2 タフがアンノウン係の転送装置を手で叩いていた。 「これに! これに! これに! 本当にオレは送ったんだ! 動けこのやろう!」 機械に疎い人間は、思い通りに動かない装置を前にすると叩いてなおそうとする。 3世紀前から、いやもっと前からの人類の習性だ。もちろん直らない。叩いて直るなら技術屋は必要がない。壊れたラジカセを分解しても修理どころか元の形に戻せない、世の中のお父さんのようなものだ。 ゆえに当然、転送装置はなおらなかった。もとより壊れているかどうかすら怪しい。その確認をする前にタフが転送装置の前に立ちふさがったのだ。 転送装置を叩き続けるタフの隣に『ヘリウム』がすっと立つ。Tシャツにジーンズの上に白衣をはおった20歳前後の容姿の青年だ。 「な、なんだよ」 タフの問いかけに答えずヘリウムはタフの肩を押した。もやしのように細いヘリウムが、筋肉質のタフをどんどん押していく。左手に蓋つきフラスコを持ったまま、右手だけで押し続ける。そのままタフを転送装置の前から排除した。相撲でいうなら押し出しか。 「大切な検体が送られてくる装置ですから」 むやみに触らないでください、とヘリウムは無表情な顔つきでタフを睨む。 「だからこうしてオレの検体が出てくるのを待っているんだろうがよ、って聞けよ!」 タフが怒鳴ったときにはすでにヘリウムは反対側の壁面分析装置に戻っていた。 「ヘリウムにとって検体は命とひとしく大切なものですからね」 と『リチウム』がタフの肩に手を置く。ダブルとはまた異なる美少年のたたずまいのリチウムは長い髪を指先で遊んでタフに流し目を送った。うふふ、とリチウムは微笑む。 「万が一、転送装置にヒビでも入りでもしたら、タフさん、あなた、正気でラボから出られなくなるところでしたよ?」 「お、脅かすな」 「どこか具合が悪いところはありませんか? すでにちょっとした菌を注射されているかもしれませんね。後ほど医務メンテナンス係へいかれることをお勧めします」 「冗談は――」 いやいやいやいや、と大袈裟に手を振りつつ『水素』がタフに近寄った。濃い顔に眼鏡姿の水素は2〇代後半の容姿の青年だ。 「放射性物質だって投与したかもしれないっすよ。あいつならやりかねない。ははは。リチウムだっていまなにか注射したっぽいですし」 「単なる精神安定剤です。ご安心を」 「いつの間に! というかなにしやがるんだ、このやろう」 いいつつも体から力が抜けたようで、タフは膝を折った。タフは肩で息をすると、くそう、負けるもんか、と歯を食いしばって顔をあげた。 ――水素くんもリチウムくんもヘリウムくんも、新顔相手に全開だねえ。からかう相手がいるというのは楽しいものだ。おかげでぼく、すごく暇じゃん。だったらもっとゆっくりマシュマロ入りココアを飲んでいられたじゃん。 職人は、と見ると真剣な眼差しで転送装置を見ていた。透視しているかのような眼差しだ。検体の流れ具合からタフが叩いたことによる転送装置のダメージ具合までを計算しているような顔つきだった。 えぇ、とダブルは眉をひそめた。職人ってその手の人体実験も自分にやってるわけ? 眼球に透視装置を装着するとか? そりゃやるだろう。オレだってやってるいるんだから職人がやらないわけがない。だけどさ。ぼくと職人の実験目的は違うでしょ? あいつの実験目的はたいてい地球のためだがな。むうう。 悔しければ自分も転送装置の欠陥原因解明に乗り出せばいいものを、ダブルは自分の作業スペースへと足を向けた。転送機の奥、吹き抜けそばの開放感あふれるスペースだ。キャラメル色の椅子の座って白衣のポケットから携帯電話を取り出す。メールの新規作成画面を開く。 宛先は『ソラ』だ。 ――ソラちゃん、おげんきですか。先日おくったコンペイトウ型煙幕剤バージョン18の使い心地はどうでしたか――。 あれは砂糖菓子のコンペイトウに酷似させたからねえ。間違って口に入れたりしていないだろうな。甘い味付けまでしちゃったからねえ。火薬を大量使用しているから12粒あたりで致死量か。ソラちゃんが死んじゃったら困るよね。だれが試作装置の外部試運転をやるっていうんだ? あんなおいしいカモはそうそういないよ? ダブルのメールの特徴は長文であるという点だ。 もちろん計算だ。相手が一見して読みたくなくなる分量だ。ダブルのメールを無視しようとしたところにすかさず重要事項を盛り込んでいく。うっかり見逃して相手が身悶える姿を想像するだけで愉快になる。 もっともソラのレベルともなると、そうそう見逃すことはない。適当に無駄な文書を読み飛ばし、重要事項だけを抽出する。それがソラが情報調査部員たるゆえんだ。『雑多な情報の中から必要な情報だけを選別して記録する』。情報調査部員の必須技術だ。 それをわかっているだけに、ソラに対してはダブルのメールも輪をかけて長くなる。