abstract

短編SF。
近未来のほのぼのコミカル短編小説。
メロンパン大好きの夏実に与えられた仕事は『町おこし』!? 慣れない仕事に次長のしつこい妨害工作。そんな夏実を温かく見守ってくれたのは町長と女性群。それから――。

about

【RWMシリーズ関連性】
『氷の12月』から7年後。シリーズ後半作品。文庫本『終焉のソースヤキソバ』のヒロインである夏実が、同時期に本案件にかかわっていたというもの。さらに別案件としてダブルたちが『水ようかん事件』に関わっていたのも同時期。
(『人口密度緩和対策事件』)
※初期作品につき、設定が現在と若干異なります。『レモンパイ効果』以降に配信された作品ついては設定が統一してあります。ご了承ください。
【原稿用紙換算枚数】100枚
【読了目安時間】30分
2013/6/13 配信開始。デジタル書籍デビュー作品。

試し読み


◇◆試し読み◆◇

 実は夏実、公務員ではない。
 リペア・ワークス・オン・ザ・ムーン、略してRWMの社員だ。
 RWMは文字通り、月面にある。
 月である。
 地球の唯一の衛星である、月だ。
 人間が月面に足跡を印して数百年後、民間人もコロニー内部で月面での生活が可能になった。その際、RWMは真っ先に事業を構えた民間企業だ。
 月面においては老舗中の老舗。おもなる業務は環境コンサルティング業。環境問題に関わる問題ならばなんでも業務対象としていた。もちろん対象地域は地球で、民間だけでなく多くの公的機関を相手に全世界展開をしている企業だ。
 昨日だ。
 ひと仕事を終えた夏実はそのRWM月面本社のカフェにいた。
 さんさんと陽が当たる窓辺で、夏実は大好物のメロンパンにかぶりついていた。
 クッキー生地の歯ざわりに夏実の頬が緩む。表面のグラニュー糖が舌の上でゆっくりと弾けて、甘みがじわりと口に広がった。至福のひとときだ。
「夏実ちゃん、発見」
 テーブルの下からモジャモジャ頭の男が顔を出した。
 営業部員だ。
 反射的に夏実は思わずモジャモジャ頭の営業部員を蹴り飛ばす。モジャモジャ頭の営業部員は隣りのテーブルまで吹き飛んでいった。
「さ、さすが夏実ちゃん。あいかわらず鋭い蹴りだねえ」
 口から血を流しつつ、モジャモジャ頭の営業部員は夏実に愛想笑いを浮かべた。
 夏実は急いでメロンパンを平らげるとモジャモジャ頭の営業部員に背を向けた。カフェを出ようとカウンターを片手で乗り越える。そこをモジャモジャ頭の営業部員が突進して来る。
「あいさつもなしだなんて冷たすぎるよ」
「こんにちは。さようなら」
「ひと言くらい話を聞いてください」
「忙しいので失礼します」
「させるか」
 モジャモジャ頭の営業部員はスライディングして夏実の正面に立った。
 そのまま夏実の前にひざまずく。
 モジャモジャ頭の営業部員の得意技、土下座だ。
 毎回、土下座に負けてはいられない。夏実は視線を逸らして背後に逃げようとした
。すかさずモジャモジャ頭の営業部員が両手を差し出した。思わず夏実は動きを止める。
「ハチミツ堂のスペシャルカリカリ・メロンパンです」
「本物!」
「もちろん!」
「どうやって!」
「営業部の力を舐めてもらっては困るよぉ」
 モジャモジャ頭の営業部員は胸を張る。目の前でハチミツ堂のスペシャルカリカリ・メロンパンの袋をちらつかされて夏実は膝を折った。
 くう。たった今、仕事が終わったばかりだというのに。この数ヵ月ろくに休暇も取れないのに。
 こんなに簡単に懐柔される我が身が恨めしい。
 夏実はやけくそでハチミツ堂のスペシャルカリカリ・メロンパンを奪い取る。そしてハチミツ堂のスペシャルカリカリ・メロンパンにかじりついた。
 途端に口いっぱいハチミツの甘みが広がった。ふわふわ生地なのにハチミツの香りがいっぱいだとは。
「反則ワザだ……」
「それで、これが新しいお仕事ねぇ」
 モジャモジャ頭の営業部員は夏実に紙を手渡した。
 夏実はハチミツ堂のスペシャルカリカリ・メロンパンを頬張りつつ紙に目を通す。思わず不機嫌な声が出る。
「こんなのうちの部の仕事じゃありませんよ。営業部でやってください」
「新規事業のひとつや2つを立ち上げてくれるだけでいいからさあ。これだって立派な環境コンサルだよ」
「わたしは修繕部です。リペア屋なんです。専門外です」
「全部の地域じゃなくていいよ。いくつやる? 20ヵ所くらい? もっとできる?」
「1ヵ所で勘弁してください」
 口が滑った。モジャモジャ頭の営業部員がにんまりと笑う。
「さすが夏実ちゃん」
 とモジャモジャ頭の営業部員は夏実の頭にもうひとつハチミツ堂のスペシャルカリカリ・メロンパンを乗せる。
「あ。言うまでもないだろうけど。今回も末尾に記載した注意事項に気をつけてねー」
 よろしくぅ、とモジャモジャ頭の営業部員はスキップで夏実から離れていった。おれの任務無事完了、といった空気がモジャモジャ頭の営業部員の全身から出ている。
 わたしの休暇はハチミツ堂のスペシャルカリカリ・メロンパン2個分なのか。
 頭上のメロンパンを手にとる。……まあそれも悪くないか。
 わけのわからない仕事を営業部に押し付けられるのはいつものことだ。今回はハチミツ堂のスペシャルカリカリ・メロンパンというおまけがついていただけマシだといえよう。
「それでもって『赴任日は明日』って。これ、今から行かないと到着できないじゃん」
 はあやれやれ、と夏実はモジャモジャ頭の営業部員から渡された紙をハーフパンツのポケットに突っ込んだ。
 しかし、前向きすぎる夏実は気づいていなかった。
 この、フランスはパリのジャポネ区にある人気店、ハチミツ堂の1日限定20個のスペシャルカリカリ・メロンパンを、焼きたて同然でRWMの月面本社まで搬送するためには、本当に夏実の今までの休暇分のギャラ近くの費用を要したであろうことを。
 そこまでしてモジャモジャ頭の営業部員はどうしても夏実にこの仕事を引き受けさせたかったことを。
 さらにはモジャモジャ頭の営業部員が最後に渡した紙に記載されている注意事項にどれほどの含みがもたらされているのかを、夏実はまったく気づいていなかった。
 ことに注意書きの最後の一文にはこうある。
『本業務に当る際には、地域住民にRWMの社員であると気づかれないよう、細心の注意を払うこと』
 それはすなわち、赴任先の地方自治体がクライアントではないことを意味する。
 RWMの社員であることをバラすな。秘密裏に動け。
 何のために。
 夏実はまだ、疑問すら抱いていない。

(続きは、本編で)

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