3

「限界っす! 係長! なんとかしてください!」
 髪をかきむしる水素にダブルは、「えぇ」と不満げな声をあげた。手は止めない。もう少しで全部反物質でできたパワー制御装置が完成するところだ。
 キャンディー型に成形したあとはどうしようかねえ。匂いをつけるなんてどうだ? いいねえ。バニラの匂いのする反物質のパワー制御装置なんて、すごく無意味で最高だ。むふふ、と笑うダブルの目の前に水素がどんどんと書類を置いた。
「ちょ、水素くん?」
 水素は眼鏡を光らせたままダブルの前に書類を積み上げ続けていく。無言だ。口をへの字に曲げて一心不乱に積み上げていた。あまりに無関心を決め込むダブルにさすがの水素も怒ったらしい。数段に分かれた書類はみるみるダブルの作業スペースを圧迫していく。ゆらゆらと揺れる書類の束の頂点に最後の一式を積み上げると水素はダブルに詰め寄った。
「これが! 係長がいままで伸ばし伸ばしにして作成してくれなかった書類です! その数ぜんぶで317件! すべて納期は過ぎています」
「我ながらため込んだもんだね」
「この書類の束の右側100件は納期を1年以上すぎたもんです! とりあえず、それを片付けてください! いますぐに!」
「えぇ。やだよ」
「この100件分くらいつきつけてやればタフもきっとおとなしくなるはずですから! 100件分のチェックはタフにとっても容易じゃないでしょうから! そうすれば俺も少しはストレスから解放されますから!」
「まあ、タフは器用には見えないからね。1週間くらいの時間稼ぎになるだろうね」
「じゃあやってください。さっさとやってください。じゃんじゃんやってください」
 水素はダブルの肩をつかんで左右に揺らした。
「だ、ダメだよ。そんなに揺らしたら――」
 ダブルがいいおわる前にダブルの手元で爆発が起きた。反物質のパワー制御装置が通常物質と混じって相殺爆発を起こしたのだ。爆風で317件の書類が宙に舞う。とっさに防御シールドで自身を覆ったダブルとは対照的に、水素は爆煙により顔を真っ黒にしている。とどめとばかりに真っ黒になった水素の頭上に317件分の書類が降り注ぐ。
 水素はがっくりとラボの床に手を着いた。その間にも水素のパソコンには新着メールの音が響く。水素の携帯電話も鳴っている。確認するまでもない。発信元はすべてタフだ。
 タフが技術開発部の総務係係長に赴任して、はや3日。
 その間ずっと水素はタフからメール攻撃をされていた。
 検体の分析結果の催促だ。
「結果なんて出るわけないっつうの! まだ測定すらしてないんだから! タフの前に未分析の検体が821件あるんだから!」
「そういえばいいじゃん」
「いいましたとも! だけどタフは『そんな821件なんて後回しにしろ。オレの検体を優先すればいいだけのことだ。優先順位って言葉を知らんのか』って小馬鹿にした言い方をしやがって」
「いいじゃん。やってあげなよ。タフのことだから分析結果が出るまでずっと水素くんをいじめ続けるよ?」
「アイツにいってやってください!」
 水素はヘリウムを指差した。ヘリウムは無表情のまま目にも留まらぬ速さで固形物の安定同位体を測定しつつ、ガスの安定同位体も測定していた。ヘリウム専用の作業台には測定すべき検体が一列に美しく並んでいる。ダブルが起こした爆発にもすかさず対応して検体を保護したのだろう。検体は一糸の乱れもなく測定されるのを待っているかのように並んでいる。検体に貼ったラベルの向きまで斜め45度で統一されていた。
 ヘリウムは測定装置に目を向けたままでぼそりとつぶやく。
「検体に優劣はありません。届いたものから測定する。ボクの譲れないポリシーです」
 うおお。かっこいい。ダブルは頬に両手を当てる。
