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◇◆試し読み◆◇
ホナミさんの眼差しは冷ややかだ。端的に言えば恐ろ
しく機嫌が悪そうだ。初対面なら間違いなく「お、お邪
魔しました」と逃げ出すところだ。
可々雄は怯まない。
そもそもホナミさんの機嫌がいいところなど可々雄は
見たことがない。
カズさんが生きていたときですらいつも機嫌が悪そう
だった。
こういう人だと割り切っている。つねに機嫌が悪そう
にしていてもなお、凛として透きとおった風情をたたえ
た整った顔つきの遥と彼方の母親で、ここ波保神社の権
宮司だ。
そろそろ四十歳になるはずだが、カズさんが病死して
から大して年を取っていないようにすら感じる容姿だっ
た。すらりとした体型などそのままだ。さすがに二十代
というには無理があるが――。
「なによ」
ホナミさんが可々雄の心を読んだように睨む。
「なんでもありません」
可々雄は歯を見せる。
ホナミさんの視線がマカロンへ動いた。遥と彼方の様
子をちらりと見て、ふうん、と小さくうなずいている。
それからホナミさんは可々雄のマカロンに手をのばし、
しげしげと眺めだした。
思わず可々雄は正座をする。
しつこいけれども、可々雄がマカロンを作りはじめて
十四年。
可々雄はまだ一度もホナミさんから賞賛の言葉を得て
いない。
ホナミさんはひとしきりマカロンを眺めると今度は丹
念に匂いを嗅ぎはじめた。
匂いか……。
可々雄の鼓動が早まる。そいつは……指摘されても改
善できないな。
ようやくホナミさんはマカロンを口へと運んだ。ひと
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口かじり、目を閉じる。ホナミさんの口元が小さく動く。
生地の舌触りに生地の膨らんだ部分であるピエの滑らか
さまでを調べるがごとく舌で味わっているのだろう。
可々雄は思わず息を詰める。
――今日はどうジャッジされる? ひと月前みたいに
容赦ない言葉で罵られるのか、それともふた月前みたい
に嘲るような顔をされて無言で席を立っていくか。
そのホナミさんの頬がふっと緩んだ。
ホナミさんは残りのマカロンも口に入れる。
可々雄は目を見張った。
今までなかったことだ。
可々雄は腕を背中に回すとホナミさんに見られないよ
うに小さくガッツポーズを取った。
「カズの言っていたとおりね」
「へ?」
「可々雄くんには『努力を結果に結びつける力』がある
わ」
「そりゃ、多かれ少なかれだれにでもあるのでは?」
「馬鹿を言わないで」
ぴしゃりとホナミさんは断言をした。
「世の中そんなに甘くないわ。努力した人間が全員、試
験に合格できる? 努力だけで試合に勝てる?」
「う」
ホナミさんは遥が入れたほうじ茶で口をすすぐと真っ
直ぐに可々雄に向き直った。
「いいでしょう」
「はい?」
「これなら依頼ができるわ」
「なにを?」
「千五百個。まさかひとつだけ入れるわけにもいかない
から、2個でひとセットにしましょうか。千五百セット
ね」
ホナミさんは指で一と五を強調する。
「今月末にあるウチの例大祭で子どもに配る『おさがり
』を作ってちょうだい。もちろんボランティアとは言わ
ないわ。材料費も光熱費もひっくるめて可々雄くんの技
術料込みの報酬を支払いましょう」
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ホナミさんは指で一と五を強調する。
「今月末にあるウチの例大祭で子どもに配る『おさがり
』を作ってちょうだい。もちろんボランティアとは言わ
ないわ。材料費も光熱費もひっくるめて可々雄くんの技
術料込みの報酬を支払いましょう」
金額は――、と言いかけたホナミさんが呆れた声を出
す。
「ちょっと聞いているの? 可々雄くん」
聞いていなかった。
やっとやっとやっと、やっと!
ホナミさんに認めてもらえた!
