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タフがアンノウン係の転送装置を手で叩いていた。
「これに! これに! これに! 本当にオレは送った
んだ! 動けこのやろう!」
機械に疎い人間は、思い通りに動かない装置を前にす
ると叩いてなおそうとする。
3世紀前から、いやもっと前からの人類の習性だ。も
ちろん直らない。叩いて直るなら技術屋は必要がない。
壊れたラジカセを分解しても修理どころか元の形に戻せ
ない、世の中のお父さんのようなものだ。
ゆえに当然、転送装置はなおらなかった。もとより壊
れているかどうかすら怪しい。その確認をする前にタフ
が転送装置の前に立ちふさがったのだ。
転送装置を叩き続けるタフの隣に『ヘリウム』がすっ
と立つ。Tシャツにジーンズの上に白衣をはおった20
歳前後の容姿の青年だ。
「な、なんだよ」
タフの問いかけに答えずヘリウムはタフの肩を押した。
もやしのように細いヘリウムが、筋肉質のタフをどんど
ん押していく。左手に蓋つきフラスコを持ったまま、右
手だけで押し続ける。そのままタフを転送装置の前から
排除した。相撲でいうなら押し出しか。
「大切な検体が送られてくる装置ですから」
むやみに触らないでください、とヘリウムは無表情な
顔つきでタフを睨む。
「だからこうしてオレの検体が出てくるのを待っている
んだろうがよ、って聞けよ!」
タフが怒鳴ったときにはすでにヘリウムは反対側の壁
面分析装置に戻っていた。
「ヘリウムにとって検体は命とひとしく大切なものです
からね」
と『リチウム』がタフの肩に手を置く。ダブルとはま
た異なる美少年のたたずまいのリチウムは長い髪を指先
で遊んでタフに流し目を送った。うふふ、とリチウムは
微笑む。
「万が一、転送装置にヒビでも入りでもしたら、タフさ
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ん、あなた、正気でラボから出られなくなるところでし
たよ?」
「お、脅かすな」
「どこか具合が悪いところはありませんか? すでにち
ょっとした菌を注射されているかもしれませんね。後ほ
ど医務メンテナンス係へいかれることをお勧めします」
「冗談は――」
いやいやいやいや、と大袈裟に手を振りつつ『水素』
がタフに近寄った。濃い顔に眼鏡姿の水素は2〇代後半
の容姿の青年だ。
「放射性物質だって投与したかもしれないっすよ。あい
つならやりかねない。ははは。リチウムだっていまなに
か注射したっぽいですし」
「単なる精神安定剤です。ご安心を」
「いつの間に! というかなにしやがるんだ、このやろ
う」
いいつつも体から力が抜けたようで、タフは膝を折っ
た。タフは肩で息をすると、くそう、負けるもんか、と
歯を食いしばって顔をあげた。
――水素くんもリチウムくんもヘリウムくんも、新顔
相手に全開だねえ。からかう相手がいるというのは楽し
いものだ。おかげでぼく、すごく暇じゃん。だったらも
っとゆっくりマシュマロ入りココアを飲んでいられたじ
ゃん。
職人は、と見ると真剣な眼差しで転送装置を見ていた。
透視しているかのような眼差しだ。検体の流れ具合から
タフが叩いたことによる転送装置のダメージ具合までを
計算しているような顔つきだった。
えぇ、とダブルは眉をひそめた。職人ってその手の人
体実験も自分にやってるわけ? 眼球に透視装置を装着
するとか? そりゃやるだろう。オレだってやってるい
るんだから職人がやらないわけがない。だけどさ。ぼく
と職人の実験目的は違うでしょ? あいつの実験目的は
たいてい地球のためだがな。むうう。
悔しければ自分も転送装置の欠陥原因解明に乗り出せ
ばいいものを、ダブルは自分の作業スペースへと足を向
けた。転送機の奥、吹き抜けそばの開放感あふれるスペ
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ースだ。キャラメル色の椅子の座って白衣のポケットか
ら携帯電話を取り出す。メールの新規作成画面を開く。
宛先は『ソラ』だ。
――ソラちゃん、おげんきですか。先日おくったコン
ペイトウ型煙幕剤バージョン18の使い心地はどうでし
たか――。
あれは砂糖菓子のコンペイトウに酷似させたからねえ。
間違って口に入れたりしていないだろうな。甘い味付け
までしちゃったからねえ。火薬を大量使用しているから
12粒あたりで致死量か。ソラちゃんが死んじゃったら
困るよね。だれが試作装置の外部試運転をやるっていう
んだ? あんなおいしいカモはそうそういないよ?