ダブルは目にも留まらぬ速さで何百文字を入力した。読み返すことなく送信をして、ダブルは首をかしげた。 いつもなら、数分も待たずしてソラから返信メールがあった。それが今日はなかなか来ない。律儀なソラには似合わない行為だ。 嫌な予感が胸をよぎったものの、ま、いっか、とダブルは携帯電話を白衣のポケットに入れた。ダブルは、さてと、とやりかけだった作業に戻る。 自分用の試作装置の製作だ。 試作装置の製作は専門の部署がある。試作装置開発係だ。そこではもっとおおっぴらに派手派手しい実験が日々繰り返されている。実験失敗による爆発に備えてラボの構造もほかのラボに比べて頑丈にしてあるほどだ。 それこそ自分自身を被験者として実験を繰り返していて、アンノウン係以上に全員が年齢はおろか性別まで不詳のありさまだ。中には一般的な人類の寿命をはるかにしのぐのではないかという年齢の者さえいた。 実験動物や一般被験者を使わないのは、倫理的観念からではない。「そんな面白いことをどうして自分自身にしてみないでいられようか」という理由からだ。 試作装置開発係員だけではない。技術開発部員たるもの、誰しも寸暇を惜しんで試作品の開発に努めるのはもはや性だ。自分の興味がわいた分野へ意欲を注ぐことこそがRWMの技術開発部員の証だ。 ダブルの情熱を注ぐ相手は――反物質だった。 反物質とは、この世の物質の反対の性質を持つ物質の総称だ。電子には反電子があり、中性子には反中性子、クォークには反クォークといった具合だ。反物質に心奪われているからこそ、ダブルはいま、RWMにいるといっても過言ではない。 「お、おま、なにやってんだ!」 タフがダブルの手元を見て素っ頓狂な声をあげた。 「なにって? 全部反物質でできたパワー制御装置だ。キャンディー型にしてみようと思ってね。かわいいでしょ」 「なにに使うっつうんだ! どこに使うっつうんだ! 宇宙を壊す気か!」 「大袈裟だなあ。せいぜいどっかの月面基地がひとつふたつ、ふっとぶ程度だよ」 「ならいいか、ってそんなわけあるか!」 タフは身悶える。 ああもう、いちいちうるさいなあ。ダブルは半眼になった。 最初のうちこそ、タフの突っ込み具合も面白かったが、こういちいち反応されると鬱陶しいばかりだ。さてと、とダブルは白衣の中を漁った。この男をおとなしくさせるにはなにを投与してやろうかね。 ダブルの不穏な空気を察したのか、水素が「係長」とダブルに声をかけた。 「喉が渇きませんか? 乾きましたよね。バナナジュースを飲みましょう。おおい、ヘリウム。バナナジュースを係長とタフさんと、それから職人によろしくぅ」 ヘリウムはいましもガスクロマトグラフィーの装置へ検体を注入しようとしていたところだった。それでも無言のまま専用グローブを手につけると液体窒素の入った容器からバナナを取り出し、砂糖と牛乳とともにミキサーにかけた。 マイナス196度で凍りついたバナナを使用したバナナジュースを作るのにヘリウムの右に出る者はいない。「僕にも僕にも」とリチウムがヘリウムにせがんでいる。バナナジュースというよりバナナスムージーといった食感だ。 その隙に水素はタフの腕を引く。 「無駄ですよ」 「なにが」 「係長は反物質に取り付かれているんです。地球上で反物質の実験をしているところを会長に発見されて、ここに拉致されて来たというくらいの話ですから」 「会長にか。なら――仕方ないな。そいつはさぞかし緊急措置だったろうしよ」 タフはうなって腕組みをした。 職人が動いたのはそのときだ。 「どうしてそんなことをしたのっ?」 「へ?」 「転送装置の配管に大量の検体があるよっ。検体は10個単位で10秒間隔で投入することになっているよねっ」 「え」 「まさかタフ。検体を転送装置に入れるの、初めてだったっ?」 タフが無言になった。えええ、と水素とリチウムがタフを見る。 「だってタフさんってキャリア10年っすよね。いままで使ったことがないって、そんなのありうるんすか」 「うるさい! なかったものはなかったんだ!」 「うんっ。まあそれはいいよっ。初めてだったことは問題じゃないよっ」 穏やかな中にも職人は『問題』というくだりに力を込める。さすがにバナナジュースに夢中になっていたダブルもストローから口を離した。 「そういえばタフは検体を運ぶために小型ジェット機じゃなくて輸送機で月面本社に来たって言っていたよね。輸送機が必要なほどの量だったわけだ。そしてここで平然とバナナジュースをすすっているからには輸送機の中は当然、カラだろうな」 「当たり前だ。そんな非常識なことはしない。持ち込んだ検体は責任をもってすべて転送機へ送り込んだ」 胸を張るタフに水素が「ちょ、ちょっと待ってください」とうろたえた声を出す。 