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にぎやかな足音がして、ダブルは我に返った。
「おおい! 第一報を出してくれや!」
案の定、タフだった。タフはラボに入るなり、書類を
ひらひらと振りながら、わざわざ転送機の奥にいたダブ
ルの前にまでやってきた。
「おっ? なんだ? ラボの中がすごくきれいだぞ?
ヘリウムがかたづけたのか? さすがヘリウムだな。お
前らだけだとラボはゴミ溜めだもんな」
ははは、と豪快にタフは笑う。あ、そう、と無視する
ダブルにタフは慌てて向き直った。
「『水ようかん』の第一報を出してくれや。大至急だ。
お触書みたいな感じでかまわん。ここで待ってるからさ
っさと頼む」
「なんでまた」
ダブルはあからさまに嫌そうな声を出す。
「地球上で民間人が『水ようかん』を食っちまう事件が
相次いでな。安全かどうかの問い合わせがじゃんじゃん
きやがって――」
「『食っちまう』って、『水ようかん』は全部回収して
いたんじゃないんすか?」
水素が黄色の椅子から立ち上がる。勢いで書類が羽根
のように舞った。水素は、はわわわ、と書類を押さえた。
「う、ん。まあな。そりゃ、回収してはいるんだが」
「きまってるじゃん。回収しきれないんだよ。ぼくの予
想だけどね。『水ようかん』の発生頻度は速度を増して
いるはずだよ。うちの社員数が何人だと思っているんだ。
2万個体を収集できただけでもいいほうだ」
「食って大丈夫なのか?」「食って大丈夫なんすか?」
タフと水素が声をそろえる。ダブルに顔を向けて、続
いて解析中のリチウムに顔を向けた。リチウムは、「え、
なに、僕?」と両手をばたつかせた。
「そ、そんなとこまでまだ解析できてない。大丈夫だな
んていい切れないよ」
「食いもんには違いないんだろ? ダブル、お前がアレ
は和菓子の『水ようかん』だっていったんだぞ」
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「3世紀前のね」
「えーと? だっていまも発生してんだぞ?」
「前にもしつこく説明したじゃん。もう忘れちゃったの。
だ~か~ら~。ああもう、いいや、めんどい」
ダブルはキャラメル色の椅子をくるりとまわしてタフ
に背中を向けた。
「ぼくには食べて問題があるとも問題がないともいえな
いな。食品であることには間違いがないし、毒物が入っ
ているわけでもない。だからといって安全だとはいえな
いでしょ。そもそも安全の定義は個々人によって異なる
わけだし。万人に安全だ、と謳うのは危険だろうねえ」
あぁ、でもぉ、とダブルは顎に手を当てた。『水よう
かん』そのものではなくて、二次的にショックを受けて
死ぬことは起こりうるかもねえ。そうだな。感受性はそ
れこそ個々人により異なるからな。
ダブルのつぶやきを珍しく耳ざとく聞きとめたタフが
詰め寄った。
「なんだそりゃ。どういうことだ」
「体験したものじゃないとわからないからねえ。説明で
きんな。オレはあまりにこころが純粋すぎて体得するも
のは何もなかったからな。エヘヘ。それはもとよりぼく
が感じ入っているからだよ。ああそうか。ならオレの感
受性の精度の問題ではないな。もちろん」
「は?」
「だけどさ。第一報でいくら強調して『食うな』と警告
しても、『水ようかん』を食うやつらは必ずいるぞ?」
砂漠のど真ん中に落ちている『水ようかん』。ずっと
飲まず食わずにさまよっていたものにとっては、たとえ
毒であろうと口にするだろう。もっと単純に、面白がっ
て食うやつらは続出だ。肝試しのように、「俺ってこん
なにワイルドなんだゼ」とPRしたくて食べるやつらは
どこにでもいる。和菓子の『水ようかん』を知っている
ものは世界中でどれだけいるだろう。単純に甘くて上手
いゼリーだなみたいに思われる程度だろう。
でもさ。そうだな。それもまた、地球の狙いのひとつ
でもあるんだろうねえ。貧民層はほとんど目にするだろ
うしね。インテリ層もこっそり食べるだろうからね。イ
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ンテリ層だからこそ、なんだかんだともっともらしい理
由をつけて食うだろう。だね。
「なら、どうすればいい? 放っておくわけにはいかん
ぞ」
「放っておけばいいじゃん。何を書いてもどうせ無視さ
れるんだから」
「なんでもいいから書くことに意義があるんだ。それも
RWMからの報告であることに意味がある。今回の検体
はRWMが一手に請け負っている。モジャ毛が泣いて頼
み込んできたんだぞ」
「モジャ毛くんが泣いているのはいつものことじゃん」
「お前がモジャ毛を泣かしているんだ!」
たまにはモジャ毛の役に立てや、とタフはダブルの襟
首を締め付けた。懲りない男だ。ダブルはタフに軽蔑の
眼差しを向けた。そして目にも留まらぬ速さで、身体を
低めてタフのかかとを右手でひょいとすくい上げた。タ
フの身体が宙に浮かび、作業台の上へ轟音を立てて滑り
落ちる。タフの「うおお」という声と水素の「係長!
