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 ヘリウム特製のぷるぷるした水ようかんにアツアツの玄米茶がラボの作業台に所狭しと並んでいた。水ようかんの下には鮮やかな緑色の葉まで敷いてある。つややかな水ようかんは見た目もおいしそうだ。
「お好みでトッピングにあられをどうぞ」
 ダブルの隣りでは職人がピンク色の椅子に座っていた。小さな手で湯のみをつかみ、息を吹きかけている。
「ほうじ茶もいいけど、玄米茶も香ばしくておいしいねっ」
 職人は何事もなかったかのようにダブルへ微笑んだ。ダブルはヘリウム特製の水ようかんを口に含む。こしあんのまろやかな甘みが口いっぱいに広がった。舌触りもとろけるように滑らかだ。和菓子を食べなれていないソラがゼリーと評するのもうなずける舌触りだった。混じりけのないシンプルな味わいだ。
 ラボのドアちかくで水色の椅子に座ったソラも目を細めてヘリウム特製の水ようかんを頬張っていた。茶色の椅子に座ったタフに至っては手づかみで食べていた。
 なんてもったいない。ひとつ作るのにどれだけの時間がかかったことか。それを一瞬だよ。育ち盛りの子どもを前にした母親の気持ちがよくわかるな。
「なんだ。いいじゃないか。たくさんあるんだろう? たくさん食っていいんだろう?」
「この人数でいきますと、均等に食べたとしてひとり当たり142個は食べても余ります」
 かっきり1000個作りましたから、とヘリウムは抑揚のない声でタフにコンテナごとヘリウム特製水ようかんを差し出した。おおう、とタフは目を輝かせてコンテナを膝の上に載せた。本気で142個を食べるつもりらしい。
 せっかく理論尽くしで疲れた脳とタフの反応に対するイラ立ちを抑えるために糖分を取ろうという計らいが台無しだ。
 ソラが頬にヘリウム特製水ようかんのかけらをつけたままダブルに顔を向ける。
「んで、ダブルっちはどんなメッセージだと思ったの?」
「それはすでにソラっちが体験したでしょ。まあ、あんな感じかな。もともと言語化できる種類のものではないと思うんだよね。いろんなひとに散々いってきたことだけど。しいていえば、個々人のパラダイムシフト、意識改革だ」
「意識改革? また大きくきたね」
「あの『水ようかん』を食べて受けるインパクトは個々人によって異なるだろうからね」
「ちょっと待ってよ。ダブルっちは『水ようかん』を食べることを推奨しているの?」
「どっちでもいいよ。関心がない、というのが正しいな」
 ぼくが大好きなのは反物質であって地球じゃないからねえ。エヘヘ、とダブルは悪びれることなく笑う。実際食べてもなにも感じなかった、ということまでは伝えない。聞かれてもいないし、いまは無駄な情報なだけだ。
「だけど、食べなければ意識改革できないなら、食べなければ地球のメッセージを受取れないことになるだろうが。お前は『食うな』といったよな」
「『食べても害はない』っていったんだよ。もうタフが変な第一報を書くからソラっちにも怒鳴られちゃったじゃん。それに大丈夫だ。『水ようかん』が発生すること自体が地球のメッセージだからな。さっきの実験でそれが立証できたわけだよ」
 んんー、とソラが片手にヘリウム特製水ようかん、片手に玄米茶を持ったままうなった。
「なんかさぁ。釈然としないよ。『デイジーワールド』の実験で『水ようかん』が『ガイア理論』を助長するのはわかったよ。『ガイア理論』があるっていうのもわかった。『地球そのものが巨大な生命体だ』っていうのも納得できた」
 だけどね、とソラはヘリウム特製水ようかんをつかんだ手をダブルへ突き出す。
「どうして『水ようかん』なのさ。どうしていま『ガイア理論』なの?」
「ソラっちはどういうときだったら納得するの?」