「それって何個くらいの検体なんすか」 「今回は3426個だ。あとで書類を送るが、今後もっと発生する可能性が高い。順次ここへ転送をするからよろしく頼む」 「まさか、それを一度に転送機へ入れたわけじゃないっすよね」 タフが再び無言になった。 「入れたんすか」水素の声が裏返る。 「だれがどう考えても、そりゃ転送装置が詰まるわけですね。うふふ。タフさんが送る前の別の検体も転送装置にははいっていたでしょうから。うふふ。そりゃもう完全に詰まった状態ですね」リチウムが頬を震わせて続けた。 「なんだよ、お前ら。よってたかってオレが悪いっていうのか!」 「悪いんです!」 水素とリチウムの声が重なる。 「3426個ねっ。アタシには4247個に見えるから、差し引いた821個が転送装置から取り出さずにずっと放置していたやつだねっ」 職人の指摘に水素とリチウムが「うっ」と言葉に詰まった。 ダブルが人差し指を左右に振る。 「ダメだよ。送られてきた検体は連絡があった時点で回収しないと。むしろ転送装置が詰まったのは放置していた821個のせいじゃないのか?」 「ほらみろ。オレのせいじゃない」 「あきらかにアンタのせいでもあるから! アンタがとどめを刺したから!」 水素とリチウムは声を高くする。 ダブルは白衣のポケットからカメ型多次元マップ装置を取り出す。 ぼくには職人のようなセンサーを肉眼に取り付けていないからね。ええと、どこで詰まっているんですとな。ダブルはカメ型多次元マップ装置の甲羅の部分をペンで星の字型になぞり、月面本社の見取り図を映し出した。尻尾の部分を小指で押して、見取り図に転送装置の配管図を加える。 「むう」 検体は消化不良を起こした小腸の内部のように散らばっていた。職人がするりとダブルのカメ型多次元マップ装置を覗き込む。 「時間がかかりそうだから、一度に処理するといいよねっ」 「え? あ、職人、それだとウチのラボが」 ダブルが言い終わる前に、職人がダブルのカメ型多次元マップ装置の配管部分を人差し指で4回叩いた。 とたんに転送装置が警告音を発した。 転送装置そのものが赤く点滅まで始める。 ヘリウムはバナナジュースを放り出して転送装置に駆け寄り、ダブルは「職人はときどきすごい無茶をするんだから」と職人の頭を手でおおって転送装置の前から飛び退いた。 次の瞬間、ラボは轟音に包まれた。 同時に大量の検体が転送装置から吐き出された。 まさしく雪崩のごとくだ。吐き出でる検体はとどまるところを知らず、逃げ遅れた水素とリチウムとタフは「うわあ」と声をあげて検体に飲み込まれていく。職人が取った措置は強制排出装置だったようで、どうやら転送装置は配管にある4247個をすべて排出するつもりらしい。少なく見積もっても30分は排出が続く計算となる。 「ごめんねっ。ラボが散らかっちゃったねっ」 轟音の中、職人はダブルににっこりと笑う。ダブルは、やれやれ、と職人の乱れた髪を直した。 これは散らかるというレベルじゃないんだけどね。それでも転送装置そのものが破壊されたわけではないから最善の措置といえるんだろうな。下手をすれば月面本社全域に検体が散らばった可能性もあったからねぇ。さすがは職人だな。 職人は蝶の髪留めを直すと検体に視線を移した。そのまま検体全体をぐるりと眺める。先のほうで詰まっていた821個をのぞくとほとんどが同じ大きさの検体だった。それらがタフが持ってきた検体なのだろう。タフが持ってきた検体は同じ大きさの真空パックに包まれた黒色直方体だ。ぱっと見た分では手のひらにおさまる大きさか。 黒色直方体を眺める職人の眼差しは始めは鋭く、やがて優しげに緩んでいった。最後には愛しげにすら見えた。そして満足したのかダブルの腕から離れるとぴょんと立ち上がった。まるで地球を眺め終わったときと同じ顔つきだ。 「アタシそろそろラボに戻るねっ。追加注文のウサギ型催涙弾2400個の納期があと1時間だからっ。ウチのラボのみんなもそろそろやきもきしている頃だしっ。タフが探していた検体が見つかってよかったねっ。めでたしめでたしだねっ」 「ちゃんと納期を守るなんて偉いね」 「ダブルくんもたまには納期を守ったほうがいいよっ。モジャ毛くんが泣いちゃうよっ」 「納期は破るためにあるもんだと、ぼくは思っているんだよ」 最後に職人はダブルの胸元に顔を押し付けた。猫の胸元に顔を押し付けるような仕草だ。それから、アハハ、と顔をあげるとラボから走り出て行った。 走り去る職人のふわふわの長い髪を眺めてダブルはタフの検体を手に取る。 ――これ、本当に「めでたしめでたし」だと思う? そんなわけないだろう。だよね。だって、これってまるで――。ダブルは職人が顔を押し付けた胸元に手を当てる。 そして検体のひとつをそっと白衣の内側に隠した。 (3 へ続く)