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◇◆試し読み◆◇
#6 伝説の勇者 タツキおにいちゃん
1
鈴の音がした。
ひとつや二つではない。たぶん十五個の鈴。神社で巫
女が舞うのに使う棒へつけた神楽《かぐら》鈴。──神
様へ呼びかけるのに使う鈴。
神様?
そうだ……ぼくは神様に礼をいって、それで。
岩井《いわい》クンはうっすらと目をあける。
ぼんやりとした焦点が徐々にあって、どっしりとした
風合いの堅木が見えた。格子状に組んである天井だ。畳
の香りが身体をつつむ。どうやら布団に寝かされている
ようであった。
ここは?
ゆっくりと顔を動かしてギョッとする。
隣に顔があった。
祥子《しょうこ》センセの寝顔である。
ええっ。なんで? 岩井クンの顔が赤くなる。
塩野《しおの》祥子特任准教授。岩井クンよりひとつ
年上、二十五歳の天才・美人・天然の岩井クンの指導教
員である。祥子センセは長い髪をゆったまま、ジーンズ
とふわゆるセーター姿で岩井クンに添い寝をしていた。
すやすやと寝息を立てつつ祥子センセの口が小さく動
く。
「──岩井クン」
ハイ、と思わず返事をした瞬間だ。
がばりと祥子センセが身体を起こした。
「岩井クンっ?」
「はい」
みるみる祥子センセの瞳に涙がたまる。「岩井クン、
よかったっ」と祥子センセが抱きついた。腹部に激痛が
走る。意識が再び遠くなる。
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「え? 岩井クンが目を覚ました? って、祥子センセ
なにしてんのおっ。岩井クンを殺す気っ? 離れてっ」
野太い声がして身体が軽くなる。オネエ声の主はモモ
ちゃん、祥子センセのSP《セキュリティポリス》であ
った。筋骨隆々の元一等陸佐であり岩井クンを大のお気
に入りの壮年男性である。
モモちゃんは祥子センセを押しのけて岩井クンの熱を
はかったり脈をとったり腹部患部を確認したりとせわし
く手を動かす。そのあいだ、口をふるふると震わせてい
た。目も真っ赤になっていく。
「……うん。大丈夫。熱もさがったし、脈も安定してい
るわ。患部も悪化はしてない。順調に回復している」
よかった、と続けてこらえきれずに「心配したわよお
っ」と咆哮した。涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
「岩井クン、一週間も意識が戻らないんだから。このま
ま目をあけなかったらどうしようって。ホントのホント
にどうしようって──」
右腕をぎゅっとつかまれた。祥子センセであった。祥
子センセも額を布団につけてわんわんと泣いていた。
その背後に気配を感じた。
水色の袴の老人が座敷の片隅にいた。手には神楽鈴を
持っている。合いの手をいれるようにシャンと鳴らす。
うん。知ってる。あの人は岩内町《いわないちょう》
の宮司さんだよね。Na・S蓄電池の材料になった塩の
所有地の神社の宮司さん。
ということは、ここは岩内の神社か。その社務所?
っていうか。
え……っと。
ぼくは生きてる?
あの状況から?
あんなに左腹が血だらけだったのに?
いま日本では──。
未曾有《みぞう》の大災害が起きている。
南海トラフを発端とする全国エリアでくまなく大地震
が発生。東日本大震災とおなじマグニチュード9クラス
の地震がどっかんどっかん起きている。くわえて火山噴
火が九州から北海道まで起きている。しかもいっときの
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災害ではなく数年続くと予想されている震災であった。
その中、岩井クンはSPのキジとともに陸上自衛隊の
ヘリで九州から東京に向けて自身が作成したNa・S蓄
電池のレクチャーをおこなっていた。途中でキジとわか
れ、岩井クンは陸自の大型二種車両で現場をめぐってい
たのだが。
故郷の愛知らしき現場で大きな地震に巻き込まれ負傷。
もうダメか、と思っていた。なにしろデカい金属片が左
腹部にささっていた。しかも痛くなかった。出血がとま
るようすもない。
悔いはなかった。しいていえば──視線を右側へ向け
る。肩を震わせて泣いている祥子センセ。祥子センセに
会いたいなあ、と思った。自分の気持ちがようやくわか
って。意識が飛びかかったとき、そうだ、あの現場でも
祥子センセが抱きついてきたんだ。
なんでぼくは助かったんだ?
