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「ダブルくんっ」
職人に背中から抱きつかれてダブルは我に返った。
いつの間にかテーブルの上にはマシュマロ入りココア
とバナナチョコパンケーキとジャーマンポテトとドイツ
のアルトビールが並んでいた。
……無意識に頼んだのかな。オレが頼んだのはマシュ
マロ入りココアだけだったはずだが。ううん、食べたい
って気持ちが言葉になって、カフェスタッフに伝わって
いたのかもしれないねえ。
「あたしが頼んだんだよっ」
職人がダブルの隣りに座る。満面の笑みでダブルに顔
を向ける。職人の長いふわふわの髪が揺れた。サバンナ
の草原のようだ。
「ダブルくんが食べたそうだなって思ってっ」
「よくぼくがカフェにいるってわかったねえ」
「ダブルくんにはアタシがつけたGPSがついてるから
ねっ」
「えっ! いま何かさらりととんでもないことをいわな
かった!」
ダブルが職人に向き直るのと、職人の前にみたらし団
子とアツアツのほうじ茶が並ぶのが同時だった。職人は
「わあっ」と頬に両手を当ててみたらし団子に見入る。
「食べないのっ? 冷めちゃうよっ」
「……ひょっとして職人さあ。アンノウン係のラボの中
に盗聴器とか仕掛けた?」
「うんっ。ざっと40個くらい、つけたっ」
「冗談でいったのにマジかよ!」
「嫌だったっ?」
職人は不思議そうにダブルにたずねた。まるで、肩こ
りで悩んでいる人間の肩をもんだのに迷惑そうな顔をさ
れて不可解だ、みたいな顔つきだ。これはなにをいって
も無駄だと、ダブルは瞬時に判断をする。それにしても
40個も仕掛けられていたのにまったく気づかなかった
とは。オレとしたことがとんだうかつさだ。
「嫌だったっ?」
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職人はもう一度たずねる。ダブルはマシュマロ入りコ
コアを口に含む。どうだろう? 意外だな。うん、さほ
ど嫌じゃないねえ。むしろ職人にそこまで独占欲がある
とは知らなかったな。いつ盗聴器をつけたんだろうねえ。
水素やリチウムがうろうろしているラボに盗聴器を40
個もつけるなんて簡単ではなさそうだがな。少し前まで
はヘリウムくんだっていたし。あいつなら気づかないわ
けがないだろうしな。測定の邪魔になるからな。
「あ」とダブルはカップを置いた。
「ひょっとすると、それって、職人とソラっちが友だち
になったあと?」
「うんっ」
……なるほど。ヘリウムくんの差し金か。あいつ、淡
白そうな顔をしてけっこうどろどろした人間関係がお好
みなんじゃないのか。さすが地球のすけこまし野郎だね
え。はあ、やれやれ。
ダブルは横目で職人を見た。職人は頬を赤くしてみた
らし団子を頬張っていた。小さな頬がリスのように膨ら
んでいる。眉が緩く下がっていた。ダブルはマシュマロ
入りココアからドイツのアルトビールに切り替えて、そ
っちがそうなら、とテーブルに頬杖をついた。
「職人さあ。いまでも『ウサギ型催涙弾』の生産は忙し
いの?」
「今日も300個体納品したよっ」
「ひとつひとつ職人が最終確認をしているんだっけ」
「もちろんだよっ。『ウサギ型催涙弾』は特に慎重に扱
わないといけないからねっ。誤爆とかないように製品の
精度には気を使うよっ」
ダブルはぐびりとドイツのアルトビールを飲んだ。『
特に慎重に取り扱う』ねえ。
「……職人が全部最終確認をしているのは『ウサギ型催
涙弾』だけなのかな?」
「そんなことないよっ。『シロクマ型無効化装置』もそ
うだし『スイカ型情報収集機』とか『ドロップ型環境変
換機』も『ゼリービーンズ型睡眠弾』も大好きだよっ。
みんなみんな大切な装置なんだよっ」
頬にみたらしのたれをつけて職人は微笑む。微笑むだ
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だ。「全部最終確認をしている」とは肯定しなかった。
ダブルはドイツのアルトビールをもうひと口ごくりと
飲んだ。
いくら職人がヘリウム並に作業効率を上げられるよう
