abstract

長編サスペンス。
唄姫、ディーバ。彼女の唄は群衆心理を操作する。テロリスト集団・ビスナからその唄が消えた。その3年後、世界一の透明度を誇るロシア地区バイカル湖で異常発生。同時に連続殺人事件。さらには北極点の大幅移動と緊急事態が多発する。解決に向かうのは、かつて英雄と謳われた男、ナユタ。その軟派で鳴らすナユタがディーバに恋をした!? 事件とナユタの恋の行方は──。

about

【RWMシリーズ関連性】
ディーバとナユタの初顔合わせ、そしてナユタの世界的に重要な生い立ちエピソード。
(『バイカル湖グリーンスライム問題』・『北極点の緊急移動問題』))
【原稿用紙換算枚数】414枚
【読了目安時間】5時間
2016/9/15 配信開始

contents

第1章 バイカルブルーはどこだ?
第2章 見渡す限りのグリーンスライム
第3章 どこでも起こりうる事態だよ
第4章 ならほかにどうすればいいんだい?
第5章 一億五千万人に響く唄声

試し読み

◇◆試し読み◆◇

「座ったら?」
 振り返るとディーバがスツール椅子を差し出していた。
「コーヒーも淹れたの。なんなら軽食でも作るけれど。みんな何時間も食べていないでしょう?」
 ナユタが黙っているとディーバが視線を逸らす。
「……ミセスが喋ってくれないの」
 だろうね、とナユタは肩をすくめる。
「あなたも……そんなふうだし」
 ナユタはディーバの鼻先に人差し指を突きつける。
「七千八百億」
「え」
「単位は言わないよ。今回の君の件でそれだけの損失が出た。ウチは一応企業なんだよ。慈善団体じゃない」
 ディーバの眉がみるみる歪む。ナユタは天井に顔を向ける。
「──って言いたいところだけど、そんなんじゃないんだよ」
 え、とディーバが戸惑った顔をする。ナユタはディーバからスツール椅子を奪ってそれを乱暴に壁へ叩きつけた。観葉植物の鉢植えが割れる音が響く。
 ナユタ、とギフトが短い声を出す。
「手荒にしないでくれ。こっちの仕事が増える」
「わかってますよ」
 ディーバが目を見開いてナユタを見ていた。ナユタはそのディーバをカウンターテーブルに押しつけた。
「なんのために碓氷がここを用意したと思っているんだい。君のためだよ」
「それは……」
「君のためにフォックスは頑強なセキュリティを作り上げ、君の痕跡を消すために情報調査部の部長は不眠不休で世界中のデータ改ざんを行った。さっきだってどれだけミセスが必死だったか。君の所在地を突き止めさせないためにどれだけの社員が動いたか」
 まくしたてるナユタにディーバは唇を震わせた。それを冷ややかな眼差しで眺めてナユタは訊ねた。
「なぜだと思う?」
 それは、とディーバは口籠もったのち、小さい声を出す。
「わたしに……利用価値があるから」
 違う、とナユタは即答する。え、とディーバは顔を上げる。
「そんなことで会長が動いたりはしない」
「だったら」
「君がウチの社員だからだよ」
 ディーバが目をしばたたく。
「利用価値があったから君を社員にしたわけじゃない。君はウチでしか生きていけない、そう会長が判断したから君を連れ出したんだ。君を生かすために会長は君を連れ出したんだよ」
「……え」
「ウチは──RWMは、そういう場所だよ。環境コンサルのスペシャリスト。そんなのは後付けだ。あの二年間の研修に現場措置をしていれば嫌でも専門家になれる。そうだろう?」
 ナユタは両手を強くカウンターテーブルで掴んだ。あいだにはさまれたディーバが身を固くする。
「殺害するわけにもいかず、そのまま現場に置くわけにもいかない。そういう人間の巣窟。それがRWMだ。──俺を見ればわかるだろう」
 ディーバの瞳がひと際大きくなる。ナユタがそれを口にするとは思わなかったのだろう。
 だから、とナユタは語気を強める。
「俺たちは互いに絶対の信頼を持っている。信用じゃなくて信頼だよ。そうじゃなければ、お互い生き抜くことができない。それに何より、会長の恩に報いることができない。会長の役に立てないだろう」
 それとも君は、とナユタは口元を歪める。
「違うのかい? どうでもいい、なんとでもなれ、そんな捨て鉢な気持ちでここにいるのかい?」
 ああ……、とディーバが小さな声を漏らす。
 それに君は、とナユタは口調を強める。
