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「つまり恋人さんじゃなくて、ソラちゃん自身が淋しいんだねっ。だから不安になるんだねっ。RWMの仕事をしていると頻繁に会うことはできないもんねっ」
「そうなんだよ。会いたくて会いたくて堪らなくて。でも会うと今度は離れないといけないでしょ? ずっと一緒にいるわけにはいかないもん。それがすごくつらいんだよ」
「RWMの仕事を勧めたのは恋人さんなんだよねっ。ソラちゃんが能力を遺憾なく発揮できる職場だからって考えてくれたんだよねっ。アタシは遠距離恋愛の経験がないけどっ。RWMの社員でいる限り、近くにいてもなかなか会えないってことはいえるかもっ」
「そうなの?」
「距離は関係ないんだよっ」
 職人とソラは初対面だ。ダブルがソラといっけん仲良く会話しながらカフェへ来て、しかもソラがダブルの好きなマシュマロ入りココアを注文するという事態に職人は出くわした。どんな修羅場が展開されるものかとダブルは身構えていたのだが――。
 苦し紛れにダブルが勢いよくソラを職人に紹介すると、ソラは「あなたがウサギ型催涙弾装置を作っている職人さん」と目を輝かせ、「なんて可愛いんですか」と目を潤ませ、ついでに「相談があるんです」と職人の両手をつかみ、みるみるソラの口調はため口になるという始末だった。
 なまじ隣りに悪評高いダブルがいるだけに、見かけの愛らしさに加えてソラの中では「あの匠の『職人』」と職人の評価はうなぎのぼりになったのだろう。それでなくとも、職人はダブルと違って社員の評判はとても高いのを忘れていた。
 まあ杞憂で済んでよかったよ、と職人の評価を上げるのに自分がひと役買っているのを不満に思いつつ、ダブルは胸をなで下ろす。
「なら結婚しても意味がないってことかな。RWMをやめることはできそうもないし、状況はまったく変わらないわけだし」
「ソラちゃんはどうしたら安心できると思うっ?」
「え?」
「恋愛の究極形は心中なんだよっ」
「……実はいっとき考えたことがある」
「やらなかったのは情報調査部のお仕事が楽しいからだよねっ」
「う」
「ソラちゃんはRWMが好きなんだねっ。恋人さんとは別次元でっ。だったら子どもをつくるっていうのはどうかなっ」
 おいおいおい。ダブルは目を丸くした。どういう話に持っていく気なんだ。ソラっちは職人やぼくとは違って、見た目が実年齢なんだよ? 十代女子にいきなり子どもを産めとは。ソラもあからさまにうろたえていた。
「さすがにそれは」
「できないよねっ。つまりソラちゃんが子どもだからだねっ。だったら大人になればいいんだよっ。精神的に大人になれば、ソラちゃんも少しは安心できるかもねっ。会いたいばっかりじゃなくて、たまに会える時間をいままでの何十倍もの濃度にすれば、きっと気持ちは落ち着くよっ」
 ……なかなか含蓄のある言葉だ。自分に対しても含むところがある言葉に聞こえて、ダブルはこっそり席から離れた。これ以上、聞き続けていると精神上よろしくない。
 そこにちょうど、モジャモジャ頭の営業部員がドックからカフェへ入ってきた。地球出張から帰ったばかりのようだ。黒い鞄からは『水ようかん』とおぼしき黒色直方体らしき検体がはみ出ていた。モジャモジャ頭がさらにモジャモジャに毛羽立っていた。目は虚ろにさまよっている。かなりの疲労度のようだ。
 ダブルはむふんと笑うと、モジャモジャ頭の営業部員の前へ走り出た。
「モジャ毛くん、発見」
 ダブルはモジャモジャ頭の営業部員の脇腹に自白剤を注射しようとした。それをモジャモジャ頭の営業部員が黒い鞄で防御する。とっさの動きというより条件反射の動きだ。いきおいで検体がばらばらと床に落ちた。その音で我に返ったのか、「あああ。検体がー」とモジャモジャ頭の営業部員が情けない声を出す。
 かがみこむモジャモジャ頭の営業部員の背中に、ダブルは再度、自白剤を注射しようとするどく手を突き出した。その手をモジャモジャ頭の営業部員がぱしりとつかむ。
「だから。やめてください。申し訳ありませんがおれ疲れているんで容赦できませんよ?」
 くそう、モジャ毛の癖に生意気な。舌打ちをしようとしてダブルは眉をあげる。どうもモジャモジャ頭の営業部員の様子がいつもと異なるように感じた。モジャ毛くん、平静を装っているけどさ。ああ、こいつは装っているだけだな。なにがあったんだろう。そりゃきまっているだろう。このタイミングだ。そうだよね。このタイミングだもんね。
 ダブルはモジャモジャ頭の営業部員を下からすくいあげるように見上げた。
「お前、『水ようかん』食っただろう」
「ど、どうしてそれを!」
「怒ってないよ。むしろ歓迎だ。で? どうだった? エヘヘ。食べた感想をくわしく教えてくれ。大事なことなんだよ。『水ようかん』にまつわる一件を解決する手立てになるからね。早く報告書を仕上げることにつながるぞ」
「本当に!」
 うんうん、とダブルはうなずく。それなら仕方がないですよねえ、とモジャモジャ頭の営業部員は顔を崩した。よほどダブルの「早く報告書を仕上げる」という言葉が利いたらしい。どれだけ『水ようかん』で地球上が混乱しているのか、うかがえる反応だ。