「……大規模な戦争をやっているときとか? 大規模な兵器を開発しているときとか? 大規模に地球環境が破壊するような事態のときとか? とにかく地球がめちゃくちゃ危機的状況のとき、かな」
「いまが危機的状況ではない、っていうのか」
 タフが深刻な声で応えた。両手にヘリウム特製水ようかんを持っているという姿勢で、あまりに真剣な声だったので、思わずその場にいたものすべてがタフを見たくらいだ。
「ヤバイだろうが。めちゃくちゃ、いまヤバイだろう。うちの仕事がひっきりなしなくらいにヤバイんだぞ? 情報調査部がそういう認識じゃなかったなど心外だ!」
「なにも怒鳴らなくても。ヘリウム特製水ようかんごと唾を飛ばさないでくださいよ」
 水素がタフへ実験用タオルを渡す。おおすまん、とタフは躊躇なく実験用タオルで口をぬぐった。
「ずっとヤバイ状況が続いているから感覚がマヒしているのもわかる。だがな。地球は本当にヤバイんだ。だからこそこうしてメッセージを送ってきたんだ。そうだろ?」
「どうだろうねえ。少なくともこうして本気で地球のことを案じている人間がいることは地球にとって喜ばしいことなんだろうねえ」
「褒めているのか?」
 もちろん、とダブルは満面の笑みを浮かべる。『水ようかん』を食べずしてここまで語れるなどすばらしい。これで『水ようかん』を食べたらどうなるか。ある意味「オレは食わん」と決断したタフは正しいのかもしれんな。食べたらぶっとんじゃって帰って来れなくなるかもね。タフが帰って来れなくなって困るのか? あれ? そっか。困んないか。
「困ってくれ」
「じゃあなんで『水ようかん』なの? メッセージにするなら別のものでもいいじゃん」
「ん?」
 ダブルはちらりと職人を見る。職人はヘリウム特製水ようかんにかぶりついていた。満足そうに頬を動かしている。リスのようだ。
「そりゃやっぱりインパクトを大切にしたんでしょ。鉱物だったら『新種の鉱物が発生した』と別方面の話になっちゃうし、生物だったら『新種の生物が発生した』とこれまた別方面の話になっちゃうじゃん」
 ――おそらく、地球が意図していることからはかけ離れた方向へ話は進むだろう。なにしろ人間が間違った解釈をしたとして、地球には訂正をかける手段がないのだ。
「ソラっちだって思ったでしょ。なぜに『水ようかん』、ってさ」
「……思ったよ」
「それが狙いじゃないの? 意表をつく。実にすばらしいアイデアだ」
「なんか、なんか、なんか釈然としないんだけど。それだけのために地球上を『水ようかん』だらけにしたってわけ? もっとほかの理由はないの?」
 地球上には確かに『水ようかん』が続々と出現している。けれど、実は、発生地点は増えていない。
 同じ地点からぞくぞくと湧き出している。
 無分別に発生しているわけではない。
 6225地点。
 この地点数が増えることはない、ことがソラに依頼した調査データからわかった。
 だからこそ、ソラのいうように、『水ようかん』の密売行為が始まらんとしているのだろう。偶然発生した『水ようかん』を入手するのではなく、発生地点に出向けば『水ようかん』を手に入れられるのだから。それまた地球の意図なのだろう。その地点を人間が目にする機会が多い。なにしろ発生地点はどこもかしこも地球環境的に問題がある地点だ。
 アメリカ五大湖のスペリオル湖、アマゾン川流域各所、オーストラリアのキャンベル、アイスランドのバトナ氷河、エジプトのアレクサンドリア、バングラディッシュ、ボストン、西南極氷床のロス棚氷跡地およびロンネ棚氷跡地、アルプスのモンテローザ、イギリスのハンバー回廊地帯、シドニー、フェロー諸島、ロコール島近隣海底、モロッコ、モーリタニア、ペルー、カリフォルニア、地中海沿岸一帯、紅海・アデン湾、南アジア湾、東アフリカ沿岸、西・中央アフリカ西大西洋一帯、カリブ海、南アメリカ西大西洋沿岸、南アメリカ東太平洋沿岸、東アジア海一帯そして大地溝帯――。
