abstract

長編ライトミステリー。
カフェにまつわるハートウォーミングな物語の数々……ではない! 唯が訪れたカフェで待っていたのは、16年前に他界したカズだった。しかも16年前と同じ28歳の姿のまま。カズのいれたマシュマロ入りココアの匂いを嗅いだとき、唯の記憶がよみがえった。カズのいれたココアの意味は? カズは本物なのか? ならどうして葬式を出したのか。謎が次々にわき上がる。
切なくコミカルなミステリー。各章1巻。分冊版で全5巻。

about

【RWMシリーズ関連性】
『水ようかんの構成元素(FREE)』『終焉のソースヤキソバ(文芸社セレクション文庫)』から3年後、『みずいろの花びら(いるか)』から2年後の「カフェ」を巡るミステリー。ディーバから受け継いで2代目主任となったカズがキーマンとして、彼の残して来た家族その他諸々の物語でもある。
(『オペレーション・唯・レベルアップ』)
【原稿用紙換算枚数】 400枚程度
【読了目安時間】4時間
2014/04/03 配信開始

contents

第1章 レ・ショー・ギモーヴ・ショコラ ~マシュマロ入りココア~
【まあちょっと落ち着きなさい】
第2章 クロック・ムッシュー ~ハムとチーズ挟みホットサンドイッチ~
【空腹だとろくな考えがうかばないし】
第3章 ディアボロ ~レモネードのシロップあえ~
【突っ走るのもほどほどにしなさいよ】
第4章 スープ・コンソメ ~コンソメのスープ~
【ひとりでじっくりと考えてみたんだけど】
最終章 クレーム・ブリュレ ~卵黄と生クリームの蒸し焼き菓子~
【大好きなひとが好きなもの】

試し読み


◇◆試し読み◆◇


**

「まずいなと思ったのは、彼女が生まれたときでした。何がどう具体的に『まずい』のかまではわからなかった。けど、彼女は必ずやらかす。『何か』をやらかす。それも半端じゃない。地球を壊しかねないほどの『何か』だ」
「明るい、いいコに育っています。素直だし、邪念もない。だからこそ、うん……厄介です」
「三歳のときでしたね。彼女が覚醒したのは」
「例えば? まあ、害のないものでしたよ。幼稚園の先生のおばあさんが病気で入院したけど、それを家族は先生に秘密にしているとかなんとか」
「ただ……それを『認識』したのが幼稚園の先生に残っていた微量の匂い。気配に近い、感情に近い、『匂い』だった。そうです。彼女は、俺が彼女が生まれたときに感じた不安を『匂いから情報を読み取る力』にしたんです。今後も『それ』がその力だけに留まる保障はない」
「あなたの言う通りです。『まだ起きていない出来事に対処することはできない』。何かが起こるとわかっていても、阻止することはできない」
「え? 俺が? そりゃあそうですけど。だって俺は彼女が生まれたときからの知合いなんですよ? いくらなんでもまずいですよ」
「……ああ、そうですよね。いい人のレッテルを剥がすには絶好のチャンスだ。今さら、失って怖いものもないですしね」
「わかりました。やればいいんでしょ、やれば。お仕事ですからね。その前にひと言いいですか?」
「……会長、ずるいです。正論ばっかり吐かないでください」