「君はウチを『RWM』と呼ぶ。今回、これほどビスナが動いている。だからそのビスナと区別するためだとはわかる。だけど、そうじゃないんだよ。君は無意識にまだここを自分の巣と自覚していない。だから『ウチ』と呼べないんだ」
 あ、とディーバが口元へ両手を当てる。頼むから、とナユタはディーバへ顔を近づける。
「あまり無茶をしないでくれ。どんなに俺たちが君を守りたいと思っても、君自身がそれを望まないんなら、守り切れないだろう?」
 私は、とディーバが手を震わせる。その手をナユタは掴んだ。
「ミセスが腹を立てているのはね。君が唄をうたったからだけじゃないよ。君がミセスを信頼していなかったからだ。ミセスやギフトさんや俺を信頼できなかった。あのままではバイカルアザラシを守り切れない、そう判断して君はうたったんだろう?」
 俺は出会ったばかりだから信頼するのは無理かもしれないけれど、と言いかけてナユタは言葉を止める。掴んだディーバの手が震えていた。
 ──やり過ぎだ。息を吐く。俺としたことが、どうしてこんなに? 
 そんなこと、わかりきっている。
 ミセスにけしかけられるまでもない。
 目を閉じてナユタはディーバの手を口元に持って行った。その甲に頬ずりをする。
「……無事でよかった」
 つぶやいてディーバの頬に手を添え、唇をよせようとした、そのときだ。
 バシン、と景気よく後頭部を叩かれた。
「やり過ぎだよ。あたしらがいるんだよ。自重しな」
 ミセスだった。あのねえ、と振り返ろうとしてぎょっとした。
 大型モニター、そこで視線が止まる。
「あれはなんだい」
「バイカル湖だよ。フォックスさんがデータを送って来た。そのリンク作業が終わったところさ。ご覧のとおり、冗談じゃない状況だよ」
「本当に冗談じゃないぞ。どこが何をやっているって?」
「その前に、ディーバ、コーヒーが入っているんだって? くれるかい? 軽く何かつまみたいね。サンドイッチとか頼めるかい?」
「ミセス。あの……わたし」
「もういいよ。ナユタががっつり言ってくれたからね。ただしもう二度と唄をうたわないでおくれよ」
 ディーバがうなずくのを視線の端でとらえつつナユタは作業スペースへ足を向ける。
「水が減っているってさ」
 とギフトがいきなり切り出した。
「どこの? 誰がそれを?」
「バイカル湖。フォックスが指摘してきた。まったくさー。もっと早く教えろって言うんだよ。アイツ、半年くらい前から気づいていたとか言うんだよ? それをなじると『あんまり多くの情報を伝えても君たちは処理しきれないだろう』とうそぶきやがった。いちいちもっともで腹が立つねー」
 ギフトが乱暴に小型デバイスのパネルに指を叩きつけていた。このギフトを本気で怒らせているとは。どんな状況なんだ、とナユタは改めて大型モニターを見る。
 大型モニターにはバイカル湖の断面図が映っていた。左上部に数字が表示されている。その数字が目まぐるしい速さで減っていた。
「あの数字、バイカル湖の水量?」
「こんなふうに減っていく数字だけ見せられても、現場は焦るだけだっていうのになあ。あの馬鹿にはそれがわからない。説得力が増すと信じている。悪いね」
 ギフトさんが謝ることじゃ、と言いつつこめかみがひくつく。確かに焦りが募る。一刻も早くどうにかしなくてはという思いに駆られる。だが、何をどう措置すればいいんだ? そもそもどこがどうなってこういう事態になっている? それに、と疑問があふれ出る。
 深呼吸をする。頭の中でごちゃまぜになっていた問題点を素早く整理する。気を引きしめ、それで、とギフトに向き直った。
「バイカル湖の水量と北極点の移動。その二つはどう関係するんです?」
「さすが修繕部員だね。第一の疑問がそれかい?」
「アラーム表示では『北極点の移動の急変』とあった。だからここへ招集されたんですよね」
「北極点が移動すること自体は別に珍しい現象じゃない」
「なら?」
「大量に氷河が融けたせいだ。それに加えて──バイカル湖の水だよ」
 ナユタは素早く大型モニターへ視線を戻す。刻々と減るバイカル湖の淡水。ほかのどこの水でもなく、バイカル湖の水が問題だ。なぜなら、バイカル湖は──世界中の淡水の二十パーセント近くがあるからだ。
 ナユタの声がかすれる。
「地上から大量の液体の水がなくなると」
 うん、と苦々しくギフトもうなずく。
「地球の自転軸が、かたむく」

(続きは、本編で)

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