長編サスペンス恋愛。 異常なまでに気象現象が不安定になり、その原因解明に乗り出すキリン。キリンにはキスをすることで相手から情報を得るスキルがあった。やがてさまざまなキスを通じてキリンは1つの結論にたどり着く。このままでは世界に人類が!? それを阻止する方法は1つ。全人類70億人の滅亡か、それとも1億人が犠牲になるか。キリンは人類滅亡を阻止できるか!? 『粉雪ダウンバースト』事件の続編である。
【RWMシリーズ関連性】CDB事件が引き起こした大事件の始末話。『レモンパイ効果』と『秋のおわりの氷のカケラ』の伏線がここで総集。これがあったからこそ、以降の時代が作られた。RWMとしても大変痛い事件である。(『氷の12月』) 【原稿用紙換算枚数】420枚 【読了目安時間】5時間 2015/6/19 配信開始
◇◆試し読み◆◇ そのときだ。 「備品は大事にいたしましょう」 背後から声をかけられ、キリンは思わず飛び退いた。 男が立っていた。 クリーム色のスーツを着て、目立つピンクの蝶ネクタイをつけている。面識はないものの、その特徴的なスタイルから先輩情報調査部員のマッドであることはすぐにわかった。 マッドは、ほほう、と明るい声を出しながらモニターに顔を近づける。 「ドーンコーラスですか。懐かしい名前ですねえ。まったくアレには手こずらされました。ご存知ですか? メンバーはそれこそ子どもから老人までいるんですよ。どこにでもいるんですよ」 「……マッドさんはあの事件をご存知で?」 「知らない情報調査部員はいないでしょう。もっとも、わたしはほかのかたよりちょびっと多くは知っていますがね」 マッドはひゃひゃひゃと肩を揺すって笑った。そしておもむろにスラックスのポケットに手を突っ込む。何をする気だ。咄嗟にキリンが身構えると、マッドは棒キャンディーを取り出して包みをペりぺりと剥がした。 「失礼。複数個食べたかどうか不安になりましてねえ」 包みから現れたのはピンクに赤いラインが入ったキャンディーだった。キリンは肩の力を抜く。 この棒キャンディー、技術開発部のれっきとしたアイテムだ。精神安定剤とか睡眠剤とかいろいろバリエーションがある。錠剤ではなく棒キャンディーの形態をしているのはRWMの技術開発部員から抜くことが不可能な遊び心らしい。さらには複数個食べなければ副作用がある、ことも遊び心らしい。極めていらぬ気遣いである。 マッドが手に持っているピンクに赤いラインの入った棒キャンディーは滋養強壮剤だった。 「いやもう、管理営業部の無茶振りには舌を巻きますよね。わたしだって一応まだ人間なんで疲れるんですが、となんど訴えても聞き入れてもらえませんでした」 きみも大変ですねえ、とマッドは口を大きく歪めて棒キャンディーを口に含んだ。そのまま「でも」とマッドは手を伸ばしてパネルの上に指を走らせた。途端に画面表示がオフになる。 「な」 「過ぎたことじゃないですか。過去にばかり囚われると、足元をすくわれますよ?」 だからといって断りもなしにいきなり履歴消去とは穏やかではない。キリンはマッドに向き直る。ストレートに声に出す。 「何かぼくが見たらマズイことでもあるんですか?」 「ドーンコーラスはどこにでもいるんです」 「そうみたいでしたね」 「いえ、過去形ではなく、現在進行形で増えているみたいですよ?」 へ? と声が出た。ついもう消えているモニターに視線を向ける。『クレーター・ダウンバースト事件』は解決した。ドーンコーラスの首謀者は死亡、そうでなくても行方不明になっているらしい。だったらドーンコーラス自体が組織をなさない。すでに解散している。そう思い込んでいた。 それが、まだ続いている? 数百万人とも数千万人ともいわれるメンバー数。メンバーはどこにいてもおかしくなくて──。 「まさか、あなたもメンバーだって言うんじゃないしょうね」 マッドは目を丸くし、棒キャンディーを吐き出して腹を抱えて笑った。そ、そ、その反応は予想していませんでした、と笑い転げている。 「なるほどねえ。わたしがメンバー。それはそれで人類も綺麗に浄化してみせたくなるところですが、残念ながら、そんな暇はなく」 マッドはキリンに顔を突き出す。 「RWMの社員としての仕事にひいひい言う毎日なんですよ」 はあ、とキリンはマッドの顔から視線を逸らせない。笑い転げながらも、マッドの目は笑っていなかった。 「マドカさん」 これまた唐突にマッドは口にする。 「慕っている男性社員がいるそうですよ?」 「え?」 「これまた残念ながら、きみではなさそうです」 さあ、どうします? と頬に笑みをたたえてマッドは新しい棒キャンディーを取り出した。 どうするもこうするも、あんたに指図されることではないし、そもそもどうしてそんなことをいきなり口にするのか。強がって見たものの、キリンの気持ちはマッドの思惑通りに乱れていく。 マドカに好きな男がいる? ほかの男があの柔らかい唇に触れ、あの柔らかい髪に触れる? それは。キリンは口元を歪ませた。なかなか気持ちの悪い事態だ。 さらに追い打ちをかけるようにキリンのイヤーモバイルが鳴った。管理営業部からだった。任務の催促のコールだ。 ああ、とマッドが口に棒キャンディーを突っ込んだまま、「こっちのブースはわたしが今から使いますからお気になさらず」と『雲原』と表示されているはずのブースへと入っていった。そのまま鼻歌が聞こえてくる。 マッドがモニター画面を見て動揺する気配はない。 つまり──マッドも二月の隠されたある事実に関連している、ということか。 いいでしょう。つぶやいてキリンはマッドに背を向ける。すべては、これからですよ。 (続きは、本編で)