「身体中を風が吹きぬけたような感覚になりました」
「……詩人?」
「草原に立っている気分です。森に包まれているような気持ちにもなりましたね」
 実りの秋を迎えた森。木々は黄色や茜色の葉に包まれ、足元は落ち葉でいっぱいだ。その木々の合間を小さな虫がふわりと通り抜けていく。尻に綿毛のような白いものをくっつけた虫だ。雪虫だ。雪虫が木々の間を上下左右に動き回る。雪のように動き回る。いつしか無数の雪のように雪虫が飛びまわり、その後ろで真っ赤な葉がゆったりと地面に落ちる。木の実は赤く実り、日の光を受けてつややかに輝き周囲の空気までも穏やかな赤色に染め上げて――。
 ほうっ、とダブルは息をはく。
「モジャ毛くんは、意外とロマンチストだったんだねえ。『水ようかん』からそこまでの共鳴を受けるとは。オレとは大違いだ。よほど幸せな幼少期を送ったに違いないな。その分、いま苦しんでいるってとこかね」
「お言葉ですが、おれはRWMの仕事が大好きなんですよ?」
「マゾヒストのいうことは奥が深いねえ。ぼくにはついていけないよ」
「月面から一歩も外へ出ないで実験ばっかりしているあなたにいわれたくありません」
「え? それってぼくが地球へ行ってもいいってこと?」
 あ、いや、その、とモジャモジャ頭の営業部員はくちごもる。もちろんダブルも言葉のあやで口走っただけだ。地球へ降りるつもりは毛頭ない。地球に降りてなにをしろというんだよ。大量殺戮行為か? そいつはさぞ地球も喜ぶことだろうな。 「お前は絶対に地球に降りるな。『降ろすな』と会長から厳命を受けている」
 野太く張りのある声が頭上から聞こえた。
 タフだ。
「いいところに。モジャ毛くんも『水ようかん』を食べたことだし、タフも食べてみてよ。それで感想を聞かせてくれ。生データは多いに越したことはないからね。タフがなかなか例の28人分のデータをくれないから困っているんだぞ。あ。ヘリウムくんみたいに2万個体も情報が欲しいだなんていわないから安心して」
「断る」
「怖いの?」
「そうだ」
 即答だ。これは意外な返答だった。タフなら「オレは甘いものが苦手なだけだ」とか「地面に落ちているものを食えるか」と反論するかと思っていた。
「忘れたのか? 『水ようかん』はオレが持ってきた検体なんだぞ。どんなふうに発生してどんなふうに存在していたのか、この眼で見てきたんだ。とても食う気など起きんわ」
 野生の本能というやつだろうか。野生――。弾かれたようにダブルは顔をあげた。
「ねえ。『水ようかん』を食べているのは人間だけなの? ほかの動物が食べている目撃証言とかはないのか?」
「どうしてオレの言葉を聞いてそれを思いつくんだ!」
「人間だけなんだね?」
「……『水ようかん』の脇をシカの群れが通っていたが見向きもしなかったな。まるで見えていないようだった。そういえばアリも素通りしていたな。甘い匂いがしただろうに。妙だな」
「見えていなかったからだよ。アリにもシカにも『水ようかん』は見えないはずだ。ぼくの説によると人間にしか見えないんだよ」
「はあ? 人間にしか見えないものがどうして触れるんだ。オレは『水ようかん』を手づかみにして回収をして月面へ持ち帰ったんだぞ。ヘリウムだって測定をしたんだろうが。人間にしか見えないものがどうして数値として現れるんだ」
「人間である我々が『知覚』するからだよ。『知覚』するから触れるんだよ。機械も人間が作ったものだからね。測定したのも人間だしな。ふふん。測定値というかたちをとることは可能だろうね」
「またわけのわからんことを」
 そうだ、とダブルは手のひらを叩いた。
「いまから実験をやるんだよ。タフもモジャ毛くんも見においでよ。ソラっちや職人も誘ってさ。ギャラリーは多いほうがいいからな。証人は多いにこしたことはないじゃん。さあさあラボへ行こう」
「オレはお前らを連れ戻しに来たんだ!」
「ちょうどよかったじゃん」
 さあさあ、とダブルがモジャモジャ頭の営業部員の背中を押そうとしたときだ。モジャモジャ頭の営業部員の携帯電話が鳴った。発信者を見てモジャモジャ頭の営業部員は青ざめる。携帯電話に向かってしきりと頭をさげつつ、ダブルには見向きもせずに管理営業部へと走り去っていった。
 うう。逃げられた。さすがにモジャ毛を1時間近く拘束するのは無理だろう。そうか。駄目か。地上へ降りて社外の人間にPRするモジャ毛くんだからこそ実験に参加してもらいたかったんだけどな。残念。
 それでもまあ、職人にソラ、そしてタフがいれば所属部署もひととおり揃っている。
「で? なんの実験をやるんだ?」
 うん、とダブルは満面の笑みをタフに向けた。いってもきっとわかるまい。理解できなくともその目で見れば納得するだろう。そうだよね。まあ一応いってみるか。
「『デイジーワールド』の実験だよ」
 ほう、とタフは目を丸くし、なんだそりゃ、と予想どおりの答えを返した。

(3 へ続く)

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