なにすんすかっ! 書類が!」という怒鳴り声が入り混
じる。
「踵返し」
ダブルは両手の埃を払うように叩きながら技の名前を
口にした。「技の名前をたずねているんじゃないっすよ
っ」と水素が唾を飛ばし、頭を押さえつつ立ち上がる弾
みで書類を撒き散らすタフに水素は「止めてくださいよ
!」と涙を流す。
「第一報の報告書なんて1枚あればいいんでしょ。だっ
たらタフが書けばいいじゃん。『詳細は調査中』って但
し書きをしてさ。いかにも素人感満載でレポートすれば、
みんな勘弁してくれるよ」
「おま、いい加減にもほどがあるだろうが」
「ぼくらはプロだからね。適当になんて書けないぞ。だ
からたとえ第一報でも1枚どころか100枚の報告書に
なっちゃうね。そこまで作り上げるのに何ヵ月かかると
思うんだ」
ダブルは胸を張る。
「そんなに待てるか!」
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「だからタフが書きなよっていってんのさ。『命に支障
はない』程度にとどめておけばいいんじゃないの。いく
らお前でも報告書くらいはかけるだろう」
ふふんと鼻で笑ってやる。
「それともモジャ毛くんに書いてもらう? あいつなら
世間との折り合いにも慣れているだろうからな。タフよ
りはましな文章を書くだろうよ。というより、タフの書
いた第一報は間違いなくモジャ毛くんに添削されるだろ
うねえ」
だったら最初からモジャ毛くんが書けばいいんだよ、
とダブルは満面の笑みで結論づけた。
「タフだって忙しいでしょ? 慣れない報告書なんかに
時間を取られるより、書き慣れているモジャ毛くんに書
いてもらえばいいんだよ。エヘヘ。ひとには向き不向き
があるらしいからねえ。メモをいくつか渡しておけばあ
いつはきっちり書き上げるさ」
タフは作業台から降りると、真面目な顔つきでダブル
に「それはできん」と首を振った。
「確かにモジャ毛なら書き上げるだろう。引き受けもす
るだろう。だがな。オレがそれをやっちゃ、おしまいだ
ろうが」
「ん?」
「『水ようかん』はオレが持ち帰った検体だ。オレには
この検体に対する責任がある。お前らに渡して『ほい。
おしまい』ってわけにはいかんのだぞ。それにこれは技
術開発部の仕事だ。忘れているかもしれんがな。モジャ
毛は営業部員だぞ」
いや、管理営業部員だ、と訂正するダブルの声を無視
してタフの声には熱がこもっていく。それにしてもぼく
の踵返しを受けて平気なのかな。丈夫だうんぬんのレベ
ルじゃないな。ゾンビのレベルだよね。ぼくが弱くなっ
たわけじゃないよね。それはないだろう。タフが落ちた
衝撃で作業台にややヒビが入ったからな。だよね。ヘリ
ウムが無言で作業台の配線を直しているしな。だよね。
「ひとの話を聞け!」
タフがずいとダブルの眼前に顔を突き出した。不愉快
になってダブルは「聞いているよ」とタフの鼻を指でつ
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まんだ。
「モジャ毛は生きているのが不思議なほどの仕事を抱え
ているんだぞ。ずっと技術開発部にいるお前はわからな
いだろうが、あいつは月面本社での雑務をこなしつつ、
週の半分は地上で営業活動をしているんだ」
「そっちが本業だろうしね」
「あいつは営業部員であるにもかかわらず、庶務だけで
なく経理の手伝いや社員のカウンセリングの仲介や懲罰
の通達やら異動の発令書書きやら、なにからなにまでや
らされているんだぞ」
「タフの異動発令書を手渡したのもモジャ毛くんだって
ことだね。書いたのもモジャ毛くんで、いいわたしたの
もモジャ毛くん。それなのによくモジャ毛くんをかばえ
るな」
「あいつが下した判断じゃないだろう。それにもとはと
いえば、これはオレのミスが発端なわけで――、ってオ
レのことはどうでもいいんだ」
タフは大きく首を振る。
「とにかくこれ以上、モジャ毛の負担を増やすわけには
いかんし、これは技術開発部の仕事なんだ。第一報は技
術開発部で書くべきもので――」
「早急にっていうならタフが書くしかないね。ぼくに書
いて欲しいんなら、せめてリチウムくんの解析が終わる
ようにタフが手伝ってよ」
もちろんタフにそんな技術力はない。タフは「ぐ」と
言葉に詰まる。
「社内で憶測を語る分にはなにをいってもいいとは思う
んだよ。だけど第一報という公式文書にするのに、しっ
かりとしたデータがないのはまずいだろうが。しかも一
般民が見てわかるデータだ。なんどもいうけど、ぼくは
プロだから生データから『水ようかん』と識別できた。
一般人が生データを見てもただの数字の羅列だぞ。タフ
だってわかんなかったでしょ」
「う」
「返って好都合だよ。素人視点から第一報の報告書を書
けるのはタフしかいないってことだよ。すごいね。ちょ
うどよかったね。すべてのいきさつを知っていて1枚以
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内の第一報を書けるのはタフだけなんだからさ。うん。
こりゃもう、張り切って書くしかないよね」
ほれメモだ、とダブルはトレーの上にあった白紙の紙
にさらさらと要点を書き入れてタフに手渡した。
「くれぐれも無難な文書にしてよ。いいとも悪いとも思
えない文章じゃないと、あとでモジャ毛くんの仕事を増
やすことになるよ。モジャ毛はクレームも担当している
んだろう? タフがモジャ毛くんの仕事を増やすなんて
ことをしちゃダメだからねえ」
ううう、とさらにタフは身体を縮めてメモを手に取っ
た。よろめきつつ転送機の脇を通ってラボから出て行こ
うとする。
ラボの扉が開いたときだ。
タフは弾かれたように顔をあげた。
「じゃなくて!」
と唾を飛ばしつつ振り返る。
「そんなことをやりにオレはここへ来たんじゃない!」
今度はなんだい、とダブルは眉間にしわを寄せる。
「こんなに『水ようかん』だらけになって地球はどうな
るんだ!」
「いまさら!」
ダブルの声が裏返る。
(6 へ続く
)