あそこで祥子センセとモモちゃんさんがかけつけられ
るなんて、どんな魔法?
「魔法なわけないでしょ」
モモちゃんがティッシュで鼻をかむ。
「木慈《きじ》が岩井クンから離れた段階で動いたのよ」
「へ」
「陸自で木慈が岩井クンをおきざりにしたとき、祥子セ
ンセが動いたのよ。宇良《うら》氏に気づかれないよう
筆記メモで『岩井クンを助けにいこうよ』ってね」
絶対に岩井クンはピンチになる。
だって、そういう運命だからっ。
──運命という文字を読んで、モモちゃんは深くうな
ずいた。そうだ。これは運命だ。そうでなければ十月の
研究室配属で世界的著名者であった祥子センセの研究室
に、いくらこちらの指示であってもひとりで乗り込むこ
とはない、と。
だったら、とモモちゃんと祥子センセは目でうなずき
あう。
巻き込まれ引力をもつ岩井クンを助けられるのも自分
たちでないか、と。
それからは嶋太郎《しまたろう》にバレないよう必死
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に工作をして、モモちゃんが操縦してヘリで岩井クンを
追跡した。大活躍したのはシュワちゃん特製のタブレッ
ト端末。岩井クンが最後の最後までなかば無意識に手に
持っていた端末である。それに搭載されたGPSで岩井
クンの位置が判明した。
「途中から木慈の発信機も作動したから、誤差はほぼゼ
ロになって間に合ったってわけ」
「発信機?」
「あのコ、別れ際に岩井クンの背中を強く叩いたでしょ。
あのときジャケットに発信機を固定させたのよ」
なんとっ。……ぜんぜん気づかなかった。
相変わらずおそろしい人だ。
そうだ……キジさん、どうなったんだろう。大丈夫か
な。
それを問う前に和室に嶋太郎の声が響いた。
『馬鹿が──』
身体が動かないので視線だけを動かす。床の間にスピ
ーカーがおいてあるようであった。
『お前たちの行動など最初から把握している』
「へ? そうだったの? ならなんで怒んなかったの?」
『とめても祥子、お前がやめるわけがない。とはいえこ
こ東京対策本部から人を送る余裕も、指示を出せる状態
でもなかった』
「嶋太郎、キジに自衛隊全車種を運転できるスマートキ
ーの情報を伝えたときには、あたしたちに岩井クンを託
してた?」
ええっ、と岩井クンは視線だけでスピーカーを見た。
『そもそも東京の対策本部へ岩井クンを担ぎ込んでくる
なら、コソコソしても意味がないだろうが』
「だってそこしか治療できないっしょやっ」
なるほど。つまり、ぼくは愛知っぽいところで怪我を
して、モモちゃんさんに助けられて嶋太郎さんのいる東
京の地震対策本部で治療してもらったのか。で? そこ
にずっといるわけにはいかないから、こうして北海道の
岩内にいると。そういうことか。
──日本中が大混乱にある中ぼくだけがあり得ないほ
どの好待遇をしてもらって。岩井クンの胸に申し訳なさ
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が押しよせる。
『いっただろう? 岩井クン、君の安全が第一だ。君を
危険な目には遭わせない。だから頼む、と』
なんでぼくの気持ちがわかった?
『君のことだからどうせ、ぼくなんかのために、とか思
ったんだろうが。君にはこれからもまだまだやってもら
うことがある。地震は続いているんだ。……大怪我を負
わせてしまって申し訳ない。そこのシェルターで回復に
つとめてくれ』
シェルター?
ああそうか、そうだよな。
震度7クラスの地震がひっきりなしにそこかしこで起
きている日本。そこでこれほど穏やかにすごせているの
は、ここが祥子センセの秘密基地、スイングシェルター
の中だからか。
って、デカっ。
神社もまるごと入ってるだなんて聞いてないよ。
小さくシャンと鈴の音がした。目を輝かせて岩井クン
を見ている宮司が視界に入った。
あーそうだねー。
それで? こっちはぼく、どうすりゃいいんだ?
この神社の名前は──龍姫《たつき》神社。
ぼくの名前のもとになった愛知の神社は龍城《たつき
》神社。
同じ、呼び名。
偶然の可能性はゼロだ。
岩井クンはそっと目をとじる。