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◇◆試し読み◆◇
おおお、と再度声があがる。
「ぷっくーって膨らむ。すごい。おいしそう。いいにお
い。もう食べてもいいの?」
祥子センセが目を輝かせる。ああちょっと待って、と
軍手をはめた手で岩井クンは制した。
「熱いし、まだ味がついていません。何味にします?」
「甘辛味~」
了解です、と岩井クンはあらかじめ作ってきたタレを
膨らんだかきもちへハケで塗る。軍手で裏返し裏面にも
塗って、乾いたところを祥子センセの皿へおいた。
「いっただきまーす。あっち、うわ、さっくさく、ふっ
わふわ、おいひい~」
満面の笑顔になった祥子センセに岩井クンは目を細め
る。
「僕は塩味がいいな」
「アタシは甘いやつ」
嶋太郎とモモちゃんの注文に、はいはい、と答え、岩
井クンはパーカー姿の青年に顔を向けた。
「キジさんはどうされますか?」
「僕までいいんですか? なら塩味でお願いします」
「はい」
「それからもっとラフな口調で構いません。ほかの学生
に怪しまれますし」
ひとまわりも年上の人にいえるか、と思いつつも、ハ
イ、と返答をする。
「僕も『タツキさん』って呼ばせていただきます」
はあ、と答える岩井クンと「なんですってっ」と声を
裏返すモモちゃんの声が重なる。
「木慈《きじ》―。あんた調子にのってんじゃないわよ。
アタシの岩井クンのファーストネームを呼ぶだなんて。
レイチェルたちならまだしも。馴れ馴れしいにもほどが
あるわっ」
「だからこそです。藻茂《もも》先輩と同じ呼び方をす
るなんておそれ多くて。だから『タツキさん』にしまし
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た」
うぐう、とモモちゃんが唇を震わせる。
モモちゃんを先輩と呼ぶ学生風の青年、彼は岩井クン
専属のSPであった。
ずっと気配を感じつつも数カ月姿をあらわさず岩井ク
ンの警護をしていた人物である。モモちゃんが「アタシ
の後輩よ。優秀なの。そろそろ紹介するわね」と告げて
ひと月が経過しての対面である。
岩井クンの前でずっとにこにこと笑っている青年。
どこからどう見ても学生にしか見えないのだが──。
「彼が木慈。岩井クンが十月にここへ配属してから岩井
クンについていたSP。こう見えても三十二よ」
「さんじゅうにっ」
失礼とはわかっていても思わずひらがなでさけんだ。
「すごい童顔でしょ? 陸上自衛隊時代はコレで苦労し
たみたいだけど、SPになってからは重宝しているのよ
ね」
ハイ、とキジはあどけなく笑う。現役入学学生の友人
・秋吉《あきよし》と同年齢、二十一歳くらいにしか見
えない。肌もつやつやである。しみじみと見ていると、
「タツキさんほどじゃないですよ」と返された。
どうしてぼくの気持ちがわかったっ?
「ダテにSPをしていません。はふはふ、本当だ。これ
は芳ばしくておいしいですね。いや、タツキさんが作っ
たからですかね」
「木慈―。あんた本当に調子にのるんじゃないわよっ。
それに『タツキ、タツキ』って馴れ馴れしくて聞いてる
こっちが腹が立つわー」
モモちゃんがドスのきいた声を出す。慣れているのか、
キジは意に介することなく「そうだ先輩」と明るい顔を
モモちゃんへ向ける。
「タツキさんにキッチンカーを使ってもらうのはどうで
すか?」
「キッチンカー?」
「大学構内でも体育館前とか中央図書館前に昼になると
出ているアレですよ。車内で料理を作って販売している
ヤツ」
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「……二月にそなえて? 二月にそんなコトしている暇
があると思ってんの?」
「なくてもタツキさんなら身近なものでやりそうですし」
うぐう、とモモちゃんは再び黙る。
二月……。
岩井クンは視線を伏せてかきもちを焼く。
二月になにかが起きる。だからそれまでにNa・S蓄
電池を三万個作るように岩井クンは祥子センセたちから
無茶苦茶な厳命をされている。バイト代も出る。楽に生
活できるほどの金額である。そしてこれは学会やデモン
ストレーションで使うのではない。
ならば二月になにがあるのか。
起きるのか。
ずっと知らされずにひたすらNa・S蓄電池を作らさ
れ続けていた。けれどいまはもう──。
岩井クンの思いをくんだようにモモちゃんが肩をすく
めた。
「わかったわ。木慈、手配を頼むわ。ハードなタイプの
車両にして」
「はい。あ、こんなに大量にあっても食べきれないでし
ょうから、かきもちも積んでおきますね」
えー、と不満の声をあげる祥子センセへキジはにこり
と「タツキさんのアパートにも五箱も届きました。それ
をここで食べては?」と告げた。
だーかーらー、なんで知ってんのっ。どこまで知って
んのっ。
ぼくのプライバシーは?