「感心していないで、あの頑固者をなんとかしてください。あいつの意味不明な主張のせいで俺はずっとタフから絡まれ続けるんすよ!」
「ヘリウムくんは検体を愛しているからね。アンノウン係に配属されたときから頑固なんだからいまさら治らないよ。タフを懐柔しろ」
「だから係長に100件分の書類をお願いしたんでしょ!」
 ひとに頼っちゃダメだよ、とダブルは散らかった作業台の片付けを始めた。
 こう見えてダブル、片付けは嫌いではない。むしろ好きだ。失敗も好きだ。失敗したものの中から思いもよらない成分が発生することがよくあるからだ。今回もダブルは真空のビンを取り出すと、反物質を扱っていた作業台周辺の気体を収集した。
 この中にどんな気体が混じっているかな。モジャ毛にしつこく怒られるのが鬱陶しいから一応セキュリティはかけていたものの、あの程度の爆発で済んだとはな。なにか別の物質が発生したと思わないか? ありえるねえ。わくわくするねえ。
 ダブルが目を輝かせていると、リチウムが「係長―」と軽い足取りで書類を持ってきた。
「こんな面白い問い合わせが来ていますよ。うふふ。情報調査部からなんですけどね」
 情報調査部か。ダブルは遠い目をする。そういえばソラちゃんはどうしちゃったんだろう。ダブルは携帯電話を眺めた。
 タフが検体を持って現れて以来、ソラからのメールがぱったりと来なくなった。いやいや。それ以前も2日ほど連絡がなかったから合計5日だね。5日も連絡をよこさないなどソラらしくない。
 ケーキ型空間安定剤装置に問題があったか。ペンギン型放射性物質発見器のオプション機能に惑わされたか。はたまたコンペイトウ型煙幕剤を本当に菓子と間違えて食べたんじゃあるまいな。ダブルの脳裏に疑惑がつぎからつぎへと思い浮かぶ。
 さいわい月面本社へ社員負傷とか死亡とか行方不明とかの連絡は入っていない。モジャモジャ頭の営業部員のパソコンに不正アクセスして得た情報なので間違いはないだろう。気になるのはソラの社章バッチに装備した所在を示すGPS機能の作動が遅い点だ。起動してはいるものの、ソラの所在が5日前から更新されていない。
 ソラちゃんになにかあったんだろうねえ。それは確実だな。生きてはいるようだけどねえ。ぼくが渡した試作装置を一般人が悪用したら問題だね。オレではなくてモジャ毛が苦労するだろうからな。
「もう、聞いてくださいよ、係長」
 リチウムがダブルの椅子に両手をかけた。媚びるようにダブルの顔を覗き込む。
「『火山噴火をおしとどめる装置は存在するか』というものなんですよ。うふふ。火山噴火ですよ? 火山です」
 リチウムが意味ありげに繰り返す。ほほう、とダブルも頬に手を当てる。リチウムと視線を絡めて2人で、エヘヘ、うふふ、と笑いあう。
 まさか情報調査部が技術開発部の作業を暴こうとしたわけではあるまいが、火山噴火を押しとどめる装置はまさしく先月作りあげたばかりだ。もちろん試作品だ。リチウムが発案して、ダブルが磨きをかけた装置だ。
 意図はない。面白そうだから作ってみただけだ。
「でもあれは量産できないよ? 『リスクが大きすぎる』とかなんとか言っちゃってさ。会長あたりがダメだしをするに決まっているからね」
「試作装置係を通して量産許可を取らなくちゃならないという段階で無理ですよね。うふふ。『必要ない』と一蹴されるにきまってますよ」
「耐久テストも必要だろうからねえ。RWMの商品とするからには『1000年先まで大丈夫』っていう謳い文句が必要だろうからね」
「あ。僕。擬似2000年耐久テスト装置的なやつを試作品で作ったんですよ。うふふ。まだ試したことはないんですけどね」
「いいねえ。いまからやってみようか」
 目を輝かせるダブルとリチウムに、水素が「いやいやいや」とダブルの白衣をつかむ。