自身に薬物投与していたとしても、それこそ1日平均1
万個体の量産装置を生産しているのだ。すべてを職人ひ
とりで最終確認することは無理だ。一般常識とは異なる
技術開発部の常識で考えても無茶だ。
職人が「すべて最終確認をひとりでやっている」と認
めた装置は『ウサギ型催涙弾』だけだ。そして『ウサギ
型催涙弾』は大人気で、地球上にいる社員のほとんどが
装備している装置だった。
「職人は地球が好きだもんねえ。暇さえあればいつも眺
めているしな」
「ダブルくんだってさっき見てたねっ。今日の地球も元
気そうだよねっ」
「地球のどこが好き?」
職人がみたらし団子を食べる手を止める。きょとんと
した眼差しでダブルを見つめた。うっすら口をあけてい
る。小さい口だ。ダブルはフォークにジャーマンポテト
を刺すと、職人の顎を指でつかんで、ジャーマンポテト
を職人の小さな口に入れた。職人はごく自然にゆっくり
と口を動かす。
「美味しいねっ」
ダブルもジャーマンポテトを口に入れる。ベーコンの
塩味が利いたほっこりとした食感のポテトだった。ジャ
ーマンポテトをドイツのアルトビールで喉に流し込み、
ダブルは職人の顎から手を離す。
「じゃあねえ。ぼくと地球、どっちが好き?」
職人はにっこりと笑うとみたらし団子の串を差し出し
た。
「今度はアタシがお団子を食べさせてあげるっ。お返し
だよっ」
ダブルもおとなしく口を開けた。ダブルの口の中はみ
たらし団子とジャーマンポテトとドイツのアルトビール
とマシュマロ入りココアの入り混じった、なんとも珍妙
な味が広がった。
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ダブルの問いには答えない――、それが職人の答えだ。
職人の優しさで、職人の愛情だった。ぼくも意地悪だっ
たしね。お父さんとお母さん、どっちが好き、みたいな
質問は反則だったな。仕事とぼくのどっちかじゃなくて
ね。オレと地球を選べ、だからな。オレも地球も職人に
とっては比較できる対象ではない。職人がどれだけ地球
のことを好きなのかわかっていてする質問じゃなかった
よね。それでも。うん、それでも。
――『確認』の必要があった。
ダブルはドイツのアルトビールを飲み干して2杯目を
注文した。職人はあられの浮いた汁粉を注文する。
いつしかカフェには人が増えていた。カウンター席の
社員はロコモコ定食を頬張っていた。斜め前方のテーブ
ル席の社員はトリプルジェラードアイスクリームを食べ
ている。背後のオープンキッチンからは皿やグラスの触
れ合う音が聞こえた。ニンニクを炒める匂いも漂ってく
る。
ダブルは黙ったままの職人に手を伸ばした。職人のふ
わふわの長い髪をゆっくり撫でる。
「よく泣かなかったねえ」
「……アタシ悲しくなかったもんっ」
そうか、とダブルは職人の髪を撫で続ける。職人は目
を閉じて、気持ちよさそうに撫でられ続けた。ドイツの
アルトビールが来てもダブルはドイツのアルトビールを
飲みつつ職人の髪を撫で続けた。職人もあられの浮いた
汁粉にふうふうと息を吹きかけ髪を撫でられ続けている。
おそらく、とダブルは思った。職人は気づいている。
ダブルがなにかに感づいたことを察している。そしてダ
ブルが謎を解いていくのを楽しみにしているのだ。職人
そのものも全貌まではわかっていないのかもしれない。
だから余計にダブルが謎を解くのを待っている。これま
た職人ひとりがわかっていてはラチがあかない事態だか
らだろう。
「このあられ、こりこりしていて美味しいよっ」
「ドイツのアルトビールもまろやかな苦味が心地いいよ。
職人も飲んでみるか?」
「アタシはビールより日本酒っ。いまは止めておくねっ。
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仕事中だからっ」
「ぼくも仕事中なんだけどね、って、仕事中じゃないと
きなんてぼくたちにないじゃん」
アハハそっかーっ、と職人が明るく笑った。ならば飲
もうかな、とはいわない。警戒しているのだ。14年の
つきあいだ。間の取り方ひとつで相手の気持ちはわかる。
