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「限界っす! 係長! なんとかしてください!」
髪をかきむしる水素にダブルは、「えぇ」と不満げな
声をあげた。手は止めない。もう少しで全部反物質でで
きたパワー制御装置が完成するところだ。
キャンディー型に成形したあとはどうしようかねえ。
匂いをつけるなんてどうだ? いいねえ。バニラの匂い
のする反物質のパワー制御装置なんて、すごく無意味で
最高だ。むふふ、と笑うダブルの目の前に水素がどんど
んと書類を置いた。
「ちょ、水素くん?」
水素は眼鏡を光らせたままダブルの前に書類を積み上
げ続けていく。無言だ。口をへの字に曲げて一心不乱に
積み上げていた。あまりに無関心を決め込むダブルにさ
すがの水素も怒ったらしい。数段に分かれた書類はみる
みるダブルの作業スペースを圧迫していく。ゆらゆらと
揺れる書類の束の頂点に最後の一式を積み上げると水素
はダブルに詰め寄った。
「これが! 係長がいままで伸ばし伸ばしにして作成し
てくれなかった書類です! その数ぜんぶで317件!
すべて納期は過ぎています」
「我ながらため込んだもんだね」
「この書類の束の右側100件は納期を1年以上すぎた
もんです! とりあえず、それを片付けてください!
いますぐに!」
「えぇ。やだよ」
「この100件分くらいつきつけてやればタフもきっと
おとなしくなるはずですから! 100件分のチェック
はタフにとっても容易じゃないでしょうから! そうす
れば俺も少しはストレスから解放されますから!」
「まあ、タフは器用には見えないからね。1週間くらい
の時間稼ぎになるだろうね」
「じゃあやってください。さっさとやってください。じ
ゃんじゃんやってください」
水素はダブルの肩をつかんで左右に揺らした。
「だ、ダメだよ。そんなに揺らしたら――」
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ダブルがいいおわる前にダブルの手元で爆発が起きた。
反物質のパワー制御装置が通常物質と混じって相殺爆発
を起こしたのだ。爆風で317件の書類が宙に舞う。と
っさに防御シールドで自身を覆ったダブルとは対照的に、
水素は爆煙により顔を真っ黒にしている。とどめとばか
りに真っ黒になった水素の頭上に317件分の書類が降
り注ぐ。
水素はがっくりとラボの床に手を着いた。その間にも
水素のパソコンには新着メールの音が響く。水素の携帯
電話も鳴っている。確認するまでもない。発信元はすべ
てタフだ。
タフが技術開発部の総務係係長に赴任して、はや3日。
その間ずっと水素はタフからメール攻撃をされていた。
検体の分析結果の催促だ。
「結果なんて出るわけないっつうの! まだ測定すらし
てないんだから! タフの前に未分析の検体が821件
あるんだから!」
「そういえばいいじゃん」
「いいましたとも! だけどタフは『そんな821件な
んて後回しにしろ。オレの検体を優先すればいいだけの
ことだ。優先順位って言葉を知らんのか』って小馬鹿に
した言い方をしやがって」
「いいじゃん。やってあげなよ。タフのことだから分析
結果が出るまでずっと水素くんをいじめ続けるよ?」
「アイツにいってやってください!」
水素はヘリウムを指差した。ヘリウムは無表情のまま
目にも留まらぬ速さで固形物の安定同位体を測定しつつ、
ガスの安定同位体も測定していた。ヘリウム専用の作業
台には測定すべき検体が一列に美しく並んでいる。ダブ
ルが起こした爆発にもすかさず対応して検体を保護した
のだろう。検体は一糸の乱れもなく測定されるのを待っ
ているかのように並んでいる。検体に貼ったラベルの向
きまで斜め45度で統一されていた。
ヘリウムは測定装置に目を向けたままでぼそりとつぶ
やく。
「検体に優劣はありません。届いたものから測定する。
ボクの譲れないポリシーです」