 自然環境が乱れた地域もあれば人間が直接的に手を加えて問題が発生した地域もある。そしてあらためて強調するならば、すべてがRWMが仕事に関わった地点でもあった。
 ダブルは職人を見る。職人は頬にまつげの影を落としてヘリウム特製水ようかんを両手で食べていた。まるでこの問題には関心がないかのような顔つきで、関心があるのはヘリウム特製水ようかんのことだけのような顔つきで、ひと口ひと口愛しそうに食べていた。
 やれやれ。ダブルはこっそり肩をすくめる。ほんのわずかだけど職人の耳たぶが後ろに反り返っているよ。オレたちの会話に興味津々なのがまるわかりだな。もっともこんな小さな職人の変化を読み取れるのはぼくぐらいのもんだろうけどね。ぼくにはバレているってわかっているんだろうけどさ。つまりは周囲はだましとおそうということか。信用されたもんだねえ。
 ダブルは栗色の髪をかき上げる。
「だれもかれもが『ガイア理論』を知っているわけじゃない。『地球システム科学』を知っているやつのほうが少ない。科学者だってそうだよ。情けないことにうちの水素くんとリチウムくんもすぐには思いつかなかったくらいだからねえ」
 水素が書類の束を持ってダブルに背を向けた。リチウムも澄ました顔つきでらせん階段脇へと移動する。ヘリウムも残りのヘリウム特製水ようかんをソラとタフと職人に取り分けると無言で席を立った。
 ヘリウムくんはさておき、こういうときだけはみんな働き者になるんだよね。まあぼくもだけどさ。口を尖らせてダブルはヘリウム特製水ようかんを口に入れる。
「地球はずっと歯がゆかったんじゃないかな。なんだか自分のことをほっぽって地球は宇宙移民すら可能にしようと張り切っているけど、お前ら自分らの根っこの地球のことをちゃんとわかってんのか、的にさ」
「ダブルっちは宇宙移民に反対なの?」
「たとえだよ。べつに人間が宇宙で暮らし始めようと関心はないよ。すでにぼくらはこうして月面で暮らしているわけだしね。オレがいいたいのは地球のことだ。根っこが腐れば葉も腐るんだよ」
 わかっているのか、とソラを見る。
「多分だけどね。ずっと地球はメッセージを送りたかったんじゃないのかな。方法がわかんなくてさ。そんでやっとわかって送ったんだよ」
「それで『水ようかん』を送りつけたってわけ? そりゃまたずいぶん悠長だね。地球環境を人間がめちゃくちゃにしはじめたのは、それこそ3世紀も4世紀も前なんだよ?」
「相手は地球だよ? 『ヤバイのお』と思ってから、『メッセージでも送るかのお』と思って、実行するまでにどれだけの時間がかかると思うんだい? 時間感覚が人間とは違うんだ。むしろぼくは人間が滅亡する前にメッセージを受取れてラッキーだとすら思うよ」
 職人がぴくりと目を動かす。ラッキーという言葉に反応したらしい。思わずダブルは職人に同意を求めて、ね、と職人の顔を覗き込みたくなった。職人はどんなふうに反応するだろう。笑い返すかな? 知らんぷりを続けるかな?
 いずれにせよ、とダブルは残りのヘリウム特製水ようかんを口に入れた。科学的実験はひととおり済んだことだし、こんなふうに回りくどいことをするのはもう終わりだ。
 たねあかしといこうじゃないか。
「地球はいつまで『水ようかん』というメッセージを送り続けるつもりかな。まさか、ずっとってわけじゃないよね」
「その心配はいらないよ」
 ダブルは自信たっぷりに答える。
「もうすぐだよ」
 もうすぐだ。もうすぐ、終わる。
 職人は最後までひと言も発することなく、うっすらと笑みを浮かべてヘリウム特製水ようかんを食べていた。

(第6章の1 へ続く)

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