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◇◆試し読み◆◇
へ、とツルギは慌てる。ち、違うよ、と激しく両手を
振った。
「ディーバとはただの恋バナ相手なだけで、それに彼女
にはカッコイイ彼氏さんがいて」
必死でまくしたてるツルギに、ごめんごめん、わかっ
てる、とギアが目尻に涙をためて笑った。
「──ツルギ、彼女の彼氏に会ったことある?」
これまたギョッとする。彼女の彼氏は修繕部員の中で
部長とはまた異なる伝説の英雄じみた人だ。話題にする
のもはばかられるほどである。知らず知らず、ギア相手
でも慎重な声になる。
「……一度だけ」
「私も一度だけ。うん──凄いよね。半端ないオーラっ
ていうか、カリスマ性っていうか。なんていうか、あの
人と付き合えるディーバが凄いって思った」
ツルギは大きくうなずく。まさにそのとおりだ。
「その恋バナに付き合っているツルギも、割と凄いなっ
て私は思っているんだけどね」
へ、え? とツルギが目をしばたたいたときであった。
これまた前振りもなくいきなりイヤーモバイルからコ
ールがあったと思ったら、眼前をライトで照らされてバ
ギーがツルギたちに横付けされた。
ああそうか。十五分がたったのか。
ツルギはイヤーモバイルをタップする。声ではなく舌
打ちが聞こえた。碓氷である。
『時間だからモノクロを迎えに行け……って言おうとし
たところだったが。あのアホ垂れ、ギリギリまで粘って
戻りきったか』
残念ながら、と答えてツルギはバギーを見た。乱れた
髪を直しつつ、澄ました顔つきでモノクロがバギーから
降りて近よってくる。ギアが「あんた、勝手に使ったっ
ぽいバギー、ちゃんともとの場所に戻してきなよ」と怒
っていた。
「それより」
とモノクロはツルギに顔を向けた。
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「さっき露天掘り現場の事務所みたいなところで公爵を
見ました。放っておいていいんですか」
「え? あー、今回の案件措置のことを伝えに行ったの
かな?」
「険悪な雰囲気の中で公爵はポテチをかじっていました
が」
はあ? と声を裏返す。じゃあ止めろよ、とツルギと
碓氷の声が重なる。
「俺はその先の露天掘り表層のオイルサンド濃度が知り
たかったので。あと数メートル掘れば掘削できそうです。
だからこそ経営側が人手を欲しがったようですね」
『で、公爵は何をしていた』
と碓氷がイヤーモバイルから聞いてくる。
「どうしておれに聞くの。おれじゃなくてモノクロに言
ってよ」
『アイツは全然話を聞かない。フォローはお前がするし
かないだろうが』
言い返そうとして首を振る。無駄だ。おれの代わりと
いえばギアさんだけど、ギアさんがモノクロをフォロー
できるわけがないし。しょうがないなあ。
モノクロ、とツルギは声をかける。
「公爵はひとりじゃなかったんだよね。険悪そうって現
場監督と向き合っていたってコト?」
「囲まれていました」
え、と眉が歪む。
「そのあと、事務所へ人が駆けつけていたようです」
え、え? とさらに眉が歪む。ああ、と声を出しなが
らモノクロは手持ちの小型デバイスにパネル入力をする。
「あれは──どうやらここの経営者のようですね。んー。
ですが関係のなさそうな人物もいますね。政府筋らしい
です。それ以上は俺のデバイスでは追えません」
碓氷が怒鳴った。
『追えっ』
「何を」
『公爵に決まっているだろうが。あのアホ垂れがー。あ
れほど自重しろといったのに』
「……念のために言うと、公爵だって二年間訓練をクリ
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アしているんだから、彼の身を案じる必要はないと思う
けど?」
『当たり前だ。ヤツの身なんか案じていないわー』
「なら何を」
『いいから行けや。行けばわかるわー』
そう怒鳴られてツルギはポニーテールの髪をたなびか
せてモノクロの使っていたバギーに飛び乗る。あ、ちょ
っと、とモノクロが咄嗟にバギーにつかまり、ギアは軽
々とバギーの屋根に飛び乗った。
モノクロが「このバギーに三人は無理です」と声を荒
げる。
「いいから公爵はどこにいたって? 場所を教えて」
運転するツルギにモノクロは、ああもう、と吐き捨て
て、「もう少し東側です。あの一番灯りが強いところで
す」と指さした。
そして碓氷の言葉の意味を理解する。
モノクロがナビしてついた先、そこでは──。
黒光りする頑丈そうな乗用車が十数台も並んでいた。
明らかに雇用者用とは思えない。公爵の出現に慌てた経
営者が駆けつけたか。さらにはそれ以上もだ、と瞬時に
ツルギは判断する。伊達にNATOで暴れていたわけで
はない。
黒光りする乗用車に紛れて、いや、その半数以上がカ
ナダ自治体の公用車と軍部の諜報筋の関係者の車両があ
った。防弾ガラスどころではない装備がありそうだ。
碓氷が、自重しろ、と公爵に繰り返したのもわかる。
こんなところで白兵戦じみたことなどやりたくない。
オイルサンド現場だからではなく──こんなにまわり
に子どもがたくさんいるのに、である。あの人のいい中
年女性だっていた。嫌々働かされている彼らの父親たち
だっている。巻き込みたくない。
バギーを運転しながらツルギは碓氷に低い声を出す。
「公爵には碓氷が強く言うっていっていたよね。それで
も公爵はひかなかった。その彼をどうすればいいの」
『走れ』
はい? と首をかしげたところで、これまたその意味
がわかった。
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公爵の姿が見えた。
なぜか公爵は事務所の屋根にいた。そこで朗々と何か
講釈をしている。しかも片手にはいつもどおりにポテチ。
舞台俳優のように胸を張ってポーズを作り語り続けてい
る。
……なんであの人、わざわざ事務所の屋根に上ってい
るの?
映画のワンシーンごっこ?
で? ポテチ? ここでもポテチ? どんだけポテチ
だよ。しかもなんだかいつもに増して食べる速さが増し
てない?
さらには、その公爵と事務所を取り囲むように人の輪
ができていた。彼の言葉に聞き入っているわけではなさ
そうだ。誰もが険悪な雰囲気……というより殺気すら放
っている。
モノクロがイヤーモバイルをタップしながらぼそりと
つぶやく。
「『再生可能エネルギーと化石燃料エネルギーのバラン
スについて』」
「なんだって?」
とツルギは聞き返す。
「公爵の講釈内容です」
はあっ? とツルギとギアは声を裏返す。化石燃料エ
ネルギー現場のど真中で、それをうっとりと語っている?
何を考えているの、あの人。あおってどうすんのっ。
ツルギが涙目になったときであった。
嫌な予感がしてツルギは顔を上げる。
「ギアさんっ。早まらないでっ」
──遅かった。
ギアは彼らに向かって古めかしくも懐かしいパイナッ
プル型の催涙弾を放り投げていた。