のためだったわけだ。
「人間をやめる方法がわかればよかったんだけどっ」
「つまり、人間でいることから逃げたかったというわけ
か」
「月に来れば少しはましかなって思ったんだよっ。それ
でもアタシはやっぱり地球が好きなのっ。大好きっ。離
れてみるとなおのこと強く思ったよっ。青い地球を見る
たびに、胸に思うたびに、『ああ地球とひとつになりた
いなあ』って。それを伝えたくて量産装置係に入ってか
らは、地球に思いを伝える装置を作り続けているんだよ
っ」
15年間、地球に対する思いを送り続ける。生半可な
気持ちでできることではない。
職人は毎日毎日地球を思う。ひとつになることを願う。
1日何百個のウサギ型催涙弾に自分の思いをたくす。た
くし続ける。おそらく、今日もたくしていたのだろう。
こうしてダブルの隣りに座っていてもなお、職人の気持
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ちのほとんどは地球に向いているのだ。
ダブルは手を伸ばして職人の髪に触れた。
柔らかく細く長い髪。霧雨のように触れているのに何
もないような髪。ダブルは職人の髪の束を持ち上げて自
分の鼻先につけた。なるほど。雨の匂いがする。地球の
匂いだ。すでに準備が始まっているのかもしれない。―
―なにの?
ダブルは職人の髪に顔をうずめたままで目を開いた。
――なにの準備だ?
かさりと音がする。
職人が膝の上にいくつもの『水ようかん』を取り出し
ていた。
(3 へ続く
)