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 むかし、むかし。いまからおよそ350年ほどむかしのことです。
 当時のアメリカ航空宇宙局、略してNASAで働いていたラブロックが、
「地球って『巨大な生命体』だよね」
 とひらめきました。
「生物だけじゃなくて、地球だけでもなくて、お互いに関係しあいながら、環境をつくりあげているんじゃね?」
 と興奮したわけです。
 いまでこそ、「なにをいまさら。そんなの当たり前じゃん」という話ですが、当時は「バッカじゃねえの」とラブロックは多くの科学者にぼっこぼこにされました。
 最初ラブロックは科学者らしくこのひらめきを『自己統制システム』と名前をつけたのですが、「お前さあ。ネーミングセンスないね」と作家のウイリアムに指摘され、かちんときたラブロックは『ガイア理論』と名前を変えたのです。
 ここでいう『ガイア』とは英語で地球の別名です。
 もとをたどると、ギリシャ神話に登場する大地の女神の名前です。素敵な名前ですよね。
 ところが、これが完全に裏目に出ました。
 『ガイア』という名前が問題になったのです。
 不思議でしょう? たかが名前なのに。されど名前なのです。
 当時の科学者の多くが、なんということか、「人生は旅だ」みたいな比喩が大嫌いだったのです。人生は人生で旅は旅。人生と旅に因果関係などない、というトウヘンボク揃いだったわけですね。
 つまり、『ガイア理論』は『ギリシャ神話の大地の女神の名前にあやかった理論』とうけとめられ、眉唾ものときめつけられました。学会では相手にされないし、雑誌もなかなか論文を載せてくれなくなりました。
 しかしラブロックは偉かった。
 へこたれなかったのです。
「おれのひらめきが間違っているわけがねえ。いいかたがまずいだけだ。伝え方が悪いだけだ。もっとみんなにわかるように具体的に説明すればいいだけだ。おれはやるぜ」
 と意気揚々とラブロックは論文を書き続けました。
 継続は力です。
 ラブロックのこころいきは、次第に賛同者を得て、シンポジウムも開かれるようになりました。
 もちろん、ラブロックががんばって活動すればするほど、反対の意見も出てきます。
 ラブロックはそれすらも自分の力に変えました。反対意見に対抗するために、『ガイア理論』をもっともっと掘り下げたくわしい理論へと深めていったのです。  反対意見が出れば出るほど、ラブロックが反撃に出るので、
「そういわれちゃあ、反論することもねえわな。よおし、オレは今日からラブロック派だ」
 と賛同者の数も増えていきました。
 当時、とても有名な科学雑誌「Nature」というのがありました。
 「Nature」も初めはラブロックの『ガイア理論』を眉唾ものとして見向きもしていませんでした。ですが、ラブロックのがんばりにより、
「うん。まあ、その……いいんじゃないか。というか、面白いんじゃないの? すごいんじゃないの? 『ガイア理論』」
 とまで評価するようになりました。
 そしてついに『ガイア理論』を発表してから30年後には「当たり前」の理論になったのです。
 それからときが流れて、『ガイア理論』は改訂されたり、理論的にも強化されていきました。ラブロックが初めて『ガイア理論』を発表してから50年後には、もう当たり前の理論になりました。
 生態学者は生物が存在する領域とは、生態系にガイア理論を足したものと考えています。さらにはガイア理論は、生物とか海洋とか地球内部の液状部分とか大気とかが互いにどんなふうに作用しあっているかを考えに入れた、『地球システム科学』と呼ばれるようになりました。
 『地球システム科学』。
 さあ、なじみ深い名前が出てきましたね。
 そう『ガイア理論』とはいまでいう『地球システム科学』のことだったのです。



