短編ライトミステリ。 目の前には火口、隣はイカレた同僚男、そして年下彼氏とケンカして三日目。マリの手元にはヤツのアイテムがある。かつてヤツのアイテムで有毒ガスが発生し、1000人を超える民間人殺害未遂を起こしたマリ。以降、ヤツのアイテム量産化阻止に全力を注いできた。それなのに、なぜヤツのアイテムばかり? 何を企んでいる? 事件の再発か? そこに彼氏の見合い話が急浮上。「あの日」のチョコが、すべてを決めたのを、マリはまだ知らない。
【RWMシリーズ関連性】『粉雪ダウンバースト』のときに発生したCDB事件により、地球環境が大混乱。CDB事件で大気中にばらまかれたPAN粒子が火山噴火を誘発。CDB事件後日談・夏(『CDB事件後・夏事件』) 【原稿用紙換算枚数】100枚 【読了目安時間】30分 2014/8/22配信開始
◇◆試し読み◆◇ お待たせしました、とマッドが棒キャンディーを宙に掲げた。一メートルと離れていない距離で隣り合っているのに、いちいち大袈裟な男だ。 「技術開発部から解析報告が来ましたよ。あのマーブル模様に見えていたガス、ヤバいですねえ。『万が一、マグマ溜まで到着するようなことがあるとブリニー式噴火を誘発させかねない』とあります」 「ブリニー式噴火っ」 マリの声が裏返る。イタリアの古代都市、ボンベイを廃墟にした、あの巨大噴火のことだ。その噴煙柱はときには五万メートルを超えて成層圏にまで達し、数日から数か月もの間、周囲を暗闇に包むという。まったく冗談ではない。 「それだけでなく、ちょっとした噴火口にもやすやすと入り込んでは地中の溶岩成分を噴火しやすいよう組成を変える恐れもあるとのことですよ」 「何よそれ。どうしてそんなことまでいいきれるのよ。技術開発部のやつら、こんな短時間でそこまで解析できるだなんて……すでに何か火山の実験でもしていたの?」 「ブリニー式噴火を食い止めるアイテムもあるにはあるそうですが。あまりに危険だということで量産の認可は降りていないそうです。よかったですね。食い止める人材がいて」 ああもうやっていられないわよ、とマリは首を振ってから、で、とマッドをうながした。 「ガスの解析結果がわかって、それで私たちはどうすればいいの」 「そこで出番なのがそのコックローチくんの……」 マッドの言葉の途中でコール音がした。マリのイヤーモバイルだ。 仕事中に誰だ、と眉をしかめてアームを伸ばすと、マルコからのメールだった。一瞬、後回しにしようとしたものの、あとでゆっくり見る時間がとれる保証もないので、マッドに背中を向けてメールをモニター投影した。公私混同など、すでにマリにとってはどうでもよかった。それに詫びのメールならこの任務も清々しい気持ちで進めることができるというものだ。 ところがそうは問屋がおろさなかった。 件名からして不愉快だ。 『どうしよう。見合い話が来ちゃった』だ。 「見合いっ」 マリは思わず素っ頓狂な声を出す。マッドがすかさずマリの背後に詰め寄った。マリは投影モニターを縮小し、さらに手でモニターを隠してメール本文を開いた。 『農協の小麦統括部長から強引に見合い話を押しつけられたよ。 おれにはマリがいるからって何度もいったんだけど聞き入れてもらえなくてさ。会うだけでいいからって、おれがウンっていうまで帰んなくて、しかたがなくて、だから、会うだけ会ってみることになっちゃった。 大丈夫っ。部長の顔を立てるだけだからっ。 相手は隣の農業海上プラントで、シェアナンバーワンの小麦農家の次女なんだけどね。そんなこと、おれにはどうでもいいし。画像見たけど、マリの足元にもおよばなかったよ。でもマリに黙って会うのもズルいだろ? 心配させるだけってわかってたけど、連絡しとくね。 見合いは今日の午後五時に、おれんチのテラス。 急な上におれんチっ。冗談じゃないっ。 強引な部長を持つと、ホントまいるよね。 じゃあ、お仕事がんばってねー』 ……会うだけ。断れない相手。しかも今日、自宅のテラスでだと? マリは頬を震わせた。……まあ、あいつも二十三だものね。