長編サスペンス。 大気の流れや今後の動きを肉眼で見ることができる青年・クロウ。クロウに託されたのはその大気を操るスキルを持つ少年。そして火山噴火が長引いて、世界中の空はエアロゾルに覆われる。空を封印された世界。このままでは──世界は滅亡する。けれど、前科のあるクロウは、火山噴火そのものを止めることは『やれない』。さらに実はこのエアロゾルの原因は──ハル!?
【RWMとの関連性】 『バイカル湖ロスト』から3年後。アイスランドの火山噴火が7年目を迎えようとしている事件。修繕部部長マースの頼もしさを全力で背景に出した作品。 (『氷河期の状況緩和(ストームセル・メレンゲ作戦)』) 【原稿用紙換算枚数】462枚 【読了目安時間】5時間 2017/1/27 配信開始
◇◆試し読み◆◇ クロウはハルを睨みつける。 「お前、自分が何を言っているのかわかっているのか?」 「もちろんです」 ハルはにっこりと微笑む。ただし、メレンゲ菓子の大瓶を持つ手、それは小刻みに震えていた。 「聞いちゃダメだって思ったんですが、だけど、聞こえちゃったし。気になったし。それに何より僕自身のことです」 こいつ……、とクロウは奥歯を噛み締める。どこから話を聞いていたんだ? まさか……最初からか? はあ、と大きく息をはき、クロウは肩にあったマースの腕を強引にほどいた。 「聞いていたなら小声で話すこともない。オレはお前に告げたよな。お前が死ぬような行為をしたとしてもオレたちが全力で助けるって」 はい、とハルは笑顔のままで小さくうなずく。 「そのオレたちが、お前の命に関わるとわかっているアンプルやらアイテムを率先して装着させるわけにはいかないだろうが」 「僕がこっそりつければいいってことですね」 違うわっ、とマースがベシリとハルの頭を叩いた。凄まじい形相になってハルの襟首を掴む。ハルの手からメレンゲ菓子の大瓶が床へごろりと落ちた。 「絶対にそんなことやるなよっ。一度でもそんなことしてみろっ。どんな手段を使ってでも現場からお前を引き剥がしてフォックスのところへ送りつけてやるからなっ」 部長、とクロウはやんわりとマースの腕を押さえる。 「お前もだ、クロウ」 「は?」 「お前、ハルに一体どんな教育してんだよ」 「オレの責任?」 「お前がもっと自分を大事にしねえからハルまでそれでいいって思うんだろっ」 「そんなわけ──」 「ないか? 本当か? お前さっき、俺が『お前がぶっ倒れる』っつったとき、咄嗟に『それもしょうがないな』って思っただろうがよお」 言葉に詰まる。この人は本当に──鈍感に見えて予想外なところで鋭い。 視線を下げてハルが落としたメレンゲ菓子の大瓶をクロウは拾った。瓶の中のメレンゲ菓子を見つめる。なら? ……どうすればいい? ハルを現場に出さなければオレがぶっ倒れる。 ハルを現場に出すとハルがぶっ倒れる。 この二択だとしたら──。 クロウの眼差しが細く鋭くなる。ぎりぎりと奥歯を噛みしめた。身体の底から怒りにも似た熱が湧き上がる。 これだけ、と肩で大きく息をする。 大の大人が揃っているのに。 それなのに。 十四歳に世界を背負わせるわけにはいかないだろうが──。 勢いよく顔を上げた。無言でハルからマースの手を払う。そして力強くメレンゲ菓子の大瓶をハルへ押しつけた。 「しっかり持ってろ」 「へ? えっと」 「大事なものだろ? 手放すな」 「……クロウさん?」 「部長、碓氷との回線はまだつながっているんですよね。許可を取ってください」 「なんのだ」 「シェルにアイテムを作ってもらいたいんです。さっきフォックスへ頼んだのとは別のブツです」 「……どんなブツだ」 「オレ用のアンプルを作って欲しい。それからオレ用のアイテムです。二つともフォックスがハルに作ったヤツの効果をオレがフォローして中和するような効果があるヤツです」 おま、とマースが声を詰まらせる。 「それならハルが現場に出ても何もないよりはダメージが少ない。オレもハルがいればぶっ倒れることもない」 あのなー、とマースが怒鳴る。 「それがどれだけ自分の負担になるかわかって言ってんのか? ハルのフォローの上に地球上の気流をすべてチェックするってんだぞ? 無茶苦茶だ」 「だからってオレの代わりに部長用のフォローアイテムを作ってもらうわけにはいかない」 「なんでだ」 「ギンでも無理だ」 「だからなんでだっ」 「作るのがシェルだからです。