そこまで思って岩井クンはハッとする。
ひょっとしておばちゃんたちの前にあらわれた『普通
の学生さん』って。
「ああ、僕です」
さらりと答えるキジに、岩井クンは両手で顔をおおう。
お願いだから声にしていないことに答えないで。優秀
なのはよくわかったけど、こわいじゃんっ。
その翌日のことであった。
学食へ向かっていると、岩井クンは背中を叩かれた。
見知らぬ教員風の人が立っていた。
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警戒した視線を向ける岩井クンへ「ああそうか急にご
めん」と教員風の人は慌てて続けた。
「僕は応用エコマテリアル分野の助教。塩野研の岩井ク
ンだよね」
「……そうですけど」
「頼みがあるんだ。つなひき大会に参加してくれないか
な」
「つなひき大会?」
思いっきり顔をしかめる。この人、なにをいってんだ?
「明日からあるんだよ。ほら」
自称助教は斜め前にあるポスターを指で示した。
……本当だ。北大工学系つなひき大会ってある。って
いまは一月だよ? ……こんな真冬につなひき? なん
でつなひき?
疑問符が頭の中をかけめぐる。そもそも目の前の人が
本当に助教という保証もない。岩井クンはなおも警戒し
た声を出す。ヤバい目にはこの数カ月、本当にイヤにな
るほど遭っている。いまさらとは思うが、まだ君野総長
の手が回っている?
「……応エコマテっていいましたっけ」
「うんそう」
いいながら自称助教はポケットから職員証をとり出し
岩井クンへ見せた。本当に助教のようであった。それは
それで、学生へわざわざ親切に身分証明をするのも怪し
い。
あの、と岩井クンはなおも警戒したまま声を出す。
「塩野研は応エコマテじゃないんで参加するのはどうか
と」
「大丈夫。細かいことをいえば塩野研ってエネルギー変
換マテリアルに入るから応エコマテに関係するし」
大学独自のそのへんの分類になるとややこしすぎてよ
くわからない。しかたなく黙っていると助教は続けた。
「そうじゃなくても、どこも人手不足だから大会をやる
のに助っ人はOKなんだよ。さすがに観光客はNGだけ
ど学生ならとおりすがりの歯学部生でもいいくらい」
ずいぶんといい加減だな。あきれる岩井クンへ、「じ
ゃあ明日頼んだよー」と明るく声をかけて助教は去って
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いった。
……うーん。出るのはいいとして、なんでぼくを誘っ
たんだ?
思わず顎に手を当てる。近くにいるはずのキジに相談
しようとふり返ったときであった。
見覚えのある二人が手をつないで近づいて来る。広い
とはいえない廊下を肩をよせ合い楽しげに歩いていた。
手は指を絡め合った恋人つなぎであった。
なんとまあ、わかりやすいヤツらだ。
思わず岩井クンは腕を組む。
あ、と顔を向けたのは優花《ゆうか》ちゃんのほうで
あった。秋吉は自慢げな笑みを岩井クンへ向ける。
「あ、あのね。私たち……」
「見ればわかる」
そして岩井クンは拳を作り、そっと二人の額をコツン
と叩いた。
「遅すぎるでしょ。つき合うまでに三年かかるって、高
校生かよ」
優花ちゃんははにかんで頬を赤らめる。
秋吉も優花ちゃんも岩井クンが大学へ入ってずっと親
身につきあってくれる大切な友人だ。大切すぎて、ひと
月前は優花ちゃんのために岩井クンは肋骨を数本折ると
いう事態に陥ったほどである。
岩井クンは優花ちゃんへ小声でたずねた。
「研究室、かわれた?」
「北キャンパスの蓄電池をやっている研究室に入れたわ。
秋吉クンがいろいろやってくれて。リチウムイオン電池
なの」
「あー。最近また流行りだもんね」
「さすが。知っているんだ」
「シュワルツネッガー教授が何本か論文書いてて。祥子
センセから読むようにいわれたからね」
「シュワルツネッガー教授。守備範囲、広っ」
秋吉が目を丸くし、飯食おうぜ、と学食へ歩き出す。
うん、と嬉しげに続く優花ちゃんに岩井クンはやわらか
く目を細めた。
──先月、意を決して君野総長と話をしてよかった。