子どもじゃないし、新規開拓枠で入った農地で五年目、農協の世話には相当になっているわけだろうし。あの人懐っこさだもの。世話焼きオヤジが放っておくわけがないわね。ないんだけど……。 「『お仕事がんばってねー』」 棒読みの声がしてマリは我に返った。ちゃっかりマッドがマリの頭越しにメールを読んでいた。 「『会うだけ』。素晴らしい。そんなわけないですよねえ。世の中はしがらみでできていますからねえ」 「うるさい」 「それにしても見合いとはベタな。普通は彼女に見合い話が来て彼氏が慌てるというケースですよねえ。さすがマリさん」 「だからうるさいっ」 「律儀にメールを送ってくるなど泣けてきますねえ。震えるほどの若造だ。律儀さとマメさと誠意を混同しているパターンですね」 マリはマッドの尻を蹴り上げようとした。マッドはひゃひゃひゃと笑い声をあげながらそれを避ける。 「マリさんもご自身の淋しさを、年下男をペットのように可愛がることで埋めているだけではありませんか?」 「あなたには関係ないでしょう?」 「気が向かなければ振り向いてももらえない、そんな関係には心底懲りていたはずなのでは?」 マリはあらん限りの力でマッドを睨みつけた。なんでもかんでも知っている口ぶり。情報調査部員の癖だとわかっていても腹が立つ。同時に幼少期の記憶がうずく自分にも腹が立つ。 そうとも。マリは奥歯を噛みしめる。振り向いてもらえない悔しさは散々味わった。自分だけならまだいい。気を向けてももらえなかった弟。その弟が不意にいなくなったのは弟が四歳のときだ。 どこ? マリは必死で家中を捜した。いない。靴もない。けれど、弟がけして手放さなかったクマのぬいぐるみは床に転がっていた。弟がひとりでどこかへ出かけて行ったのではないのは明白だ。お母さんっ。マリは叫ぶ。……はどこに行ったの。どこにやったのっ。母親は答えない。気だるげにテーブルに頬杖をついて酒をあおるだけだった。 警察が来たのは一週間後だった。幼児殺人死体遺棄罪。それが母親への令状だ。母親は男とともに逃げた。マリのまったく見知らぬ男だった。もちろん父親ではなかった。その日から、マリは恐れを抱いた。 次は私かもしれない。 親は等しく子どもを愛する? 馬鹿な。自分の所有物として、何をしても構わない存在として、振り回し、命すら平然と奪う、そういう親も存在するのだ。 それからだ。マリの感覚が鋭敏になっていったのは。 常にこれから起きる出来事を予測する。最悪の事態を想定する。少なくとも数手先、できれば一時間以内に起こりうるすべての事象に、どう対応すれば生き残れるか。 マリの能力、『数十歩先の事柄を視る』力はこうして鍛えられていった。おかげで十代でこの会社、RWMにスカウトされた。金に困ることはなくなった。食べるものにも不自由しない。けれども自由な時間はなくなった。恋人とも気楽に会えない。あげく見合いまでされそうになっている。散々だ。 なんだか……面倒くさいわね。マリは黒髪をかきあげた。なんだって、この私が三歳も年下の男に振り回されなくちゃいけないのよ。見合い? したけりゃすればいいでしょ? いちいち報告しないでよ。自分で決めなさいよ。巻き込まないで。 いっそ、とマリは手の動きを止めた。 別れるか。 「早まらない方がいいですよ」 マッドが耳元でささやいた。 「なかなか会えないとはいっても相手がいれば同じ時をすごすことができる。それは記憶となってわたしたちのような時間に追われる生活をする者には大いなる糧となります」 けれど、とマッドは言葉を継ぐ。 「ひとたびそれを失えば、それはなかなかの喪失感となってしめつけてくる」 「けしかけているの?」 「いえ。──手放すな、と申しているのです。握った手があるのなら何があっても離すな。髪を振り乱してでも捕まえていろ。実体験です」 いってマッドは左手をひらひらと動かした。 あ、とマリは口を開けた。マッドの左手薬指にあったはずの指輪がなかった。確か娘もひとりいたと聞いたことがある。……いつの間に。 (続きは本編で)