abstract

全文無料FREE作品。
短編ラブコメ。
バレンタインにリカさんからチョコを貰いたい、それがこんなにも難しいことだとは。世の中の男子に送る、必殺チョコゲット作戦。走れモジャ毛! 
本作品は、「小説家になろう」にも掲載してあります。

about

【RWMシリーズ関連性】
『ミッションくらげ』の後、シリーズかなり後期に相当する時系列にある作品。作品としては初期のものなので、現在のRWM設定と若干異なります。カカオは可々雄と同一人物です。遥はカズの娘のあの遥です。ゆえに……若干、将来のネタバレを含みますが、このあいだの物語を公開する予定はないので、いろいろ妄想してお楽しみください。(『彼のマカロンを食べたとき』、『カフェ・ド・カズ』)。
【原稿用紙換算枚数】16枚
【読了目安時間】20分
2013/02/10 無料公開開始

全 文


   モジャ毛君の災難


 みなさん、こんにちは。モジャ毛です。
 我がモジャモジャ頭を見て、どなたもわたしをモジャ毛と呼びますが、ははは、自分で呼ぶのはなかなか虚しいものですね。
 いえ、そんなことよりバレンタインです。チョコです。セント・バレンタインデーです。
「リカさん、2月14日はなんの日だかご存知ですか?」
「モジャ毛さん、このマフィンすごいです。ブロックチョコが入ってる。アーモンドも。うわ、生地はさくさくのふわふわ。旨しです」
「新しく入ったパティシエの自信作だそうですよ。じゃなくて」
「モジャ毛。餌付けしてんじゃない。リカに仕事をさっさと渡せ。うちは万年人手不足だ!」
 ウスイ部長の怒鳴り声が飛んできました。わたしは渋々リカさんに任務依頼書を差し出しました。
リカさんはボブヘアーをふんわりと揺らして書類に目を走らせます。頬についたマフィンのカスがなんとも愛らしい。
「この地区はチョコで有名な地区ですね。やった。バレンタインシーズンだからいろいろなチョコを食べられます」
 バレンタインという言葉の認識はされていたようです。よかった。
「あとひと月たらずで2月14日を迎えるのですが。そこで」
「モジャ毛。いい加減にしろ」
 頭上から書類が降ってきました。ウスイ部長です。
「リカに追加任務な。安心しろ。14日といわず、2月15日までびっしり詰め込んでやったから」
 適材適所の鬼女。異名に違わずスケジュール表は秒刻みです。しかもこれ、わたしがリカさんと話し込み始めた数分の間に作り上げたに違いありません。
 さすがのリカさんも仕事量にマフィンを喉に詰まらせていました。すかさずわたしはカフェオレを渡しました。
「リカならできる。リカしかできない。頑張れリカ。ファイトだリカ」
 ウスイ部長は歌うように言うと手をひらひらと振ってデスクへ戻っていきました。
「ウスイさん、今日も絶好調ですね」
「すみません。で、バレンタインですが」
「はい。バレンタインです。楽しみですね」
 おお。それはもしや! 期待で胸が膨らみます。
「何種類のチョコを食べられるでしょうか。あ。ちゃんと仕事もしますからご心配なく」
 ……そうですよね。リカさんならばわたしよりもチョコの心配をするのは当然ですよね。何しろ社内有数の食いしん坊さんですし。
 そのときです。
 ウスイ部長がまくしたて始めました。
「モジャ毛。マッドに妙なアイテムが届いてヤツは軽傷。救護班の手配だ!」
「海のクライアントがキャンセルを言い出した。海のヤツをなだめろ。仕事を逃がすな!」
「救護班の手配のネタがばれた。ダブルの動きが怪しい。ヤツを止めろ。絶対に外へ出すなよ!」
「音色がポカしやがった。唯に補充アイテムの送付だ!」
「クレームだ。夏美に渡した依頼書に手違いがあったらしい。どこでミスったか至急チェック。夏美には待機指示!」
 ここまで叫び続けられるウスイ部長にも感心しますが、どういうことでしょう? どうしてこんなに立て続け?
  「テーブルに両手をついている場合か。モジャ毛、働け!」
 ウスイ部長は両手に文房具を持っていました。クレームを受け取りつつ別作業をするという荒業をおこなっているようです。
 これほど仕事のできる上司を持つ我が身が呪わしい。
「リカに渡した書類にも5か所不備発生だ。クライアントが予定変更を言い出した!」
 そうです。リカさん。
 振り向いたものの、リカさんの姿はもうありませんでした。マフィンを両手に任地へと赴いたのでしょう。機動力命の部署の部員。依頼書を手にした以上くつろいでいるわけがない。
「モジャ毛! スクランブル発生。職人まで脱走しやがった。止めろ。こいつも絶対に外へ出すな!」
「アカリの通信が途絶えた。コハクの分も確認をしてアカリの安否を確認だ!」 「会長が余計な動きを始めたらしい。止めろ、モジャ毛。こっちの仕事が増えるぞ!」
 むう、とわたしはうなりました。災難続き。負の連鎖。どこかで断ち切らねば、永遠にバレンタインなど訪れない確信があります。
 どうする。どうしたらいい。歯ぎしりするわたしに誰かが肩を叩きました。
 新しく入ったパティシエ、カカオくんが立っていました。
 にやりと笑っています。
「助けてやろうか? モジャ毛さん」

