連作短編ミステリ。 君野総長との和解を果たした岩井クンの前へ現れたのは、岩井クン専属のSP・キジ。愛知のソウルフード・かきもち変型判が段ボール10箱以上届いたり、北海道の真冬なのにつなひき大会に誘われたり。なぜぼくを誘う? 君野総長がまだなにかしかけている? そこで襲うクレープ。ああもうっ。こんなことをしてる場合じゃないのに。2月はすぐなのにっ。岩井クン受難の第4巻。
◇◆試し読み◆◇ おおお、と再度声があがる。 「ぷっくーって膨らむ。すごい。おいしそう。いいにおい。もう食べてもいいの?」 祥子センセが目を輝かせる。ああちょっと待って、と軍手をはめた手で岩井クンは制した。 「熱いし、まだ味がついていません。何味にします?」 「甘辛味~」 了解です、と岩井クンはあらかじめ作ってきたタレを膨らんだかきもちへハケで塗る。軍手で裏返し裏面にも塗って、乾いたところを祥子センセの皿へおいた。 「いっただきまーす。あっち、うわ、さっくさく、ふっわふわ、おいひい~」 満面の笑顔になった祥子センセに岩井クンは目を細める。 「僕は塩味がいいな」 「アタシは甘いやつ」 嶋太郎とモモちゃんの注文に、はいはい、と答え、岩井クンはパーカー姿の青年に顔を向けた。 「キジさんはどうされますか?」 「僕までいいんですか? なら塩味でお願いします」 「はい」 「それからもっとラフな口調で構いません。ほかの学生に怪しまれますし」 ひとまわりも年上の人にいえるか、と思いつつも、ハイ、と返答をする。 「僕も『タツキさん』って呼ばせていただきます」 はあ、と答える岩井クンと「なんですってっ」と声を裏返すモモちゃんの声が重なる。 「木慈《きじ》―。あんた調子にのってんじゃないわよ。アタシの岩井クンのファーストネームを呼ぶだなんて。レイチェルたちならまだしも。馴れ馴れしいにもほどがあるわっ」 「だからこそです。藻茂《もも》先輩と同じ呼び方をするなんておそれ多くて。だから『タツキさん』にしました」 うぐう、とモモちゃんが唇を震わせる。 モモちゃんを先輩と呼ぶ学生風の青年、彼は岩井クン専属のSPであった。 ずっと気配を感じつつも数カ月姿をあらわさず岩井クンの警護をしていた人物である。モモちゃんが「アタシの後輩よ。優秀なの。そろそろ紹介するわね」と告げてひと月が経過しての対面である。 岩井クンの前でずっとにこにこと笑っている青年。 どこからどう見ても学生にしか見えないのだが──。 「彼が木慈。岩井クンが十月にここへ配属してから岩井クンについていたSP。こう見えても三十二よ」 「さんじゅうにっ」 失礼とはわかっていても思わずひらがなでさけんだ。 「すごい童顔でしょ? 陸上自衛隊時代はコレで苦労したみたいだけど、SPになってからは重宝しているのよね」 ハイ、とキジはあどけなく笑う。現役入学学生の友人・秋吉《あきよし》と同年齢、二十一歳くらいにしか見えない。肌もつやつやである。しみじみと見ていると、「タツキさんほどじゃないですよ」と返された。 どうしてぼくの気持ちがわかったっ? 「ダテにSPをしていません。はふはふ、本当だ。これは芳ばしくておいしいですね。いや、タツキさんが作ったからですかね」 「木慈―。あんた本当に調子にのるんじゃないわよっ。それに『タツキ、タツキ』って馴れ馴れしくて聞いてるこっちが腹が立つわー」 モモちゃんがドスのきいた声を出す。慣れているのか、キジは意に介することなく「そうだ先輩」と明るい顔をモモちゃんへ向ける。 「タツキさんにキッチンカーを使ってもらうのはどうですか?」 「キッチンカー?」 「大学構内でも体育館前とか中央図書館前に昼になると出ているアレですよ。車内で料理を作って販売しているヤツ」 「……二月にそなえて? 二月にそんなコトしている暇があると思ってんの?」 「なくてもタツキさんなら身近なものでやりそうですし」 うぐう、とモモちゃんは再び黙る。 二月……。 岩井クンは視線を伏せてかきもちを焼く。 二月になにかが起きる。だからそれまでにNa・S蓄電池を三万個作るように岩井クンは祥子センセたちから無茶苦茶な厳命をされている。バイト代も出る。楽に生活できるほどの金額である。そしてこれは学会やデモンストレーションで使うのではない。 ならば二月になにがあるのか。 起きるのか。 ずっと知らされずにひたすらNa・S蓄電池を作らされ続けていた。けれどいまはもう──。 