5

 にぎやかな足音がして、ダブルは我に返った。
「おおい! 第一報を出してくれや!」
 案の定、タフだった。タフはラボに入るなり、書類をひらひらと振りながら、わざわざ転送機の奥にいたダブルの前にまでやってきた。
「おっ? なんだ? ラボの中がすごくきれいだぞ? ヘリウムがかたづけたのか? さすがヘリウムだな。お前らだけだとラボはゴミ溜めだもんな」  ははは、と豪快にタフは笑う。あ、そう、と無視するダブルにタフは慌てて向き直った。
「『水ようかん』の第一報を出してくれや。大至急だ。お触書みたいな感じでかまわん。ここで待ってるからさっさと頼む」
「なんでまた」
 ダブルはあからさまに嫌そうな声を出す。
「地球上で民間人が『水ようかん』を食っちまう事件が相次いでな。安全かどうかの問い合わせがじゃんじゃんきやがって――」
「『食っちまう』って、『水ようかん』は全部回収していたんじゃないんすか?」
 水素が黄色の椅子から立ち上がる。勢いで書類が羽根のように舞った。水素は、はわわわ、と書類を押さえた。
「う、ん。まあな。そりゃ、回収してはいるんだが」
「きまってるじゃん。回収しきれないんだよ。ぼくの予想だけどね。『水ようかん』の発生頻度は速度を増しているはずだよ。うちの社員数が何人だと思っているんだ。2万個体を収集できただけでもいいほうだ」
「食って大丈夫なのか?」「食って大丈夫なんすか?」
 タフと水素が声をそろえる。ダブルに顔を向けて、続いて解析中のリチウムに顔を向けた。リチウムは、「え、なに、僕?」と両手をばたつかせた。
「そ、そんなとこまでまだ解析できてない。大丈夫だなんていい切れないよ」
「食いもんには違いないんだろ? ダブル、お前がアレは和菓子の『水ようかん』だっていったんだぞ」
「3世紀前のね」
「えーと? だっていまも発生してんだぞ?」
「前にもしつこく説明したじゃん。もう忘れちゃったの。だ~か~ら~。ああもう、いいや、めんどい」
 ダブルはキャラメル色の椅子をくるりとまわしてタフに背中を向けた。
「ぼくには食べて問題があるとも問題がないともいえないな。食品であることには間違いがないし、毒物が入っているわけでもない。だからといって安全だとはいえないでしょ。そもそも安全の定義は個々人によって異なるわけだし。万人に安全だ、と謳うのは危険だろうねえ」
 あぁ、でもぉ、とダブルは顎に手を当てた。『水ようかん』そのものではなくて、二次的にショックを受けて死ぬことは起こりうるかもねえ。そうだな。感受性はそれこそ個々人により異なるからな。
 ダブルのつぶやきを珍しく耳ざとく聞きとめたタフが詰め寄った。
「なんだそりゃ。どういうことだ」
「体験したものじゃないとわからないからねえ。説明できんな。オレはあまりにこころが純粋すぎて体得するものは何もなかったからな。エヘヘ。それはもとよりぼくが感じ入っているからだよ。ああそうか。ならオレの感受性の精度の問題ではないな。もちろん」
「は?」
「だけどさ。第一報でいくら強調して『食うな』と警告しても、『水ようかん』を食うやつらは必ずいるぞ?」
 砂漠のど真ん中に落ちている『水ようかん』。ずっと飲まず食わずにさまよっていたものにとっては、たとえ毒であろうと口にするだろう。もっと単純に、面白がって食うやつらは続出だ。肝試しのように、「俺ってこんなにワイルドなんだゼ」とPRしたくて食べるやつらはどこにでもいる。和菓子の『水ようかん』を知っているものは世界中でどれだけいるだろう。単純に甘くて上手いゼリーだなみたいに思われる程度だろう。
 でもさ。そうだな。それもまた、地球の狙いのひとつでもあるんだろうねえ。貧民層はほとんど目にするだろうしね。インテリ層もこっそり食べるだろうからね。インテリ層だからこそ、なんだかんだともっともらしい理由をつけて食うだろう。だね。
「なら、どうすればいい? 放っておくわけにはいかんぞ」
「放っておけばいいじゃん。何を書いてもどうせ無視されるんだから」
「なんでもいいから書くことに意義があるんだ。それもRWMからの報告であることに意味がある。今回の検体はRWMが一手に請け負っている。モジャ毛が泣いて頼み込んできたんだぞ」
「モジャ毛くんが泣いているのはいつものことじゃん」
「お前がモジャ毛を泣かしているんだ!」
 たまにはモジャ毛の役に立てや、とタフはダブルの襟首を締め付けた。懲りない男だ。ダブルはタフに軽蔑の眼差しを向けた。そして目にも留まらぬ速さで、身体を低めてタフのかかとを右手でひょいとすくい上げた。タフの身体が宙に浮かび、作業台の上へ轟音を立てて滑り落ちる。タフの「うおお」という声と水素の「係長! なにすんすかっ! 書類が!」という怒鳴り声が入り混じる。
「踵返し」
 ダブルは両手の埃を払うように叩きながら技の名前を口にした。「技の名前をたずねているんじゃないっすよっ」と水素が唾を飛ばし、頭を押さえつつ立ち上がる弾みで書類を撒き散らすタフに水素は「止めてくださいよ!」と涙を流す。
「第一報の報告書なんて1枚あればいいんでしょ。だったらタフが書けばいいじゃん。『詳細は調査中』って但し書きをしてさ。いかにも素人感満載でレポートすれば、みんな勘弁してくれるよ」