      *** 

「意外。モジャ毛さんって器用なんだね」
「こういう作業は没頭できていいですねえ。手順通りにやればちゃんとモノが出来上がる。素晴らしい」わたしは涙ぐみそうです。
「チョコのテンパリングしながら泣く人は初めて見たよ」
 そんなことより、とカカオくんは心配そうな顔をしました。
「モジャ毛さん、寝なくて大丈夫なの? かれこれ数日は仮眠程度にしか寝てないよね」
「超多忙期ではいつものことですから。カカオくんこそすみません。大事な睡眠時間を削って」
「オレはこの時期は寝られなくなっちゃったから大丈夫だよ」
 この時期。バレンタインの時期。わたしはしばし無言で手を動かしました。カカオくんも無言でボウルの中身をかきまぜ続けます。
 それは愛しそうな顔つきでした。
 悲しそうな顔つきではない。
 それが、返ってわたしの胸に刺さりました。
 カカオくんの婚約者、遥さんとおっしゃいましたか、彼女が事故で亡くなったのはちょうど3年前のこの時期です。営業だけでなく総務も兼ねているために、そういう個人情報が否応なしに耳に入る。
 わたしの無言を察したのでしょう。カカオくんはふっと笑いました。
「喜んで菓子を食べてくれる相手がいるのは、いいもんだよな」
「カカオくんはいつからお菓子作りを?」
「3歳だ」即答でした。
「カズさんのマカロンを食べて目覚めたんだ」
 カズさん。わたしは目を見開きました。カズさんといえば、我が社の英雄的社員です。「あ」とわたしは声をもらしました。
「遥さんは、確か、カズさんの娘さん、でしたか」
「うん。だからオレとあいつは幼馴染だったんだ」
カカオくんが、もうわかるだろう、という視線を投げてよこします。「そうですか」とわたしはボウルに視線を戻しました。
 カカオくんは3歳から遥さんに恋をしていた。遥さんのために菓子を作り続け、パティシエにまでなってしまった。
 27歳だったカカオくんが念願の暖簾分けの許可を持って遥さんのもとに走ったのはちょうどバレンタイン期間だったといいます。まさしくこれから彼らの人生は始まろうとしていた。そんな彼が遥さんの事故死をきっかけに何もかも失った。
 テンパリングのチョコがボウルに流れ落ちるさまを眺めました。カカオくんにはもう、このチョコを食べてもらいたい一番の相手はいない。どこを捜しても、もういない。
「しけたツラしないでくれる?」カカオくんが苦笑いしています。
「どうしてオレがパティシエを続けていると思う?」
 それはつねづね疑問に思っていたことです。菓子を作り続ける。それは常に今は亡き婚約者を思い出すことです。辛いばかりではありませんか。
 黙っているとカカオくんはあっさりと答えを口にしました。
「オレの菓子を旨いと言ってくれる人がいるからだよ。リカさんだって目尻を下げて食べてくれた」
「はい」
「だから会長にスカウトされたとき、迷いもなく入社を決めたんだよね。超多忙な人たちにこそ、心を癒す菓子が必要だと思ったから」
 ほら、とカカオくんは出来上がったチョコトリュフを差し出しています。わたしは頭を下げて受け取りました。口に含む。まろやかなカカオの香りが口に広がります。ブランディーでしょうか。鼻の奥からゆったりとした匂いが抜けていきます。思わず頬が緩む。
「そういう顔がオレは見たいんだ」カカオくんが満面の笑みを浮かべています。
「そのために菓子を作り続けているんだ。確かに」とカカオくんは少し言いよどみました。
「遥は誰よりもオレの菓子を喜んでくれた。その遥はもういない。その事実はくつがえせない。どうしようもない。でもさ。だからって、それがオレが菓子を作らない理由にはならない、って思った」
 モジャ毛さん、とカカオくんは真面目な声を出しました。
「心を込めた菓子は違うよ。機械で作ったのと全然味が違う。伝わるんだ。作り手の想いがさ。作り手のぬくもりも。だからさ」
 カカオくんが言葉を切り、わたしは力強くうなずきました。
「じゃあ次の行程にいくぜ。昨晩作っておいたガナッシュにテンパリングしたチョコを付ける作業だ」
「化学実験をするように慎重に、ですね」
「集中だよ。食べる相手を思い浮かべて、ガナッシュにチョコをかけていく」
 相手がどんな顔をして頬張るかとか、どんな感じでチョコは口の中で溶けていくかとか、食べたヤツはどんな気分になるかとか。そういうことを思い浮かべる。
 言いながらカカオくんの頬には笑みが浮かんでいきます。目の前に相手がいるかのような顔つきです。
 思わずわたしは目を伏せました。
 遥さんというお嬢さん。彼女はなんて幸せ者だったのでしょう。これほどまでに誰かに想いを寄せられるなんて。
 そしてカカオくんを羨ましく感じました。誰かをこれほどまでに想いを寄せることができるなんて。
「モジャ毛さん、これからできるじゃん。というかもうしてるし」
「そうですね」わたしはガナッシュにチョコをかける作業に集中します。
 カカオくんも、などと野暮なことは言えません。
 まだ3年なのです。
 24年間、一緒にいた相手と絆を引きちぎられてまだ3年。心変わりをしろなどと、どの口で言えるでしょう。
 相手を思い浮かべてチョコを作る。笑顔を思って作り続ける。わたしは黙々と手を動かし続けました。