「係長は317件の書類を作り上げてください。とりあえず100件分だけでもいいですから。ほら、俺がんばって散らばったやつをあつめましたから」
 見ると本当に作業台の上には爆発前と同じ状態で書類の山ができあがっていた。
 水素くんはまめだね。必死ともいうべきか。タフからのメールは相当にしつこい文章なんだろうね。ぼくだったらしつこいメールで応報するけどさ。水素はこの3年、いかに簡略化した文章で書類を作成するかに情熱を注いでいたから無理だな。ちぇ、残念。
「で? どうしましょう」リチウムが火山噴火の書類をひらひらと動かす。
「たっぷりと含みを持たせた文章にすれば。『不可能ではない』くらいにしといてあげて。『理論的には可能だ』くらいにさ」
「おや。係長にしては常識的ですね。どうかなさったんですか?」
 うっふふ、とダブルは笑みを浮かべる。
「ぼくらが作った装置はきっと地球上の別組織でも作成していると思うんだよ。実用化してるってこともありうるよね。もちろん検証はしていないだろうな。そいつらとは格が違うってことを証明したくない?」
「それはつまり」とリチウムもにやりと笑う。
「この装置を極めようと? うふふ。火山噴火を押しとどめるだけなんてつまらないので、マントルの動きを変える装置というのはどうでしょう」
「いいねえ。モホロビチッチ不連続面の密度を変える装置とか。地上に噴出するマグマの成分を変換する装置とか」
 火山ネタは尽きませんねぇ、とリチウムも頬を染めた。
 そのときだ。地鳴りがした。
 誰かが激しく足を踏み鳴らしてやってくる、そんな音だ。怒りに満ちた音だ。足音のひとつひとつに憎しみがあふれている。足音は確実にアンノウン係のラボへ近づいていた。
 なにごとだ、と水素とヘリウムとリチウムは身構える。のんきな顔をしているのはダブルだけだ。水素とヘリウムとリチウムはダブルに構わず身の回りの整理を始めた。
 突発的事故に慣れている水素とヘリウムとリチウムは条件反射ができている。水素は総務係へ提出するだけにまで書き上げた書類を両腕いっぱいに抱えた。ヘリウムはラボの壁面いっぱいに並んだ装置の一時停止を行い、測定準備の整った検体を防護シールドで覆った。リチウムは火山の資料とヘリウムの測定結果データを保存する。
 その間、ものの30秒。神業のような早業だ。ダブルは水素の話が途切れてこれ幸いと試作装置の作業を再会していた。突発的事故を起こしているのはいつもダブルなので、水素たちのように免疫がなかった。今度はどんな試作装置を作ろうかな。いや、その前に、このキャンディー型パワー制御装置のコピーを作って、誰かに試作運転してもらわなくちゃ。やっぱりここはソラちゃんかな。妥当なところだろうな。ソラならうまく身を守るだろうしな。
 水素が吹き抜け脇のらせん階段を滑り降り、ヘリウムが壁面装置の脇で装置の保護に努め、リチウムが作業台の下にヘルメットを被ってもぐりこんだ直後だ。
 爆音がしてラボのドアが開いた。
 もうもうと白煙がラボに立ち込める。不意打ちを受けたダブルは激しく咳き込んだ。
「な、なに? どこのどいつだ。このラボ内で試作品の爆発を起こすのはオレの特許だ」
「ふうん。そんなにいつもいつもここで爆発を起こしているんだ」
 少女の声がした。
 まさか、とダブルは目を凝らす。白煙の中に人影が浮かんだ。人影はゆらゆらとダブルに近づいてくる。やがて人影が明瞭になる。
 2つにむすんだ長い髪に身長ほどもある長い杖を持った、空色の青い瞳を持った少女だ。
「ソラちゃん!」
 ダブルは満面の笑みで叫んだ。

(4 へ続く)

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