abstract

連作短編ミステリ。
祥子センセたちがかけつけて、岩井クンは助かったのか!? 岩井クンの思いは届く? 10月からの謎がようやくあちこち解けていく。祥子センセが起こしていた事件は──窒素ガス事件どころではなかった。世界が驚くその事件、岩井クンが遺してきたことは意味があるのか。
明日あなたに起きるかもしれない、感動の最終話。

about

【原稿用紙換算枚数】87枚
【読了目安時間】1時間
2018/11/26 配信開始

試し読み

◇◆試し読み◆◇

#6 伝説の勇者 タツキおにいちゃん


      1

 鈴の音がした。
 ひとつや二つではない。たぶん十五個の鈴。神社で巫女が舞うのに使う棒へつけた神楽鈴。──神様へ呼びかけるのに使う鈴。
 神様?
 そうだ……ぼくは神様に礼をいって、それで。
 岩井クンはうっすらと目をあける。
 ぼんやりとした焦点が徐々にあって、どっしりとした風合いの堅木が見えた。格子状に組んである天井だ。畳の香りが身体をつつむ。どうやら布団に寝かされているようであった。
 ここは?
 ゆっくりと顔を動かしてギョッとする。
 隣に顔があった。
 祥子センセの寝顔である。
 ええっ。なんで? 岩井クンの顔が赤くなる。
 塩野祥子特任准教授。岩井クンよりひとつ年上、二十五歳の天才・美人・天然の岩井クンの指導教員である。祥子センセは長い髪をゆったまま、ジーンズとふわゆるセーター姿で岩井クンに添い寝をしていた。
 すやすやと寝息を立てつつ祥子センセの口が小さく動く。
「──岩井クン」
 ハイ、と思わず返事をした瞬間だ。
 がばりと祥子センセが身体を起こした。
「岩井クンっ?」
「はい」
 みるみる祥子センセの瞳に涙がたまる。「岩井クン、よかったっ」と祥子センセが抱きついた。腹部に激痛が走る。意識が再び遠くなる。
「え? 岩井クンが目を覚ました? って、祥子センセなにしてんのおっ。岩井クンを殺す気っ? 離れてっ」
 野太い声がして身体が軽くなる。オネエ声の主はモモちゃん、祥子センセのSPであった。筋骨隆々の元一等陸佐であり岩井クンを大のお気に入りの壮年男性である。
 モモちゃんは祥子センセを押しのけて岩井クンの熱をはかったり脈をとったり腹部患部を確認したりとせわしく手を動かす。そのあいだ、口をふるふると震わせていた。目も真っ赤になっていく。
「……うん。大丈夫。熱もさがったし、脈も安定しているわ。患部も悪化はしてない。順調に回復している」
 よかった、と続けてこらえきれずに「心配したわよおっ」と咆哮した。涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
「岩井クン、一週間も意識が戻らないんだから。このまま目をあけなかったらどうしようって。ホントのホントにどうしようって──」
 右腕をぎゅっとつかまれた。祥子センセであった。祥子センセも額を布団につけてわんわんと泣いていた。
 その背後に気配を感じた。
 水色の袴の老人が座敷の片隅にいた。手には神楽鈴を持っている。合いの手をいれるようにシャンと鳴らす。
 うん。知ってる。あの人は岩内町の宮司さんだよね。Na・S蓄電池の材料になった塩の所有地の神社の宮司さん。
 ということは、ここは岩内の神社か。その社務所?
 っていうか。
 え……っと。
 ぼくは生きてる?
 あの状況から?
 あんなに左腹が血だらけだったのに?
 いま日本では──。
 未曾有の大災害が起きている。
 南海トラフを発端とする全国エリアでくまなく大地震が発生。東日本大震災とおなじマグニチュード9クラスの地震がどっかんどっかん起きている。くわえて火山噴火が九州から北海道まで起きている。しかもいっときの災害ではなく数年続くと予想されている震災であった。
 その中、岩井クンはSPのキジとともに陸上自衛隊のヘリで九州から東京に向けて自身が作成したNa・S蓄電池のレクチャーをおこなっていた。途中でキジとわかれ、岩井クンは陸自の大型二種車両で現場をめぐっていたのだが。
 故郷の愛知らしき現場で大きな地震に巻き込まれ負傷。もうダメか、と思っていた。なにしろデカい金属片が左腹部にささっていた。しかも痛くなかった。出血がとまるようすもない。