      *** 

 2月14日。気温マイナス7度、湿度11%。雲一つない青空のもと、わたしは地下鉄駅3番出口前に立っていました。
 ウスイ部長の作成したスケジュール表によるとあと2分でリカさんが目の前を走り抜けていくはずです。サボりではありません。ちゃんと営業仕事の途中ですとも。
 チョコの入った小箱を両手で抱えてそわそわと通りをうかがう。まるで女子高生にでもなった気分です。
 そしてあのふわふわとしたボブヘアーが目に入りました。
 リカさんです。
「リカさん」と呼びかけようとしたまさにそのとき、小柄な物体が視界を横切りました。ダブルさんです。
「どうしてここに!」
 とっさにダブルさんのジャケットをつかもうとしたものの、あっさりとかわされました。悔しがる間もなく、職人までもがダブルさんに続きます。その職人もするりとわたしの動作をかわし、わたしの手は無様に宙を舞いました。
 ダブルさんたちの向かう先にいたのは音色くんでした。そういえば唯ちゃんのいるカフェはこの近くにあります。
「ヤバい。音色くん、逃げてください!」
 わたしの声に気づいたのか、ダブルさんたちの姿に気づいたのか、音色くんは文字通りその場で飛び上がって、そのまま逆方向へと走り出しました。
「音色くん。あれほど警告したのに。いつの間に彼らのカモになっていたのでしょうかねえ」
 不意に背後から肩を抱き締められました。包帯だらけの男が目に入ります。棒キャンディーを舐めていなければ誰なのかわからないところでした。
「どこが軽傷なんですか、マッドさん。重症じゃないですか」
「この街のアイス屋でコットンキャンディー味のアイスが復活したのですよ。入院なんてしている場合ではありません」
「そんな元気があるなら仕事してください」
「きみに言われたくありません。何です? その箱は」
「そうだ! リカさん!」
 わたしは慌てて周囲を見渡しました。見当たらない。いや、まだ近くにいるはずだ。うろたえるわたしにマッドさんが東の方角を指さしました。
「いた!」
 リカさんは東方向にある公園の屋台でソースヤキソバを購入しているところでした。
「リカさん」
 わたしは人目も気にせず走りました。ここで会えなければ数日の努力が水の泡です。
 マッドさんが何か言っているのも聞こえません。気持ちばかりが急いて足が上手く進まない。水の中を走っているようです。もがくように手を動かし横断歩道を渡るわたしに車が突っ込んで来るのが見えたのは道路の中央あたり。
「うおう」
 わたしは瞬時に腹ばいになりました。
 道路が凍っていたのが幸いしました。わたしを避けようとした車はスリップして信号機へと激突していきます。
「モジャ毛さんじゃないですか。大丈夫ですか!」
 顔を上げるとリカさんがいました。さすがのリカさんも至近距離での事故に駆け付けたのでしょう。