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うおお。かっこいい。ダブルは頬に両手を当てる。
「感心していないで、あの頑固者をなんとかしてくださ
い。あいつの意味不明な主張のせいで俺はずっとタフか
ら絡まれ続けるんすよ!」
「ヘリウムくんは検体を愛しているからね。アンノウン
係に配属されたときから頑固なんだからいまさら治らな
いよ。タフを懐柔しろ」
「だから係長に100件分の書類をお願いしたんでしょ
!」
ひとに頼っちゃダメだよ、とダブルは散らかった作業
台の片付けを始めた。
こう見えてダブル、片付けは嫌いではない。むしろ好
きだ。失敗も好きだ。失敗したものの中から思いもよら
ない成分が発生することがよくあるからだ。今回もダブ
ルは真空のビンを取り出すと、反物質を扱っていた作業
台周辺の気体を収集した。
この中にどんな気体が混じっているかな。モジャ毛に
しつこく怒られるのが鬱陶しいから一応セキュリティは
かけていたものの、あの程度の爆発で済んだとはな。な
にか別の物質が発生したと思わないか? ありえるねえ。
わくわくするねえ。
ダブルが目を輝かせていると、リチウムが「係長―」
と軽い足取りで書類を持ってきた。
「こんな面白い問い合わせが来ていますよ。うふふ。情
報調査部からなんですけどね」
情報調査部か。ダブルは遠い目をする。そういえばソ
ラちゃんはどうしちゃったんだろう。ダブルは携帯電話
を眺めた。
タフが検体を持って現れて以来、ソラからのメールが
ぱったりと来なくなった。いやいや。それ以前も2日ほ
ど連絡がなかったから合計5日だね。5日も連絡をよこ
さないなどソラらしくない。
ケーキ型空間安定剤装置に問題があったか。ペンギン
型放射性物質発見器のオプション機能に惑わされたか。
はたまたコンペイトウ型煙幕剤を本当に菓子と間違えて
食べたんじゃあるまいな。ダブルの脳裏に疑惑がつぎか
らつぎへと思い浮かぶ。
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さいわい月面本社へ社員負傷とか死亡とか行方不明と
かの連絡は入っていない。モジャモジャ頭の営業部員の
パソコンに不正アクセスして得た情報なので間違いはな
いだろう。気になるのはソラの社章バッチに装備した所
在を示すGPS機能の作動が遅い点だ。起動してはいる
ものの、ソラの所在が5日前から更新されていない。
ソラちゃんになにかあったんだろうねえ。それは確実
だな。生きてはいるようだけどねえ。ぼくが渡した試作
装置を一般人が悪用したら問題だね。オレではなくてモ
ジャ毛が苦労するだろうからな。
「もう、聞いてくださいよ、係長」
リチウムがダブルの椅子に両手をかけた。媚びるよう
にダブルの顔を覗き込む。
「『火山噴火をおしとどめる装置は存在するか』という
ものなんですよ。うふふ。火山噴火ですよ? 火山です」
リチウムが意味ありげに繰り返す。ほほう、とダブル
も頬に手を当てる。リチウムと視線を絡めて2人で、エ
ヘヘ、うふふ、と笑いあう。
まさか情報調査部が技術開発部の作業を暴こうとした
わけではあるまいが、火山噴火を押しとどめる装置はま
さしく先月作りあげたばかりだ。もちろん試作品だ。リ
チウムが発案して、ダブルが磨きをかけた装置だ。
意図はない。面白そうだから作ってみただけだ。
「でもあれは量産できないよ? 『リスクが大きすぎる
』とかなんとか言っちゃってさ。会長あたりがダメだし
をするに決まっているからね」
「試作装置係を通して量産許可を取らなくちゃならない
という段階で無理ですよね。うふふ。『必要ない』と一
蹴されるにきまってますよ」
「耐久テストも必要だろうからねえ。RWMの商品とす
るからには『1000年先まで大丈夫』っていう謳い文
句が必要だろうからね」
「あ。僕。擬似2000年耐久テスト装置的なやつを試
作品で作ったんですよ。うふふ。まだ試したことはない
んですけどね」
「いいねえ。いまからやってみようか」