ダブルのメールの特徴は長文であるという点だ。
もちろん計算だ。相手が一見して読みたくなくなる分
量だ。ダブルのメールを無視しようとしたところにすか
さず重要事項を盛り込んでいく。うっかり見逃して相手
が身悶える姿を想像するだけで愉快になる。
もっともソラのレベルともなると、そうそう見逃すこ
とはない。適当に無駄な文書を読み飛ばし、重要事項だ
けを抽出する。それがソラが情報調査部員たるゆえんだ。
『雑多な情報の中から必要な情報だけを選別して記録す
る』。情報調査部員の必須技術だ。
それをわかっているだけに、ソラに対してはダブルの
メールも輪をかけて長くなる。ダブルは目にも留まらぬ
速さで何百文字を入力した。読み返すことなく送信をし
て、ダブルは首をかしげた。
いつもなら、数分も待たずしてソラから返信メールが
あった。それが今日はなかなか来ない。律儀なソラには
似合わない行為だ。
嫌な予感が胸をよぎったものの、ま、いっか、とダブ
ルは携帯電話を白衣のポケットに入れた。ダブルは、さ
てと、とやりかけだった作業に戻る。
自分用の試作装置の製作だ。
試作装置の製作は専門の部署がある。試作装置開発係
だ。そこではもっとおおっぴらに派手派手しい実験が日
々繰り返されている。実験失敗による爆発に備えてラボ
の構造もほかのラボに比べて頑丈にしてあるほどだ。
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ースだ それこそ自分自身を被験者として実験を繰り返
していて、アンノウン係以上に全員が年齢はおろか性別
まで不詳のありさまだ。中には一般的な人類の寿命をは
るかにしのぐのではないかという年齢の者さえいた。
実験動物や一般被験者を使わないのは、倫理的観念か
らではない。「そんな面白いことをどうして自分自身に
してみないでいられようか」という理由からだ。
試作装置開発係員だけではない。技術開発部員たるも
の、誰しも寸暇を惜しんで試作品の開発に努めるのはも
はや性だ。自分の興味がわいた分野へ意欲を注ぐことこ
そがRWMの技術開発部員の証だ。
ダブルの情熱を注ぐ相手は――反物質だった。
反物質とは、この世の物質の反対の性質を持つ物質の
総称だ。電子には反電子があり、中性子には反中性子、
クォークには反クォークといった具合だ。反物質に心奪
われているからこそ、ダブルはいま、RWMにいるとい
っても過言ではない。
「お、おま、なにやってんだ!」
タフがダブルの手元を見て素っ頓狂な声をあげた。
「なにって? 全部反物質でできたパワー制御装置だ。
キャンディー型にしてみようと思ってね。かわいいでし
ょ」
「なにに使うっつうんだ! どこに使うっつうんだ!
