連作短編ミステリ。 研究室へ突如あらわれた外国人壮年男性、シュワちゃん。彼はなんと蓄電池業界では世界的権威の研究者で、しかもお忍び来日。美人・天才・天然の三種の神器を兼ね備えた祥子センセ(准教授)25歳、今度はなにをやらかした!? 戦々恐々とする岩井クンの不安はおおむね当たり……。おばあちゃん直伝の鬼まんじゅうが北大を救う? そしておばあちゃんは──。
◇◆試し読み◆◇ どうしてこうなった──。 岩井クンは涙目で菜めしおにぎりをにぎりつつ、同時に鬼まんじゅうを蒸し器にかける。どっちも量が多いので二時間以上の作業である。 「そりゃ、バイト代はたっぷりもらってるし。愛知よりは高いけど札幌でもサツマイモ売ってるけどさ」 なんで、ぼくが、こんな作業を。 抑揚をつけておにぎりをにぎらないとやっていられないくらいの量である。祥子センセに加えてシュワちゃんの分とくると、どっちもいままでの二倍である。 「それを黙ってモモちゃんさんが見てたら、食べてもらわないと悪いじゃんか」 さらには業者のような荷物の多さに目を見張った秋吉が「おれも食いたい」と目をキラキラさせたから、作っても作っても足りない状態である。 学食で秋吉が騒ぐので生協のおばちゃんがやって来て「わたしにも作り方教えてくれる?」と耳打ちしてきたほどであった。 おばあちゃん直伝のおやつが役に立つのはうれしい。 おいしいといってもらえたら胸がぽかぽかとあったかくなる。 だけど──。だけどっ。 「おかげでぼくは毎朝五時起きだよっ。そんなアパート暮らしの大学生いねぇよ。どんな仕出しのバイトだよっ」 ふんがー、と岩井クンは三巡目の鬼まんじゅうを蒸し器にかける。 焦りはほかにもあった。 NAS蓄電池だ。 やっと構造がわかりかけてきて、それこそ研究室に泊まり込みで作業を進めたいところなのに、研究室に蒸し器はないから戻らねばならず。……おかげで睡眠時間をちゃんと確保できているけど。 そんな岩井クンに「そうだ」と祥子センセは菜めしおにぎりをほおばりつつ告げた。 「岩井クン、シュワちゃんのお世話係してみ? 英語の勉強になるよ?」 へ、と固まる岩井クンにシュワちゃんが驚いた顔をする。 「(タツキは英語が話せなかったのか?)」 「(そうなんだよ。今後のことを考えると英語どころかフランス語とドイツ語とフィンランド語あたりも使えるようになってもらいたいトコなのに。シュワちゃん、よろしく)」 シュワちゃんは力強くうなずく。 ちなみにカッコ内は英会話である。 だがしかし岩井クンは知っていた。 祥子センセはシュワちゃんがじーっと作業を見ているのがうっとうしくてたまらなかったことを。熟考の末に入力しようとしたところをシュワちゃんが話しかけて、「ああもうっ」という顔をしているのをなんど見たことか。 体よくシュワちゃんを追っ払うために学生教育をもち出すなんて汚いぞ。ぼくだってNAS蓄電池を作る時間を削っておやつを作らされているんだ。 声高に訴えようとしたものの、遅かった。 「(タツキはこれを作ろうとしているのか?)」 シュワちゃんは岩井クンの作りかけのデモNAS蓄電池を手にとる。あ、それは、と手を伸ばす岩井クンへシュワちゃんはきっぱりとこれまた告げた。 「(ここの接続が間違っている。これでは蓄電できない)」 え、と身を乗り出したのが運のつき。 図面だけ渡して放置の祥子センセの代わりに、英語であろうが教えてくれる人物がいようとは。不覚にも岩井クンは感動して「な、なら、ここはどうですかね。イット ディス? ザット? えっと緑色の配線、グリーンワイヤー?」と怪しげな会話を繰り広げることとなった。 NAS蓄電池の完成のためである。 なりふり構っていられない。 