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◇◆試し読み◆◇
それとは別にコール音がした。ボブのイヤーモバイル
だった。あいよ、とコールに出たボブの声が、はあぁっ、
と裏返る。
「何を言ってんだよ、おめえはよお。それをモバイル越
しに伝えんのかよっ。機密レベル5だろうがよおっ。…
…そりゃおめえ、オレはここにいて本社にゃ戻れねえけ
ど、ざけんなよっ」
例によってボブのモバイル越しに相手の謝る声が漏れ
聞こえる。
「名目はどうすんだよ。ウチはテロリストじゃねえだろ?
んなこたわかってんだよ。あ? グローバルGが?
じゃあ、そいつらにやらせりゃいいだろ?」
叫びつつボブが小型デバイスを惇也に指さした。惇也
はそれを極薄モニターに投影させる。会話の内容が表示
された。
──氷床妨害企業に対し、なるべく損傷を少なく操業
不能に陥らせよ、とあった。
ひゃひゃひゃとマッドが笑い声を上げる。
「丸投げにもほどがありますね。冗談じゃない。これの
どこが地球環境コンサルタント業務なんですかねえ」
まあ? と両手を軽く広げる。
「どうしようもなかった、というかたちにすれば、チサ
トさんのストレスも軽減するというものでしょうがね」
『わかった。やります』
チサトが即答した。ちょい待てやー、とボブが叫ぶ。
湊の背後でふっと空気が軽くなった。
嫌な予感がして振り返る。
ミスター・エンペラーがいなかった。
慌てて辺りを見回すとミスター・エンペラーは巨大淡
水湖の水際にいた。
「ミスター・エンペラーっ」
叫びつつミナトは駆け寄った。ミスター・エンペラー
がゆっくり湊に嘴を向ける。
「ぼくは……主義を曲げてまで情報を伝えたよ? それ
でもまだ悠長なことを言うんだね」
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もうつき合い切れないよ。
ぶるりとミスター・エンペラーは首を振り、そして両
方のフリッパーを宙高く上げた。
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ぺしん、という音が高く長く巨大淡水湖のある空間に
鳴り響いた。
やがて地響きが起きた。最初は細かく次第に大きくな
る。巨大淡水湖の水も大きく波打ち始めた。
湊は忙しく周囲に視線を巡らす。
「何したの?」
「もういいやって思ってね。ぼくはぼくで世界を守るよ」
ちょっと待って、と湊はミスター・エンペラーのフリ
ッパーを両手で掴んだ。ミスター・エンペラーは答えな
い。
お願いだからっ、と湊は叫ぶ。
「せめて何をしたのか教えて」
ミスター・エンペラーが真っ直ぐに湊の瞳を見た。そ
れから巨大淡水湖に視線を移す。
「湊もさっき気づいたでしょ? 大義名分はある。湊も
やろうとした。湊がやらないから、ぼくがやるだけだよ」
え? 俺がやろうとした? 何を?
ミナトは巨大淡水湖へ視線を向けた。ひやりとした気
持ちが胸に広がる。……確かに何かをやろうとした。巨
大淡水湖を見ていて頭の芯がきりきりと引き締まった。
あのとき気持ちが自然に動いた。ただし身体は動いて
いなかった。
俺は何をしようとしていたんだ?
惇也が湊に駆け寄って腕を掴んだ。
「ミスター・エンペラーは何をしたの?」
「わかりません」
「ミスター・エンペラーに早く聞いて」
「聞いても答えてくれなくて。俺が知っているはずだっ
て」
「じゃあ何をしたんだよ」
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「わかんないんですってば」
「ならもう一度ちゃんと聞いてっ」
惇也の手の力が強くなる。事態が切迫しているのが伝
わった。なんの事態だ? 外か? 太陽か? それとも
この空間か?
惇也くん、とマッドが叫んでいた。極薄モニターが赤
く点滅してアラーム表示が出ていた。同時に極薄モニタ
ーへ黒地に緑色ラインの地図が表示される。それが自動
でサーモ表示に切り替わった。南極大陸周辺大気の温度
表示だ。
マッドのもとに駆け戻った成瀬がうめく。
「ここロス棚氷を中心にロス海に向けて気温が上昇して
います。このままだと小一時間でロス棚氷そのものが融
けます」
言いつつ惇也は湊に振り向いた。
「白瀬湊くんっ、頼むからもう一度聞いてっ。ミスター
・エンペラーは何をしたのっ」
ミスター・エンペラーっ、と湊もミスター・エンペラ
ーの背中を揺すった。
「せっかく作った氷床だよね。それを壊してどうするん
だよ。氷床増やすんじゃなかったのっ」
「その氷床が増やせないから別の方法で世界を守るしか
ないでしょ」
「別の方法?」
湊、とミスター・エンペラーは湊に顔を向けた。息を
のむほど鋭い眼差しになっていた。
「覚悟っていうのはこういうことをいうんだよ。世界を
守るためにはぼくだって犠牲を覚悟の上だよ。ロス棚氷
で生活しているペンギンたちには逃げろって伝えてある。
それでも間に合わないペンギンもいるかもしれない」
けどね、とミスター・エンペラーは続ける。
「それでもより多くが助かるためにはやらなくちゃいけ
ないことがあるんだ」
「……ロス棚氷を融かしてどうするつもり? そもそも
どうやって融かして?」
湊は視線を泳がした。……違う。何かが違う。ロス棚
氷が融ける。それは合っている。けど、それは結果だ。
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巨大淡水湖に目が留まった。水際を凝視する。
「巨大淡水湖の水が……減ってる?」
惇也が叫んだ。
「止めろっ」
へ? え? と湊は振り返った。
「今すぐミスター・エンペラーを止めろっ。巨大淡水湖
の水を放出するのをやめさせてっ」
「え? 放出? ミスター・エンペラーがそんなことを
している?」
「ただ融けるだけの話じゃない。ロス棚氷がなくなるど
ころの話じゃないよ。第二のヤンガードライアスが起き
る」
そうなったら、と惇也は苦々しげな顔をする。
「気温は確実に下がる」
けど、と惇也は首を振った。
「もうこの世界は存続できないっ」