職人はいまはこれ以上気を緩められないようだ。ダブル
の謎解きがうまくいくためには、職人はボロは出しすぎ
ないほうがいいらしい。
見え見えなんだけどな。いいじゃないか、見え見えな
のは職人も自覚しているだろうさ。そうだね。
「ところで職人、ぼくにつけたGPS機能を取ってくれ
ないかな。盗聴器ならまだしも、監視のしすぎだ。スト
ーカーだよ」
「いいじゃんっ。やましいことがないなら問題ないでし
ょっ」
「気持ちの問題なの。いいから早く取って。どこにつけ
たのさ」
「取れないよっ。ダブルくんの体内につけたんだもんっ」
「はいっ? いつ!」
「この前ダブルくんがアタシの部屋に来たときっ」
ずいぶん前じゃん。なんてことを。ダブルが身もだえ
ているときだ。
テーブルを大きな手が叩いた。タフだ。
「うわ。びっくりした」
「びっくりするのはこっちだ! 2人揃って性懲りもな
く社員カフェにいるだけでなく、いちゃいちゃいちゃい
ちゃしたあげくに、でっかい声でなんつう会話をしてる
んだ! 少しはひと目を気にしろ!」
いわれてみればカフェにいる社員全員がダブルと職人
を見ていた。管理営業部の前ではモジャモジャ頭の営業
部員が呆れた顔で立っていた。ダブルが視線を向けると
みんないちように顔をそむけた。『技術開発部員とは接
触するな』という各部署での通達が徹底しているらしい。
むう。ちょっと通りすがりに試作装置をポケットに忍
ばせたり、試しに新しい試薬を投与したり、メールアド
レスデータをいただくだけじゃん。それくらいのことで
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目くじら立てるなど情けない会社だ。ねえ。
「だからそういうことをやるなっていうんだ!」
タフは額に手をやって、ダブルの向かいの席にどっか
りと座った。
「ヘリウムが入院したんだって? 大丈夫か? オレが
無茶をさせちまったせいか?」
「まあね。確実にお前のせいだな」
「すまん。数検体でも測定してもらえればと思っていた
だけだ」
タフは素直に深々と頭を下げた。
「まさか2万個体ちかくをひと息で測定するとは思わな
かった。2週間で2万個体をどうやって測定したんだ?
そっちのほうが疑問だ」
「ヘリウムくんのやったことだからね。測定データは信
頼していいよ」
「そうか。で? ヘリウムの容態はどうなんだ? 少し
は回復しているのか?」
「ん。わかんない」
わかんないって、お前、とタフは呆れた口調になる。
「まさかとは思うが。見舞いに行っていないのか?」
「行ってないよ? なんでさ」
「いやいやいや。そこは行くところだろう! お前の部
下なんだからよ! 心配じゃないのか!」
「医務室の室長は優秀だから心配はいらないね」
医務室の心配じゃなくて、とタフはテーブルを叩いた。
ダブルは身をのけぞらせる。タフがいったいなに興奮し
ているのか、ダブルにはさっぱりわからなかった。職人
に顔を向ける。職人もきょとんとした顔つきでみたらし
団子を口に含んでいた。ほらね。やっぱり妙なのはタフ
じゃんか。
「違う!」
タフがつばを飛ばす。
まあそんなことより、とダブルはジャーマンポテトを
口に入れた。
「検体のおおまかな正体がわかったよ。厳密なことは現
在リチウムが解析中だがな」
「本当か。なんだったんだ」
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「アタシそろそろラボに帰らないとっ」
唐突に職人が立ち上がった。テーブルにはまだみたら
し団子とアツアツのほうじ茶が残っている。それでも職
人は慌てて着物と白衣のすそを直している。
おや、聞いていかないのか? ダブルは職人に顔を向
ける。職人はダブルと視線を合わせないようにして走り
去ろうとした。その前にダブルは声を出した。
「あれね。『水ようかん』だったんだよ」
ぴくりと職人が動きを止めた。一瞬、ダブルの顔を盗
み見る。職人の目の下がこわばっていた。そしてそのま
ま草履の音をぱたぱたと立てながら職人はカフェから出
て行った。
(4 へ続く
)