宇宙を壊す気か!」
「大袈裟だなあ。せいぜいどっかの月面基地がひとつふ
たつ、ふっとぶ程度だよ」
「ならいいか、ってそんなわけあるか!」
タフは身悶える。
ああもう、いちいちうるさいなあ。ダブルは半眼にな
った。
最初のうちこそ、タフの突っ込み具合も面白かったが、
こういちいち反応されると鬱陶しいばかりだ。さてと、
とダブルは白衣の中を漁った。この男をおとなしくさせ
るにはなにを投与してやろうかね。
ダブルの不穏な空気を察したのか、水素が「係長」と
ダブルに声をかけた。
「喉が渇きませんか? 乾きましたよね。バナナジュ
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ースを飲みましょう。おおい、ヘリウム。バナナジュー
スを係長とタフさんと、それから職人によろしくぅ」
ヘリウムはいましもガスクロマトグラフィーの装置へ
検体を注入しようとしていたところだった。それでも無
言のまま専用グローブを手につけると液体窒素の入った
容器からバナナを取り出し、砂糖と牛乳とともにミキサ
ーにかけた。
マイナス196度で凍りついたバナナを使用したバナ
ナジュースを作るのにヘリウムの右に出る者はいない。
「僕にも僕にも」とリチウムがヘリウムにせがんでいる。
バナナジュースというよりバナナスムージーといった食
感だ。
その隙に水素はタフの腕を引く。
「無駄ですよ」
「なにが」
「係長は反物質に取り付かれているんです。地球上で反
物質の実験をしているところを会長に発見されて、ここ
に拉致されて来たというくらいの話ですから」
「会長にか。なら――仕方ないな。そいつはさぞかし緊
急措置だったろうしよ」
タフはうなって腕組みをした。
職人が動いたのはそのときだ。
「どうしてそんなことをしたのっ?」
「へ?」
「転送装置の配管に大量の検体があるよっ。検体は10
個単位で10秒間隔で投入することになっているよねっ」
「え」
「まさかタフ。検体を転送装置に入れるの、初めてだっ
たっ?」
タフが無言になった。えええ、と水素とリチウムがタ
フを見る。
「だってタフさんってキャリア10年っすよね。いまま
で使ったことがないって、そんなのありうるんすか」
「うるさい! なかったものはなかったんだ!」
「うんっ。まあそれはいいよっ。初めてだったことは問
題じゃないよっ」
穏やかな中にも職人は『問題』というくだりに力を込
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める。さすがにバナナジュースに夢中になっていたダブ
ルもストローから口を離した。
「そういえばタフは検体を運ぶために小型ジェット機じ
ゃなくて輸送機で月面本社に来たって言っていたよね。
輸送機が必要なほどの量だったわけだ。そしてここで平
然とバナナジュースをすすっているからには輸送機の中
は当然、カラだろうな」
「当たり前だ。そんな非常識なことはしない。持ち込ん
だ検体は責任をもってすべて転送機へ送り込んだ」
胸を張るタフに水素が「ちょ、ちょっと待ってくださ
い」とうろたえた声を出す。
「それって何個くらいの検体なんすか」
「今回は3426個だ。あとで書類を送るが、今後もっ
と発生する可能性が高い。順次ここへ転送をするからよ
ろしく頼む」
「まさか、それを一度に転送機へ入れたわけじゃないっ
すよね」
タフが再び無言になった。
「入れたんすか」水素の声が裏返る。
「だれがどう考えても、そりゃ転送装置が詰まるわけで
すね。うふふ。タフさんが送る前の別の検体も転送装置
にははいっていたでしょうから。うふふ。そりゃもう完
全に詰まった状態ですね」リチウムが頬を震わせて続け
た。
「なんだよ、お前ら。よってたかってオレが悪いってい
うのか!」
「悪いんです!」
水素とリチウムの声が重なる。
「3426個ねっ。アタシには4247個に見えるから、
差し引いた821個が転送装置から取り出さずにずっと
放置していたやつだねっ」
職人の指摘に水素とリチウムが「うっ」と言葉に詰ま
った。
ダブルが人差し指を左右に振る。
「ダメだよ。送られてきた検体は連絡があった時点で回