      1

 灰色の外壁に黒い窓枠、オフィスビルの一階、大通公園を西に一本中通へ入った場所だ。その前を唯はリクルートスーツ姿のままでうろついていた。
 どこからどう見てもオフィスビルだ。周囲の建物にもスーツ姿のサラリーマンが出入りしている。業者の車両もひっきりなしに小路に入って来る。そんなありふれたオフィスビルにもかかわらず、唯が目にしているのは木製扉。オフィスというよりカフェだ。
 現になんだかほんのりとコーヒーの匂いが漂って来るかのようだ。その匂いに触発されてか、扉そのものが柔らかい雰囲気をまとっている。懐かしい気持ちになる。
 うん、これはカフェだ。カフェに間違いない。看板は出ていないもののカフェならば自分が入っても問題なかろう。唯は何度もドアノブを引いた。それこそざっと二年間ほど。
 すなわち……就職活動を始めてからも、悔しいことに大学を卒業しても就職が決まらず、こうして就活を続ける合間に唯はカフェに通い続けては扉を引いた。
 一度も開かなかった。
 カフェ自体が閉店しているのか、それとも何か特殊な操作が必要なのか。今日も何度か扉を引いてみたのだが、一向に開く気配はなかった。
「会員制ってヤツかなあ」
 それでもあきらめきれずに唯はカフェの向かい側へと移動をした。
「なんだってこんなにここが気になるのかなあ……」
 自分では執着心はさほどないと思っている。
 最後まで取っておいたケーキの苺を「なんだよ、食わねえのかよ」と彼方に盗られたときも腹は立たなかった。三時間かけて豚の角煮を作っていたのに、おとうさんから「ごめん。今日の晩御飯は食べられないよ。イケダさんが飯鮓を作って来てくれてね。みんなで食べることになったんだよ」と連絡があってもこれまた腹を立てることもなく、ひとりで美味しくとろとろの豚肉をいただいた。
 何より不採用通知書を山ほど受け取っても「まあしょうがないね」と即座にゴミ箱へ捨てるほどだ。
 それでもここだけは別だ。寝ても覚めても気にかかる。気になって仕方がなくて寝坊をして面接に遅刻をしたこともあるくらいだ。
「どうしたもんかいねえ」
 そうつぶやいたときだった。  赤髪の青年がカフェに近寄って来た。背が高くひょろりとした体格の青年だ。青年は軽い足取りでカフェに視線を向けると素早く周囲を見回した。
 もしかして。唯は足音を消して青年の背後に忍び寄った。案の定、青年は扉に手をかける。そして……。
「!」
 扉が開いた。
 なんの抵抗もなく易々と木製扉は開いた。なんで? どうして? 唯はあんぐりと口を開く。青年が特に何か操作をしたようには見えなかった。赤髪の青年はそのままカフェの中へと入って行く。
 躊躇はなかった。唯は赤髪の青年の背後にぴったりとついてカフェの中へと足を踏み入れた。頭上でドアベルがチリリンと鳴るのと同時に濃厚なコーヒーの匂いが唯を包む。
 目をすぼめて唯は周囲を見回した。床は板張りで壁にも木がふんだんに使ってある。その壁のいたるところに画が飾ってあった。空の画だ。青空の画から夕焼けの空、綿雲の空から虹がかかる空まであった。その先は木製のパーテーションでよく見えないもののカウンター席があるようだ。
 コーヒーの効果か、唯が柔らかい気持ちに満たされていると「うおう」と頭上から声がした。赤髪の青年が唯に気づいてのけぞっていた。
「いつの間にっ。社員じゃないよね。民間人だよね」
 民間人? 唯は首をかしげる。
「つうか、どうして入れたのっ」
「えー。お兄さんの後ろからこう、するっと」
 唯はウナギの仕草をまねしてみせる。青年は赤髪に両手を当てて身悶えた。
「うああ。冗談じゃないよ。懲戒処分もんだよ。いやいや、落ち着け、俺」
 赤髪の青年は深呼吸をする。
「……うん。今ならまだ間に合う。お嬢ちゃん。ここはね。社員以外は立ち入り禁止なの。さあ、出た出た」
「嫌です。やっと入れたのに。ずっと入りたかったんだから」
「またそんなこと言って。ここが見えるわけないでしょ。適当なこと言わないで。ウチのセキュリティの高さは軍事施設並なんだから。それにここはれっきとしたオフィスなの。きみは厚かましくも社員でもないのにオフィスに居座ろうっていうの?」
 いいから出て行け、と赤髪の青年は唯の背中をぐいぐいと押した。
「嫌だー。ここはカフェじゃん。こんなに植物がたっぷりあってコーヒーのいい匂いがするオフィスなんてないよ」
 あのねえ、と赤髪の青年が苛立った声を出しかけたとき含み笑いが聞こえた。青年は背筋を伸ばす。緊張した面持ちで、いや、あのその、と口ごもり背後に向きを変えて九十度の角度に腰を曲げた。
「す、すみません。俺のミスですっ」
「誰かいるの?」
「お嬢ちゃんは黙ってて。つうか出て行って」
「それは無理です」
「あ、何すんのっ」
 唯がこっそりカフェの中へ進もうとするのを赤髪の青年がウエストをつかんで阻止をする。唯はスカートがめくれるのも構わず床に這いつくばった。絶対に外に出ないぞとパーテーションを両手で握りしめる。
「あああ。大丈夫ですから。カズさんはそこにいてください。カズさんに出て来られたら、本当に俺は懲戒処分ですから。しかも無期限の。お願いです。勘弁してくださいっ」
 唯は青年の顔を見た。今なんて言った? カズさん?
 足音が聞こえた。
 床板をゴム底の靴で歩くような足音だ。威圧感はない。ゆったりとした優しげな足音だった。足音は唯たちに向かって来る。その足音が途中で止まる。
「ここまでならいいだろ~?」
 唯の顔がみるみる強張る。……この声。この口調。覚えているどころではない。忘れたことなどない。唯は這いつくばった姿勢のまま声の主に顔を向けた。
 緑色ドット柄シャツに黒いギャルソンエプロン。
 さらさらで長めのショートヘア。
 眉を下げて口元には笑みをたたえ。
 線の細い二十八歳くらいの青年。
「カズ……さん?」
 唯の視界がぼやけていく。鼻先も熱くなる。
 どうして? なんで? どういうこと?
 だってカズさんは彼方と遥のおとうさんで。
 十六年前にお葬式を出したじゃん?
 そのカズさんがどうして目の前にいるの?
 しかも……二十八歳の遺影の姿そのままで。
 次から次へとわき上がる疑問とともに、唯の瞳から涙があふれた。


(続きは、本編で)

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