長編ライトミステリー。 カズが主任となったカフェに通うヒイラギは「ペンギン好き?」とカズにいきなり訊ねられる。直後、舞い込んだ事件はペンギン大量死事件。そして現場は意外な場所だった。ツグミが足をひっぱり、ボブが頭をはたく。それでもヒイラギは己を曲げない。頑固で神経質な上に目の前にある事象すべてを自分の手で救いたいと躍起になる男、ヒイラギ。「カズとヒイラギがタッグを組むと案件が複雑になるんだよ。ふざけんなよっ」。ボブの雄叫びが響く場所はどこだ!
【RWMシリーズ関連性】 『氷の12月』から3年後。次の『南極からのしらせ』の半年前の12月に南極で起きた事件。(『ペンギン大量死事件』) 【原稿用紙換算枚数】345枚 【読了目安時間】4時間 2016/4/8 配信開始
◇◆試し読み◆◇ カウンターの奥から唐突にカズが声をかけてきた。 「ヒイラギさん、ペンギン好き?」 「はあ?」 ヒイラギはカップを持ったままカズに顔を上げた。 カズはさらさらの前髪を揺らしつつ、ヒイラギが答えるのを今か今かと待っている。二十代後半の身体つきの男なのに、瞳だけは少年のようにキラキラと輝いていた。 ……こいつ、またろくでもないことを考えているな。 ヒイラギは視線をカップに戻してコーヒーを口に含んだ。 ハワイコナコーヒー。しかもエクストラファンシーの中でもより粒がいい豆。さらにさっきここでカズが自ら焙煎したばかりのコーヒーであった。『カズが』を差し引いてもじっくりと味わう価値のあるコーヒーだ。 けれどカズも食い下がった。 「ねえねえねえねえ。ヒイラギさん、ペンギン好き?」 好き? とカズはカウンターに身を乗り出して繰り返す。満面の笑みからほんのわずかに必死さがにじみ出ていた。 なんだ? ただの戯言ではないのか? ヒイラギはカップをソーサーに置く。 「コウテイペンギンについて三十分ほど語る程度に『しか』興味はない」 カズは大きく目尻を下げる。 「充分だよ。さすがだよ。よかったよー」 ヒイラギは顎を引いてカズを見た。経験からすると厄介な話へ発展しそうだ。 「……何を企んでいる?」 「ちょっとねー。これから何か起こりそうだなあって思って」 「『何か』?」 「ミスター・ペンペンがあんまり不安そうだからね」 「……誰だ。ペンギンマニアか?」 「ミスター・エンペラーとも呼ばれてるらしいけど、俺はミスター・ペンペンのほうがしっくりするな」 「だから誰だ」 すごむヒイラギにカズは、うーん、と間延びした声を出した。 「俺もよくわかんないんだけどー」 でもー、とカズは大真面目な顔つきで続けた。 「コウテイペンギンっぽい」 目をしばたたき、ヒイラギは額に手を当てた。 「お前はまた、わけのわからんことを」 ふざけたことを抜かすな、と一蹴できないのが辛い。 カズと知り合って丸三年。このあいだ、どれほどカズの不思議な言動が任務を左右してきたか。ヒイラギ個人の任務だけでなかった。社内全体に関わる案件にも左右した。 インド洋に長さ数千キロの巨大な雲の群れが発生して台風が超巨大化するからミクロネシア一帯は緊急避難措置を取るべきだとか。今年のシベリア高気圧は南下しやすいっぽいからアジア連邦の東南部でも爆弾低気圧に備えるべきとか。磁気嵐が活発化しやすいから軌道が変わって落下してくるスペースデブリにヨーロッパ連邦南西部は気を使うべきとか。 まるでこの男には数手先の出来事が視えているかのようだ。それをどう動かしていいのか、どう対処すべきなのか、常に考えているようでもあった。しかも楽しげに。かつ本気で。 だとしたら、とヒイラギは慎重にカズの瞳を見た。 緑がかった瞳がガラス玉のように光沢を帯びていた。ゆらりとカズの気持ちがその緑のガラス玉の奥で揺れていた。頬にはたっぷりと笑みを残したまま瞳だけが雄弁だった。 今回も、カズは本気でペンギンを案じているのだろう。そして心配のタネはペンギンだけではない。ペンギンが関わる環境そのものか。カズはいつだって地球のことを本気で心配している。 「俺だけじゃないじゃん」 カズはヒイラギの心中を見透かしたように続けた。 「ヒイラギさんだっていつも地球を心配している」 まあな、とヒイラギは肩をすくめた。 そのときだ。 ドアベルが鳴った。 その軽やかな音とともに入って来たのはロングヘアにショートパンツ姿の小柄な少女だった。躊躇なく中へ入って来る。もちろん民間人ではない。社員だ。 「いらっしゃーい、ツグミちゃん」 カズの声に答えもせず、ツグミはフローリングの床を息荒く蹴ってヒイラギの横に立った。肩で息をしている。よほど急いで来たらしい。 気持ちを整えるように胸に手を当てると、ツグミはヒイラギへ顔を上げた。 「あなたが『粘着質で神経質で頑固な上に、目の前にあるすべての事象を自分の手で救いたいと躍起になっている』ヒイラギさんですか」 「おい」 「さらには『面倒がらない男』のヒイラギさんですか」 「だからなんなんだ。初対面でずいぶんと失礼なお嬢さんだな」 「はじめまして。今回ペアを組んで案件解決に当たるよう指示を出されたツグミです。情報調査部員です」 ちなみに、とツグミはヒイラギを睨んだまま語気荒く続ける。 「こう見えても子どもじゃありません。ハタチになりました。そこのところ、よろしくです」 「はあ?」 「ヒイラギさんは『なんだ、この小娘は』という顔をなさっていますから」 ヒイラギはカズを見た。カズは含み笑いをしていた。どうやら本当にそういう顔をしていたらしい。ヒイラギは即座にツグミへ顔を向けた。 「すまない。気をつける」 へ、とツグミが目を丸くした。これほど素直に謝罪されるとは思っていなかったのだろう。ヒイラギにとって不愉快な謳い文句のせいでよほど偏屈者と思われていたらしい。まあよくあることだ。 ヒイラギは気に留めず、「で」と促した。 「なんの案件をするって? おれのところに連絡はないぞ。それはコイツに挨拶を返すより緊急事態なのか?」 くるりと人差し指でカズを指し示した。 ツグミはカズに顔を向け、あ、という顔をしたものの、ヒイラギに向き直り「はい」と意気込んだ。 「大変なんです。事件です」 「事件はいつも発生しているな。おかげでろくに寝る暇もない」 「いつもの事件とは違うんです。大事件なんです。ペンギンなんですっ」 「ペンギン?」 眉を歪めてからカズを見た。カズは、ほらね、と言いたげな顔つきをしていた。 「さすがミスター・ペンペンだよね。危機管理がしっかりしてる」 どうやらすでにカズにはどういう経緯でツグミがここへ来たのかわかったらしい。 連絡が入ったのではない。 ただ『わかる』のだ。 それが──カズだ。 ヒイラギのイヤーモバイルでコール音がしたのはその直後だった。左手で素早くイヤーモバイルをタップし、眼前へ十センチ四方のモニターを空中投影させる。メールのタイトルを見てヒイラギは首を振った。なるほどコウテイペンギンらしいミスター何某がカズを動かすだけのことはある。 ──『ペンギン大量死事件』発生。 それがメールのタイトルだった。 (続きは、本編で)