収しないと。むしろ転送装置が詰まったのは放置してい
た821個のせいじゃないのか?」
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「ほらみろ。オレのせいじゃない」
「あきらかにアンタのせいでもあるから! アンタがと
どめを刺したから!」
水素とリチウムは声を高くする。
ダブルは白衣のポケットからカメ型多次元マップ装置
を取り出す。
ぼくには職人のようなセンサーを肉眼に取り付けてい
ないからね。ええと、どこで詰まっているんですとな。
ダブルはカメ型多次元マップ装置の甲羅の部分をペンで
星の字型になぞり、月面本社の見取り図を映し出した。
尻尾の部分を小指で押して、見取り図に転送装置の配管
図を加える。
「むう」
検体は消化不良を起こした小腸の内部のように散らば
っていた。職人がするりとダブルのカメ型多次元マップ
装置を覗き込む。
「時間がかかりそうだから、一度に処理するといいよね
っ」
「え? あ、職人、それだとウチのラボが」
ダブルが言い終わる前に、職人がダブルのカメ型多次
元マップ装置の配管部分を人差し指で4回叩いた。
とたんに転送装置が警告音を発した。
転送装置そのものが赤く点滅まで始める。
ヘリウムはバナナジュースを放り出して転送装置に駆
け寄り、ダブルは「職人はときどきすごい無茶をするん
だから」と職人の頭を手でおおって転送装置の前から飛
び退いた。
次の瞬間、ラボは轟音に包まれた。
同時に大量の検体が転送装置から吐き出された。
まさしく雪崩のごとくだ。吐き出でる検体はとどまる
ところを知らず、逃げ遅れた水素とリチウムとタフは「
うわあ」と声をあげて検体に飲み込まれていく。職人が
取った措置は強制排出装置だったようで、どうやら転送
装置は配管にある4247個をすべて排出するつもりら
しい。少なく見積もっても30分は排出が続く計算とな
る。
「ごめんねっ。ラボが散らかっちゃったねっ」
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轟音の中、職人はダブルににっこりと笑う。ダブルは、
やれやれ、と職人の乱れた髪を直した。
これは散らかるというレベルじゃないんだけどね。そ
れでも転送装置そのものが破壊されたわけではないから
最善の措置といえるんだろうな。下手をすれば月面本社
全域に検体が散らばった可能性もあったからねぇ。さす
がは職人だな。
職人は蝶の髪留めを直すと検体に視線を移した。その
まま検体全体をぐるりと眺める。先のほうで詰まってい
た821個をのぞくとほとんどが同じ大きさの検体だっ
た。それらがタフが持ってきた検体なのだろう。タフが
持ってきた検体は同じ大きさの真空パックに包まれた黒
色直方体だ。ぱっと見た分では手のひらにおさまる大き
さか。
黒色直方体を眺める職人の眼差しは始めは鋭く、やが
て優しげに緩んでいった。最後には愛しげにすら見えた。
そして満足したのかダブルの腕から離れるとぴょんと立
ち上がった。まるで地球を眺め終わったときと同じ顔つ
きだ。
「アタシそろそろラボに戻るねっ。追加注文のウサギ型
催涙弾2400個の納期があと1時間だからっ。ウチの
ラボのみんなもそろそろやきもきしている頃だしっ。タ
フが探していた検体が見つかってよかったねっ。めでた
しめでたしだねっ」
「ちゃんと納期を守るなんて偉いね」
「ダブルくんもたまには納期を守ったほうがいいよっ。
モジャ毛くんが泣いちゃうよっ」
「納期は破るためにあるもんだと、ぼくは思っているん
だよ」
最後に職人はダブルの胸元に顔を押し付けた。猫の胸
元に顔を押し付けるような仕草だ。それから、アハハ、
と顔をあげるとラボから走り出て行った。
走り去る職人のふわふわの長い髪を眺めてダブルはタ
フの検体を手に取る。
――これ、本当に「めでたしめでたし」だと思う?
そんなわけないだろう。だよね。だって、これってまる
で――。ダブルは職人が顔を押し付けた胸元に手を当て
☆
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る。
そして検体のひとつをそっと白衣の内側に隠した。
(3 へ続く
)