岩井クンの思いをくんだようにモモちゃんが肩をすくめた。 「わかったわ。木慈、手配を頼むわ。ハードなタイプの車両にして」 「はい。あ、こんなに大量にあっても食べきれないでしょうから、かきもちも積んでおきますね」 えー、と不満の声をあげる祥子センセへキジはにこりと「タツキさんのアパートにも五箱も届きました。それをここで食べては?」と告げた。 だーかーらー、なんで知ってんのっ。どこまで知ってんのっ。 ぼくのプライバシーは? そこまで思って岩井クンはハッとする。 ひょっとしておばちゃんたちの前にあらわれた『普通の学生さん』って。 「ああ、僕です」 さらりと答えるキジに、岩井クンは両手で顔をおおう。 お願いだから声にしていないことに答えないで。優秀なのはよくわかったけど、こわいじゃんっ。 その翌日のことであった。 学食へ向かっていると、岩井クンは背中を叩かれた。 見知らぬ教員風の人が立っていた。 まさか──この人もSPさん? 警戒した視線を向ける岩井クンへ「ああそうか急にごめん」と教員風の人は慌てて続けた。 「僕は応用エコマテリアル分野の助教。塩野研の岩井クンだよね」 「……そうですけど」 「頼みがあるんだ。つなひき大会に参加してくれないかな」 「つなひき大会?」 思いっきり顔をしかめる。この人、なにをいってんだ? 「明日からあるんだよ。ほら」 自称助教は斜め前にあるポスターを指で示した。 ……本当だ。北大工学系つなひき大会ってある。っていまは一月だよ? ……こんな真冬につなひき? なんでつなひき? 疑問符が頭の中をかけめぐる。そもそも目の前の人が本当に助教という保証もない。岩井クンはなおも警戒した声を出す。ヤバい目にはこの数カ月、本当にイヤになるほど遭っている。いまさらとは思うが、まだ君野総長の手が回っている? 「……応エコマテっていいましたっけ」 「うんそう」 いいながら自称助教はポケットから職員証をとり出し岩井クンへ見せた。本当に助教のようであった。それはそれで、学生へわざわざ親切に身分証明をするのも怪しい。 あの、と岩井クンはなおも警戒したまま声を出す。 「塩野研は応エコマテじゃないんで参加するのはどうかと」 「大丈夫。細かいことをいえば塩野研ってエネルギー変換マテリアルに入るから応エコマテに関係するし」 大学独自のそのへんの分類になるとややこしすぎてよくわからない。しかたなく黙っていると助教は続けた。 「そうじゃなくても、どこも人手不足だから大会をやるのに助っ人はOKなんだよ。さすがに観光客はNGだけど学生ならとおりすがりの歯学部生でもいいくらい」 ずいぶんといい加減だな。あきれる岩井クンへ、「じゃあ明日頼んだよー」と明るく声をかけて助教は去っていった。 ……うーん。出るのはいいとして、なんでぼくを誘ったんだ? 思わず顎に手を当てる。近くにいるはずのキジに相談しようとふり返ったときであった。 見覚えのある二人が手をつないで近づいて来る。広いとはいえない廊下を肩をよせ合い楽しげに歩いていた。手は指を絡め合った恋人つなぎであった。 なんとまあ、わかりやすいヤツらだ。 思わず岩井クンは腕を組む。 あ、と顔を向けたのは優花《ゆうか》ちゃんのほうであった。秋吉は自慢げな笑みを岩井クンへ向ける。 「あ、あのね。私たち……」 「見ればわかる」 そして岩井クンは拳を作り、そっと二人の額をコツンと叩いた。 「遅すぎるでしょ。つき合うまでに三年かかるって、高校生かよ」 優花ちゃんははにかんで頬を赤らめる。 秋吉も優花ちゃんも岩井クンが大学へ入ってずっと親身につきあってくれる大切な友人だ。大切すぎて、ひと月前は優花ちゃんのために岩井クンは肋骨を数本折るという事態に陥ったほどである。 岩井クンは優花ちゃんへ小声でたずねた。 「研究室、かわれた?」 「北キャンパスの蓄電池をやっている研究室に入れたわ。秋吉クンがいろいろやってくれて。リチウムイオン電池なの」 「あー。最近また流行りだもんね」 「さすが。知っているんだ」 「シュワルツネッガー教授が何本か論文書いてて。祥子センセから読むようにいわれたからね」 「シュワルツネッガー教授。守備範囲、広っ」 秋吉が目を丸くし、飯食おうぜ、と学食へ歩き出す。うん、と嬉しげに続く優花ちゃんに岩井クンはやわらかく目を細めた。 ──先月、意を決して君野総長と話をしてよかった。 岩井クンは胸の中で深くうなずく。 (続きは、本編で)