岩井クンは必死にゼスチャー交えて能ミソの中にある英単語を駆使しシュワちゃんと対峙した。対話ではない。まさしく戦い。対峙であった。 そんな岩井クンにシュワちゃんも適当に受け流すのではなく懇切丁寧に接してくれた。 日常会話はわからない。 けれどぼくたちには蓄電池という共通アイテムがある。 これを介せば話が見える。 教授の生活や風習は知らないけど、蓄電池の構造ならわかる。 わかるぞー。 ありがとう、蓄電池っ。 岩井クンは日になんども胸の中でさけんだ。 そんなこんなで数日が経過し、岩井クンは午前の授業が終わるとすぐさま学食へ向かった。さっさと食べて研究室へいきたかった。 まさに教職員も昼休みの時間帯。丼物コーナーやレジだけでなく、無料のうすーいお茶をカップにつぐにも列ができている。それでも長丁場にそなえて力をつけねば。岩井クンは意気込んで豚丼《ぶたどん》にギョーザ黒酢野菜あんかけにオクラのお浸し小鉢をトレーに乗せて列に並んだ。 「うほっ。エリート研究室のヤツは食うもんが違うねえ」 どこから来たのか秋吉であった。 「おれの分のお茶も頼むわー。席とってくるからさー」 秋吉はすたすたと人ごみへ入っていく。ぼくのトレーのどこへふたつも湯飲みをおけと? 岩井クンがぷりぷりしながらなんとかうすーいお茶をそそいで秋吉のもとへいくと、秋吉はすでに窓際の席でラーメンをすすっていた。 「少しは待ってろよ。それに、それ海老だし味噌ラーメンじゃん。しかも大盛り? おれより高いじゃんか。どの口で食うもんが違うって? プラス大福デザートつき?」 「いいだろー。十勝産のつぶあんぎっしりらしいぜ? 最後の一皿だった」 ふーん、と岩井クンは席に座る。 まあ大福はうらやましくもなんともない。 岩井クンは祥子センセのおじいちゃんの大福を味わい済みである。あれに勝る大福はない。なぜか誇らしげな気持ちで豚丼にオクラをぶっかけて、わしわしとかき込もうとした──そのときであった。 「(オクラはそうやって食べるものだったのか? いろどりがよかったから合わせてみたのだが。失敗か?)」 岩井クンは咳き込む。 シュワちゃんが岩井クンの背後に立っていた。トレーをもっている。言葉どおり、オクラのお浸しと鶏とレンコンの天ぷらそばだ。 ……渋い。渋すぎるっていうか、教授、コレ食べられるのか? 怪訝な顔をする岩井クンに秋吉が「誰?」と小声でたずねた。 ああそうか。秋吉は顔までは知らないのか。 「この人がストロング・シュワルツネッガー教授。(あ、教授、よかったら隣にどうぞ)。秋吉、カバンどけろよ」 シュワちゃんが岩井クンの隣へ座って秋吉の大福をじっと見た。ん? と岩井クンが首をかしげたのと、秋吉がラーメンにむせるのが同時だった。 「大丈夫かよ」 「げほげぼ、す」 「す?」 「ストロング・シュワルッツネッガー教授っ?」 秋吉がさけんで立ちあがった。 つかのま食堂の喧噪がやむ。教員も学生も業者も秋吉……というかシュワちゃんにふり返った。 あ。……そうか。しまった。 教授ってお忍びで北大へ来たんだっけか。 そう思ったときには遅かった。 操り人形のようにひとり、またひとりと立ちあがる。ふらふらとシュワちゃんへ近づいた誰かが「エクスキューズ ミー?」と話しかける。シュワちゃんが、ん? と顔をあげたのが合図となった。 わあっ、と興奮した面持ちで教員がシュワちゃんへつめかけた。つられた学生まで押しよせる。ひい、と岩井クンは手で頭を隠し、シュワちゃんはなにかを声高にまくしたてた。 「岩井クン」 ぐいと大きな手が岩井クンの腕をつかんだ。モモちゃんであった。 「こっちへ来て。早く」 「き、教授は?」 「大丈夫だから」 なにがどう大丈夫なのだ。 わけがわからないまま岩井クンは必死で学食を脱出する。 (続きは、本編で)