そしてシェル以外にフォックスの作ったアイテムを考慮したフォローアイテムを作れる人材はいない」 マースが目を見開く。それからかすれた声で、わ、と声を出した。 「わ、わかんないぞ? 碓氷から頼めば作るかもしれん」 『馬鹿か、お前は』 とマースのイヤーモバイルから碓氷の声が聞こえた。今までカフェでのやり取りをずっと黙って聞いていて、ようやく声を出したといった様子の声だった。 『シェルがどれだけクロウに夢中かわかっているだろうが。ほとんどフォックスのわたしに対する愛情レベルだ』 「お前さ、こんなときにさらりとのろけないでくれる?」 『愛情の深さを示しただけだろう? それにクロウも人が悪いな。素知らぬふりをしてそこまでシェルのことを理解しているのか。呆れたな。人はそれを愛とか恋とか呼ぶんだぞ』 クロウは苦笑する。 「野次はいいんで、許可をくれ」 そのときだ。凄まじい勢いでクロウのイヤーモバイルが振動してメール画面が表示した。 シェルだ。 弾けるような文字だった。 『あるよ』 「……お前な、って何が」 『だからもう作ってある。クロウが欲しがっているアイテムとアンプル』 はあ? とクロウが声を裏返してシェルのメールを声に出し、それを聞いたマースと碓氷も、はあ? と声を裏返した。 『フォックスさんがハル用になんかヤバいブツを作り出した段階で、クロウが絶対に言い出すだろうって思って、フォックスさんのデータを盗み取って作っておいたんだ』 「盗み取ったって、お前があのフォックスから?」 『安全面は信用して。言っているでしょ? このあたしがクロウを死なせるようなブツを作るわけがないってさ』 「ハルも大丈夫なのか? お前が作ったオレ用のそのブツを使えばハルも問題ないんだな」 『二人ともサイコーな措置ができるようになる。だってできあがったアイテムとアンプルを見てフォックスさんが笑っていたもん』 フォックスが笑った? ……大丈夫なのか? それから、とクロウは声を出す。 「シェル、今こっちでギンがフォックスの作ったハルの動作解析ソフトを簡易版に処理中なんだが、データが多過ぎて処理が追いつかない。概要を知っていたら教えてくれ」 『ああそれね。それも現場じゃ無理っぽいなって思って、クロウに作ったアイテムの方に入力しといた』 「すでに簡易版がある? ……お前、そういうのこそ、先に欲しかったんだが」 『うん。まあ、クロウのアイテムにくっつけちゃったからクロウが頑張るしかないんだけどね』 「それじゃあ、オレの仕事が増えたっつうことじゃねえかよ。それの上でオレの命の保証があるだと? 信用できるのか」 『フォックスさんのもとの解析ソフト、どっちみちどれだけ簡易化したってクロウ以外に使いこなせないじゃん。マースには無理だよ』 「……断言かよ」 『クロウだってうすうす気づいていたでしょ?』 う、と言葉に詰まっているとマースが悔し気にクロウの背中をバシンと叩いた。 「頼むぜ若造、この野郎。オジさんは気が利かないからさあー。細かい作業も苦手だしさー」 「……部長、そんなにあの作業がやりたかったんですか?」 「俺だってお前らの力になりたいって思うじゃんっ」 「俺のデータを使った例の気流解析ソフトだってかなりのものですよ? もういっそ、そっちは全部お任せしますよ」 だってあれは、とマースが言い返そうとしたところでシェルが大文字で『クロウ』とメールで呼びかけて来た。 「なんだよ」 『……死んじゃいやだからね』 一瞬言葉に詰まる。視線を伏せてクロウはつぶやく。 「お前はそんなに危ないブツを作ったのか?」 『違うよ。絶対に死なせないよ。だけどあんたはすぐに捨て身になるじゃんっ』 「……お前までそんなふうに見てるのか」 『違うっていうの?』 ああもう、と目を閉じる。 「死ねないだろう。オレが死んだらハルも死ぬぞ。ハルを──死なせるわけにはいかないだろうが」 なんのためにハルがNGCOから保護されて来たか。それがすべて無駄になる。 『だからっ』 と大声が聞こえた。 メールではない。 声だ。 シェルの声だった。 クロウは目を見開いた。シェルは叫ぶ。 『あんたも同じだって言ってんのよっ。なんのために会長に保護されたのよっ。生きるためでしょうっ? いい? 死んだら許さないからねっ』 そしてブツリと回線が切れた。 目をしばたたく。 ……何カ月ぶりだ? シェルの生の声を聞いたのは。 (続きは、本編で)