可々雄は胸が熱くなり、両手を握って台所を飛び跳ね
た。
「聞いたか? お前ら。ホナミさんが。ホナミさんがオ
レのマカロンを!」
可々雄は遥と彼方の手を取る。遥と彼方はなぜか呆然
としたままで、抗うこともせずに可々雄に腕をつかまれ
た。可々雄はそのまま台所中を飛び回る。振動で揺れた
茶碗や皿がぶつかりあう音がする。
それでも可々雄はかまわずに、右手に遥、左手に彼方
の手をつかんで、三人で踊るように台所を動き回った。
……長かった。ほんっとうっっーに長かった! 可々
雄は涙目になる。
マカロンを作り続けた日々が思い出された。
カズさんが生きていた頃はカズさんの指導のもと、カ
ズさんがいなくなってからは独学でカズさんから学んだ
ことを思い出しながらマカロンを作り続けた。
あの『氷の十二月』があっても休むことはしなかった。
マカロン作りの命ともいえるマカロナージュ。
泡立てたメレンゲの泡をゴムべらででつぶしながら混
ぜるこの作業に、どれほど手こずったことか。
あるときはメレンゲの固さが足りずに焼きあがったマ
カロンの表面にブツブツができてしまった。またあると
きはマカロナージュが足りなくてザラっとした固い生地
に焼きあがった。うまく焼けたと思った直後、表面にヒ
ビが入ったことも数え切れない。
この原因がわからずもんもんと洋菓子の本を読み漁っ
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た。
五冊目の本に『卵白は割ってから二~三日おいたコシ
のないものを使うと上手に焼けます』という一文を見つ
けた。さらには『割ったばかりの卵白を使うと卵白のコ
シが強く、ふくらみすぎてヒビ割れます』という文章を
続けて見つけて、可々雄は頭に両手を当てて身もだえた
ものだ。
オレずっと新鮮なほうがいいとばかり思って割りたて
の卵白使っていたじゃん! それでも表面がきれいに焼
けたのは偶然だったのか!
そんな苦労がやっと報われたのだ。
可々雄は、わははは、と声をあげつつ遥と彼方の手を
取って踊り続ける。
「……わかったわ」
ホナミさんが低い声を出す。
「可々雄くん。明日もう一度ここに来なさい。そこで打
ち合わせをしましょう。今日はもう帰って頭を冷やしな
さい」
冷ややかに言い放ちホナミさんは可々雄に背中を向け
た。可々雄は遥と彼方の手をつかんだまま「はいっ!」
と元気よく返事をする。
「じゃあ、オレ帰るわ!」
ようやく可々雄は遥と彼方の手を離す。
二人は無言で可々雄から離れた。明らかに様子が変な
のに、浮かれた可々雄は気づけない。「じゃあなー」と
大きく手を振って、可々雄は帰路についた。
浮かれた足取りで帰宅するとクルミが「ご飯だよー」
と声をかけた。
可々雄は「おうっ」と機嫌よく食卓につく。
「……なんかお兄ちゃん気持ち悪いよ? 遥さんとなに
かあったの?」
「ん? なんだ? オレのエビフライが欲しいだと?
しかたないなあ。ひとつだけだぞ」
「一番大きいのだよ、お兄ちゃん! どうしたのさ」
「今日のマカロンは今までで一番のデキだったものね。
うふふ。むこうで絶賛されて舞い上がっているのよ、放
っておきなさいクルミ」と母親が可々雄の前に味噌汁の
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椀を置いた。
なに、と父親が夕刊から顔をあげる。
「お前また平日に菓子を作っていたのか。まさか学校サ
ボって作っていたんじゃないだろうな。勉強をしろ、勉
強を」
「あはは。大丈夫っすよー。ちゃんと最後のショートホ
ームルームまで受けたし、英語の小テストは満点だった
から」
むぐう、と口をつぐむ父親に一泡吹かせたとも思わず
に可々雄はふわふわした気分のまま味噌汁をすする。
そのままふわふわとした気持ちで風呂にも入り、ふわ
ふわとした気持ちのまま布団に入った。
こんなにしあわせな気持ちのまま安らかな眠りにつく。
これ以上のしあわせがあるだろうか。いや、ない。
むふむふと可々雄は頬を緩ませて布団を肩まで引き上
げた。
*
――眠りはすぐにやってきた。
気づくと可々雄は真っ白い空間にいて、そして可々雄
は「うおう」と飛びのいた。
白狩衣に白袴姿の一同、一千人ほどの一同が、可々雄
へ一斉に土下座をしていた。
一同は一斉に声をあげる。
「可々雄さま。どうぞ、世界をお救いくださいませ」
「はいっ?」可々雄は裏返った声を出した。