「おま、いい加減にもほどがあるだろうが」
「ぼくらはプロだからね。適当になんて書けないぞ。だからたとえ第一報でも1枚どころか100枚の報告書になっちゃうね。そこまで作り上げるのに何ヵ月かかると思うんだ」
 ダブルは胸を張る。
「そんなに待てるか!」
「だからタフが書きなよっていってんのさ。『命に支障はない』程度にとどめておけばいいんじゃないの。いくらお前でも報告書くらいはかけるだろう」
 ふふんと鼻で笑ってやる。
「それともモジャ毛くんに書いてもらう? あいつなら世間との折り合いにも慣れているだろうからな。タフよりはましな文章を書くだろうよ。というより、タフの書いた第一報は間違いなくモジャ毛くんに添削されるだろうねえ」
 だったら最初からモジャ毛くんが書けばいいんだよ、とダブルは満面の笑みで結論づけた。
「タフだって忙しいでしょ? 慣れない報告書なんかに時間を取られるより、書き慣れているモジャ毛くんに書いてもらえばいいんだよ。エヘヘ。ひとには向き不向きがあるらしいからねえ。メモをいくつか渡しておけばあいつはきっちり書き上げるさ」
 タフは作業台から降りると、真面目な顔つきでダブルに「それはできん」と首を振った。
「確かにモジャ毛なら書き上げるだろう。引き受けもするだろう。だがな。オレがそれをやっちゃ、おしまいだろうが」
「ん?」
「『水ようかん』はオレが持ち帰った検体だ。オレにはこの検体に対する責任がある。お前らに渡して『ほい。おしまい』ってわけにはいかんのだぞ。それにこれは技術開発部の仕事だ。忘れているかもしれんがな。モジャ毛は営業部員だぞ」
 いや、管理営業部員だ、と訂正するダブルの声を無視してタフの声には熱がこもっていく。それにしてもぼくの踵返しを受けて平気なのかな。丈夫だうんぬんのレベルじゃないな。ゾンビのレベルだよね。ぼくが弱くなったわけじゃないよね。それはないだろう。タフが落ちた衝撃で作業台にややヒビが入ったからな。だよね。ヘリウムが無言で作業台の配線を直しているしな。だよね。
「ひとの話を聞け!」
 タフがずいとダブルの眼前に顔を突き出した。不愉快になってダブルは「聞いているよ」とタフの鼻を指でつまんだ。
「モジャ毛は生きているのが不思議なほどの仕事を抱えているんだぞ。ずっと技術開発部にいるお前はわからないだろうが、あいつは月面本社での雑務をこなしつつ、週の半分は地上で営業活動をしているんだ」
「そっちが本業だろうしね」
「あいつは営業部員であるにもかかわらず、庶務だけでなく経理の手伝いや社員のカウンセリングの仲介や懲罰の通達やら異動の発令書書きやら、なにからなにまでやらされているんだぞ」
「タフの異動発令書を手渡したのもモジャ毛くんだってことだね。書いたのもモジャ毛くんで、いいわたしたのもモジャ毛くん。それなのによくモジャ毛くんをかばえるな」
「あいつが下した判断じゃないだろう。それにもとはといえば、これはオレのミスが発端なわけで――、ってオレのことはどうでもいいんだ」
 タフは大きく首を振る。
「とにかくこれ以上、モジャ毛の負担を増やすわけにはいかんし、これは技術開発部の仕事なんだ。第一報は技術開発部で書くべきもので――」
「早急にっていうならタフが書くしかないね。ぼくに書いて欲しいんなら、せめてリチウムくんの解析が終わるようにタフが手伝ってよ」
 もちろんタフにそんな技術力はない。タフは「ぐ」と言葉に詰まる。
「社内で憶測を語る分にはなにをいってもいいとは思うんだよ。だけど第一報という公式文書にするのに、しっかりとしたデータがないのはまずいだろうが。しかも一般民が見てわかるデータだ。なんどもいうけど、ぼくはプロだから生データから『水ようかん』と識別できた。一般人が生データを見てもただの数字の羅列だぞ。タフだってわかんなかったでしょ」
「う」
「返って好都合だよ。素人視点から第一報の報告書を書けるのはタフしかいないってことだよ。すごいね。ちょうどよかったね。すべてのいきさつを知っていて1枚以内の第一報を書けるのはタフだけなんだからさ。うん。こりゃもう、張り切って書くしかないよね」
 ほれメモだ、とダブルはトレーの上にあった白紙の紙にさらさらと要点を書き入れてタフに手渡した。
「くれぐれも無難な文書にしてよ。いいとも悪いとも思えない文章じゃないと、あとでモジャ毛くんの仕事を増やすことになるよ。モジャ毛はクレームも担当しているんだろう? タフがモジャ毛くんの仕事を増やすなんてことをしちゃダメだからねえ」
 ううう、とさらにタフは身体を縮めてメモを手に取った。よろめきつつ転送機の脇を通ってラボから出て行こうとする。
 ラボの扉が開いたときだ。
 タフは弾かれたように顔をあげた。
「じゃなくて!」
 と唾を飛ばしつつ振り返る。
「そんなことをやりにオレはここへ来たんじゃない!」
 今度はなんだい、とダブルは眉間にしわを寄せる。
「こんなに『水ようかん』だらけになって地球はどうなるんだ!」 「いまさら!」
 ダブルの声が裏返る。

(6 へ続く)

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