目を輝かせるダブルとリチウムに、水素が「いやいや
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いや」とダブルの白衣をつかむ。
「係長は317件の書類を作り上げてください。とりあ
えず100件分だけでもいいですから。ほら、俺がんば
って散らばったやつをあつめましたから」
見ると本当に作業台の上には爆発前と同じ状態で書類
の山ができあがっていた。
水素くんはまめだね。必死ともいうべきか。タフから
のメールは相当にしつこい文章なんだろうね。ぼくだっ
たらしつこいメールで応報するけどさ。水素はこの3年、
いかに簡略化した文章で書類を作成するかに情熱を注い
でいたから無理だな。ちぇ、残念。
「で? どうしましょう」リチウムが火山噴火の書類を
ひらひらと動かす。
「たっぷりと含みを持たせた文章にすれば。『不可能で
はない』くらいにしといてあげて。『理論的には可能だ
』くらいにさ」
「おや。係長にしては常識的ですね。どうかなさったん
ですか?」
うっふふ、とダブルは笑みを浮かべる。
「ぼくらが作った装置はきっと地球上の別組織でも作成
していると思うんだよ。実用化してるってこともありう
るよね。もちろん検証はしていないだろうな。そいつら
とは格が違うってことを証明したくない?」
「それはつまり」とリチウムもにやりと笑う。
「この装置を極めようと? うふふ。火山噴火を押しと
どめるだけなんてつまらないので、マントルの動きを変
える装置というのはどうでしょう」
「いいねえ。モホロビチッチ不連続面の密度を変える装
置とか。地上に噴出するマグマの成分を変換する装置と
か」
火山ネタは尽きませんねぇ、とリチウムも頬を染めた。
そのときだ。地鳴りがした。
誰かが激しく足を踏み鳴らしてやってくる、そんな音
だ。怒りに満ちた音だ。足音のひとつひとつに憎しみが
あふれている。足音は確実にアンノウン係のラボへ近づ
いていた。
なにごとだ、と水素とヘリウムとリチウムは身構える。
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のんきな顔をしているのはダブルだけだ。水素とヘリウ
ムとリチウムはダブルに構わず身の回りの整理を始めた。
突発的事故に慣れている水素とヘリウムとリチウムは
条件反射ができている。水素は総務係へ提出するだけに
まで書き上げた書類を両腕いっぱいに抱えた。ヘリウム
はラボの壁面いっぱいに並んだ装置の一時停止を行い、
測定準備の整った検体を防護シールドで覆った。リチウ
ムは火山の資料とヘリウムの測定結果データを保存する。
その間、ものの30秒。神業のような早業だ。ダブル
は水素の話が途切れてこれ幸いと試作装置の作業を再会
していた。突発的事故を起こしているのはいつもダブル
なので、水素たちのように免疫がなかった。今度はどん
な試作装置を作ろうかな。いや、その前に、このキャン
ディー型パワー制御装置のコピーを作って、誰かに試作
運転してもらわなくちゃ。やっぱりここはソラちゃんか
な。妥当なところだろうな。ソラならうまく身を守るだ
ろうしな。
水素が吹き抜け脇のらせん階段を滑り降り、ヘリウム
が壁面装置の脇で装置の保護に努め、リチウムが作業台
の下にヘルメットを被ってもぐりこんだ直後だ。
爆音がしてラボのドアが開いた。
もうもうと白煙がラボに立ち込める。不意打ちを受け
たダブルは激しく咳き込んだ。
「な、なに? どこのどいつだ。このラボ内で試作品の
爆発を起こすのはオレの特許だ」
「ふうん。そんなにいつもいつもここで爆発を起こして
いるんだ」
少女の声がした。
まさか、とダブルは目を凝らす。白煙の中に人影が浮
かんだ。人影はゆらゆらとダブルに近づいてくる。やが
て人影が明瞭になる。
2つにむすんだ長い髪に身長ほどもある長い杖を持っ
た、空色の青い瞳を持った少女だ。
「ソラちゃん!」
ダブルは満面の笑みで叫んだ。
(4 へ続く
)