 おおお、と水素とリチウムが盛んに拍手をする。
 壁面装置の前に水素は黄色の椅子を置き、リチウムは薄紫色の椅子を置いて、ヘリウムがとうとうと語るのに実を乗り出して聞いていた。
「すげえな、ヘリウム。お前、紙芝居が上手だな。そんなに絵が上手かったとは知らなかったぜ」
「わかりやすかったよ。うふふ。なーんだ。つまり『地球システム科学』のことか。初めからそういってくれれば僕たちだってわかりましたよ、係長―」
 調子のいいやつらめ、とダブルは作業台を挟んだ自分の作業スペースでキャラメル色の椅子をゆさゆさと揺すった。
「補足をするとだね。『地球システム科学』であることは間違いないんだけど。ぼくがいっているのは最初のほうの『ガイア理論』なんだよ。『地球そのものが巨大な生命体だ』ってこと」
 たとえば、とダブルは腕を前に突き出した。
「ぼくのこの身体が地球そのものだとするでしょ。すると人間は指先程度の存在かな。指先であっても地球であることには変わりがない。指先程度の人間に指先程度の鳥類やら爬虫類やらがあってこそ、地球というひとつの生命体を作り出しているんだよ」
 単なる鉄とニッケルの核を持つ物質としての地球ではないんだよ。ダブルはエヘヘと笑ってみせる。んー、と水素とリチウムがうなり声をあげた。
「それだと、まるで地球に意思やら感情があるみたいに聞こえるっすよ?」
「反対意見の多くが水素くんがいうような意見だったんだけどね。それでラブロックも、そういうメンタル的なことには関わらないようにして、科学的に証明しようとやっきになったのさ」
「本当はメンタル的なことを含んでの『ガイア理論』だったとでも?」
「リチウムくんの意見が本当かどうかはわかんないけどね。『ガイア理論』が活発化していた当時は、そりゃあ、その手の雑誌やら書物が出版しまくられて、飛ぶように売れたっていう話だよ」
 地球は生きているとか、ニューエイジとか、ニューサイエンスとかタオ自然学とかサイ科学とかいった言葉が流行したのもこのころだな。宇宙にいったことのなかった人間が、外から地球を見たら、そりゃ、びっくりぎょうてん、意識改革も起ころうというものさ。
 引力があるってことだって6世紀前には知られていなかったことだし、地球が太陽の周りを回っているのだって当たり前になったのも6世紀前だしね。そもそも宗教が人間の判断を支配していたからな。宗教と食い違う事実は闇に葬られていたしね。
 いまでもタオ科学やサイ科学が怪しいっていうヤツらは多いけど、6世紀前では科学こそが、宗教第一の当時としては、それこそ「なにいってんの、コイツ。バカじゃねえ」的な扱いしかうけていなかったし。地球が太陽の周りを回っているっていい張った、かのコペルニクスだって大きな教会のお坊さんだったわけだしねえ。
 政治も絡んでくるからな。地球が太陽の周りを回ったら面目丸つぶれになる奴等が続出だっただろうしな。お供え物やお布施で生活できていたのが、食いっぱぐれるみたいなもんだからねえ。それどころか「祭司様」ってあがめ奉られていたのが見向きもされなくなる事態だからね。そりゃ全力で阻止したくなる気持ちはわかるよ。わかるのか? ううん。なんとなく。
 そうだとはいえ、『ガイア理論』的には6世紀前は地球にとっては人間といい関係を結べていたと思うよ。問題はそのあとだな。人間の世界人口もこの6世紀で14倍に膨れ上がったからね。
「先の大戦とか、地球温暖化とか、プチ氷河期とか、彗星の衝突とか、この6世紀の間にもいろいろありましたからねえ。14倍で済んだのは御の字じゃないっすか?」
 水素ははやくも興味を失った顔つきで気のない相槌を打つ。いつしか黄色の椅子を自分の作業スペースに戻し、ダブルが終わらせた100件分の書類の確認作業に戻っている。
 リチウムはヘリウムから紙芝居を見せてもらって小躍りしていたものの、ダブルが視線を向けると、あたふたと解析作業の続きに戻っていった。さも忙しいといった様子で白衣の袖をまくってパネルに指を走らせている。
 こいつらの『ガイア理論』への興味は10分と持たないのか、とダブルはペンを作業台に転がした。  ぼくがどうしてここまで『ガイア理論』にこだわるのか考えないのかなあ。病み上がりのヘリウムくんをこき使ってまで『ガイア理論』の実験をしようとしているんだぞ? いつものわがままとはひと味違うと思わないのかなあ。ヘリウムが語った『ガイア理論』の紙芝居を真に理解していれば、オレがとんでもない実験をしようとしていることはすぐに思い至るはずだが。
 ダブルは目を閉じて、キャラメル色の椅子の上であぐらを掻いた。
 きっと事態を正しく理解していないんだろうな。せっかくヘリウムくんが紙芝居まで作って熱弁してくれたというのに。無駄に色彩豊かな紙芝居で、ラブロックの人物画など動画にするという懲りようだったのに。背景の350年前のアメリカの様子など、やたらタイヤで地上を走行するやたらひらぺったい自動車が出てきたり、髪をくるくるに巻いた丈の短いスカートをはいた女子が「わぁお」とか言っているシーンまでもあったのに。
 バカめ。ダブルはあぐらを掻いた姿勢のままで椅子をくるくると回す。
 まあいいさ、とダブルはペンを手に取る。実験を始めて、あっと驚いてもらおうではないか。なんてこった、と困ってもらおうではないか。
 ふふふ、としのび笑いをして、ふとダブルは我に返る。
 ペンの尻で鼻を掻く。
 まあね。かくいう自分だって人間がこの6世紀で14倍に膨れ上がって地球上で好き勝手をやらかしていることを「やばいんじゃね?」なんて思ったのは最近なんだけどね。問題視すらしていなかったな。いまだって反物質の実験さえできれば、まあ、どうでもいいんだけど。本当か?
 ダブルは思考を止める。
 そして作業トレーから作りかけだった反物質の試作装置を取り出した。ハサミの形をしていて、刃の部分が反物質で作り上げる予定だ。このハサミで切ると、物だけでなく、空間をも対消滅を起こす。爆発が起きる。そういう試作装置だ。用途は前提していない。思いつきで作り出したものだ。この刃の部分にだけ反物質を作る作業というのがまた――、と集中しようとしてダブルはあきらめた。
 わかったよ、と頬を膨らませてダブルはハサミの試作装置を作業トレーへと戻した。
 ダブルの脳裏に職人の姿が浮かんでいた。
 ふわふわの長い髪をたなびかせて、髪には蝶の髪飾りをつけて。地球を見上げていたはずなのに、いつの間にか職人はダブルに顔を向ける。
 ――ねっ。ダブルくんも地球が大好きでしょっ――。
 問われたのは、ダブルが初めて職人の住居部屋をおとずれたときだ。
 職人の部屋に一歩足を踏み入れたとたん、ダブルは自分がどこにいるのかわからなくなった。壁という壁にはモニターがはめ込まれていた。収納スペースの扉もモニターになっている。
 そしてすべてのモニターを使ってひとつの映像だけを映し出していた。
 地球上の岬だ。
 岬の先端に立って、大海を眺める、そういう映像だった。
 ――アタシの生まれ育った島から眺めた光景なんだよっ――。
 モニターからは風の音まで聞こえてくるようだった。

(3 へ続く)

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