「あれ? マッドさんに音色くんにダブルさんや職人さんまでいる。何かあるんですか?」
 わたしは立ち上がると死守した小箱を差し出しました。
「チョコです」
「え。チョコ?」  リカさんの顔が輝きました。わたしは胸がいっぱいになります。
 そうです。バレンタインデー。男から渡して何が悪い。欧米では男性から女性への贈り物をする日だというではありませんか。
 いただけないならば差し上げる。
 それくらいの気構えがなくてどうしましょう。
「昨日作ったばかりです。賞味期限は今日までです。さあ召し上がってください」
「モジャ毛さんが作ったんですか! すごい。きれい。美味しそう」
 箱を開けてリカさんは早速ひとつ口に入れました。みるみるリカさんの目尻が下がっていきます。
「うわ。どこで食べたチョコよりも美味しい。ほんとです。ほら」
 いきなりリカさんは一粒手に取るとわたしの口へ押し付けました。勢いでわたしは口を開きます。うん、我ながら上出来です。何日も寝ずに試作を繰り返したかいがあったというものです。
 ん? え? この状況は。ひょっとすると、ひょっとしなくても、リカさんからチョコを貰った、と言い換えてもいいのでは?
 ガッツポーズを取るわたしの脇に体格のいい中年の男性が立ちました。
「兄ちゃん、冬道で信号無視して飛び出してくるなんざ、いい度胸じゃねえか。どうしてくれんだ。車、全損だぞコラ」
 ああ運転手さんでしたか。ご無事でなによりです。胸元をつかまれつつわたしは薄い笑みを浮かべました。
「何ニヤついてんだ。警察くるまでつきあってもらうからな」
 リカさんは「チョコご馳走様でした。残りは大事にいただきます」と言うと笑顔で走り去りました。ダブルさんも職人さんもマッドさんも音色くんもすでに姿はありません。
 みんなまき沿いを食わないよう、各々の仕事に戻ったのでしょう。営業部員としてはありがたい行為です。ここでみなさんの仕事に支障が出たらウスイ部長に何をいわれることやら。
 それに交渉事はわたしの専門分野です。
 胸を張ろうとして胸部に違和感を覚えました。
「ちょ、兄ちゃん怪我してるんじゃねえか。誰か! 救急車!」
 ええ? わたしがそんな失態を? バカを言わないでください。ちょっと寝不足なだけで。意識がだんだん遠ざかります。
 なんということでしょう。
 まだ負の連鎖は続いていたようです。
 薄れて行く意識の中、美味しそうにチョコを食べるリカさんの横顔が思い浮かびました。ああそうですね。まあいいでしょう。こんな日もありますよ。リカさんの笑顔が見られただけ上出来です。
 問題はウスイ部長ですね。なんと言訳したものか。
 どなたか一緒に考えてくださいませんか?


(了)

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