 悔いはなかった。しいていえば──視線を右側へ向ける。肩を震わせて泣いている祥子センセ。祥子センセに会いたいなあ、と思った。自分の気持ちがようやくわかって。意識が飛びかかったとき、そうだ、あの現場でも祥子センセが抱きついてきたんだ。
 なんでぼくは助かったんだ?
 あそこで祥子センセとモモちゃんさんがかけつけられるなんて、どんな魔法?
「魔法なわけないでしょ」
 モモちゃんがティッシュで鼻をかむ。
「木慈が岩井クンから離れた段階で動いたのよ」
「へ」
「陸自で木慈が岩井クンをおきざりにしたとき、祥子センセが動いたのよ。宇良氏に気づかれないよう筆記メモで『岩井クンを助けにいこうよ』ってね」
 絶対に岩井クンはピンチになる。
 だって、そういう運命だからっ。
 ──運命という文字を読んで、モモちゃんは深くうなずいた。そうだ。これは運命だ。そうでなければ十月の研究室配属で世界的著名者であった祥子センセの研究室に、いくらこちらの指示であってもひとりで乗り込むことはない、と。
 だったら、とモモちゃんと祥子センセは目でうなずきあう。
 巻き込まれ引力をもつ岩井クンを助けられるのも自分たちでないか、と。
 それからは嶋太郎にバレないよう必死に工作をして、モモちゃんが操縦してヘリで岩井クンを追跡した。大活躍したのはシュワちゃん特製のタブレット端末。岩井クンが最後の最後までなかば無意識に手に持っていた端末である。それに搭載されたGPSで岩井クンの位置が判明した。
「途中から木慈の発信機も作動したから、誤差はほぼゼロになって間に合ったってわけ」
「発信機?」
「あのコ、別れ際に岩井クンの背中を強く叩いたでしょ。あのときジャケットに発信機を固定させたのよ」
 なんとっ。……ぜんぜん気づかなかった。
 相変わらずおそろしい人だ。
 そうだ……キジさん、どうなったんだろう。大丈夫かな。
 それを問う前に和室に嶋太郎の声が響いた。
『馬鹿が──』
 身体が動かないので視線だけを動かす。床の間にスピーカーがおいてあるようであった。
『お前たちの行動など最初から把握している』
「へ? そうだったの? ならなんで怒んなかったの?」
『とめても祥子、お前がやめるわけがない。とはいえここ東京対策本部から人を送る余裕も、指示を出せる状態でもなかった』
「嶋太郎、キジに自衛隊全車種を運転できるスマートキーの情報を伝えたときには、あたしたちに岩井クンを託してた?」
 ええっ、と岩井クンは視線だけでスピーカーを見た。
『そもそも東京の対策本部へ岩井クンを担ぎ込んでくるなら、コソコソしても意味がないだろうが』
「だってそこしか治療できないっしょやっ」
 なるほど。つまり、ぼくは愛知っぽいところで怪我をして、モモちゃんさんに助けられて嶋太郎さんのいる東京の地震対策本部で治療してもらったのか。で? そこにずっといるわけにはいかないから、こうして北海道の岩内にいると。そういうことか。
 ──日本中が大混乱にある中ぼくだけがあり得ないほどの好待遇をしてもらって。岩井クンの胸に申し訳なさが押しよせる。
『いっただろう? 岩井クン、君の安全が第一だ。君を危険な目には遭わせない。だから頼む、と』
 なんでぼくの気持ちがわかった?
『君のことだからどうせ、ぼくなんかのために、とか思ったんだろうが。君にはこれからもまだまだやってもらうことがある。地震は続いているんだ。……大怪我を負わせてしまって申し訳ない。そこのシェルターで回復につとめてくれ』
 シェルター?
 ああそうか、そうだよな。
 震度7クラスの地震がひっきりなしにそこかしこで起きている日本。そこでこれほど穏やかにすごせているのは、ここが祥子センセの秘密基地、スイングシェルターの中だからか。
 って、デカっ。
 神社もまるごと入ってるだなんて聞いてないよ。
 小さくシャンと鈴の音がした。目を輝かせて岩井クンを見ている宮司が視界に入った。
 あーそうだねー。
 それで? こっちはぼく、どうすりゃいいんだ?
 この神社の名前は──龍姫神社。
 ぼくの名前のもとになった愛知の神社は龍城神社。
 同じ、呼び名。
 偶然の可能性はゼロだ。
 岩井クンはそっと目をとじる。


(続きは、本編で)

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