abstract

連作短編ミステリ。
美人・天才・天然。三種の神器を兼ね備えた祥子センセ(准教授)は25歳!? ぼ、ぼくよりひとつ年上なだけ!? うっかり祥子センセの研究室へ入って始まる岩井クンの受難の日々。三種の神器をフル稼働させ、祥子センセは突っ走る。岩井クンの武器は──おばあちゃんのおにぎり? 超おばあちゃん子VS超おじいちゃん子の幕は開いた。がんばれ、岩井クン! 

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【原稿用紙換算枚数】85枚
【読了目安時間】1時間
2018/3/3 配信開始

試し読み

◇◆試し読み◆◇

「研究室が決まったっ?」
 秋吉が声を裏返す。岩井クンは低い声でたしなめる。
「声がデカいよ。もうすぐ授業はじまるんだから」
「だってお前さ、見にいっただけっしょや。なのにいきなり? あ、くっそー……マジでかー、塩野研が定員って表示になってるわー」
 スマホを操作しつつ秋吉は盛大に顔をしかめた。しばらく、なんでお前が? 優秀な人材をほしがるもんじゃないのか? 早い者勝ちだった? それならおれがいけばよかったー、とボヤき続ける。
「いったいナニが決め手になったんだよ」
「そうだなー。……菜めしおにぎり?」
「へ? 祥子センセもあのにぎりめしを食ったの? だから昨日おれの分がなかったのか」
「ぼくの分もなかっただろ」
「いくつ食ったんだよ。そうかー。菜めしおにぎりかー。ならしょうがないなー。アレはマジでうまいもんな」
「あのな。それにそもそも秋吉は北キャンの研究室が本命じゃん。そっちはどうだったのさ」
 それだよそれ、と秋吉は小声になる。
「いま北キャンパスやばいんだってよ」
「ナニそれ」
 秋吉は素早く周囲に視線を走らせる。そしてさらに小声で続けた。
「事件が起きてんだってよ。窒素ガス大量消費事件」
「……それのドコが事件?」
「どうも春先から夏にかけて使われたらしいんだけど、いろんなオープンラボで使われていて人物が特定できてないってさ」
「もう十月も終わりじゃん。どうしていまごろになって?」
「窒素ガスの利用集計は年に三回なんだってよ。で、大量に使用されていたのがわかったんだ」
「んー? 年に三回? 窒素ガスってボンベとかに入ってんじゃないの? ボンベの交換するときに気づかなかったのかな」
「ボンベもあるけど、北キャンの実験施設エリアには窒素専用の配管があって、コックひねると窒素ガスが出るんだ。大型装置もわんさかあるからボンベじゃ間に合わないんだってさ」
 実験室のそこかしこに窒素ガスのボンベがあって、コックをひねると自由に窒素ガスが出る? そりゃなかなか……物騒だな。換気が悪かったら窒息しそうだ。まあ、よっぽど大量にワザと流し続けないとそんなことにはならないか。
 それにしても、と岩井クンは苦笑する。
 さすが研究機関だよな。窒素を相手に四苦八苦か。なにかよくわからないガスで大騒ぎならまだしも、窒素だよ? 空気のほとんどが窒素なんだから。
「被害総額が数千万だ」
「へ」
「それでもまだ大げさなって顔をしていられるか?」
「……なるほど。確かに事件だな。警察とかは動いてんの?」
「岩井クンよ。ここは大学だぜ? 大学自治とかあるっしょや。内々で処理できればそれにこしたことはないんだよ」
「けどさ。お前だって知ってんじゃん。警察にバレるのも時間の問題じゃん」
「通報や告発されたわけでもないのに警察が動くかよ。おれだってお前にしか話してない。それこそ──研究室配属に響くだろ」
 それもそうだ、とうなずいていると授業がはじまった。
 岩井クンは真面目に授業を受ける。
 今日の講義内容は『二次電池の種類と用途についてうんぬん』。つまり岩井クンの大好きな蓄電池についてであった。夢中で聞いているうちに岩井クンは事件を忘れた。
 至福のときをすごす岩井クン。講義する教員もここまで真剣に聞いてくれる学生がいて、さぞしあわせであろう。
 昨今の大学で『蓄電池の勉強がしたい』とピンポイントに目標をもって勉学に励む学生は少ない。留学生ならまだしも日本人となるとなおさらである。
 そんな岩井クンを早々に囲い込んだ祥子センセ。ラッキーだったのではない。野生のカンのように反射神経が働いただけであろう。こいつにしておけ、とおじいちゃんから天啓を受けたのかもしれない。実際、祥子センセにしてみれば岩井クンの名前が天啓であった。
 それはのちの話として──。
 授業を終えた岩井クンは指示どおり祥子センセの研究室へ向かった。ナップサックの中には菜めしおにぎりがたっぷり入っている。
 コンコンコン、の三回目のコンのノックをしようとしたところで扉が開いた。
「ようこそ、おにぎり~」
 祥子センセが抱きつかんばかりにして岩井クンの腕を引いた。うおっと、と岩井クンはつんのめる。その隙に祥子センセは岩井クンからナップサックを奪った。
「ちょ、それ、窃盗。ぼくの貴重品も入っていて──」
「いただきまーす」
 返して、と手を伸ばす先で祥子センセはナップサックからタッパをとり出し、菜めしおにぎりにはむっとかぶりついた。
「ん~。この塩加減がクセになる~」
 岩井クンは苦笑する。
 まあ、おばあちゃんの菜めしおにぎりを喜んでもらえたならなによりかな。  ……と思ったのは数秒だった。
 祥子センセは岩井クンのナップサックを床へどさりと落とす。そしておにぎりの入ったタッパだけを手に応接セットのソファへぱふんと座った。
「うわ、ひどっ。ぼくのナップサックっ」
 岩井クンはあわててナップサックを抱きしめた。まったく。この五年間、ぼくと人生をともにしてきた大切なナップサックになにしてくれんの。底についた埃を岩井クンは手ではらう。
 ん? 埃?
 研究室内を見まわす。
 広い研究室であった。
 それほどほかの研究室を見たことはない。それでもこの研究室には窓枠がいくつも広がっている。実験室ならまだしも研究室でこれが広いということはわかる。
 その一角にどっしりとした本棚と大きなデスクセット、それに座り心地のよさそうな応接セットがあった。観葉植物もある。けれど、デスクセットの背後には書類の山、机の上にも書類が崩れそうに積まれていた。
 さらにはモニターがいくつもあってデスク周辺をとり囲んでいた。
 さながら秘密基地だ。
 それはいい。問題は床である。
「──祥子センセ、掃除してますか」
 ん? と祥子センセは小首をかしげる。うん。かわゆい。すごくかわゆい。けど、それとこれは別問題だから。岩井クンはまくしたてる。
「してないですよね。したほうがいいです。身体に悪い。ホウキとかありますか? ぼく、やってもいいですか? ああ埃が舞うからおにぎりはタッパにしまって。空気の入れかえもしなくちゃ」
「あ、開けちゃダメ」
 え、と声に振り返ったときは遅かった。
 すでに岩井クンの手は窓を開けていた。
 たちまちベルが鳴り響く。
「な、なに?」
「だからダメっていったのに~」
「防犯ベル?」
 激痛が走ったのはそのときだ。両手を後ろにねじりあげられていた。痛みのあまり声も出ない。
「あー、モモちゃん、違う違う。大丈夫。彼が岩井クンだから」
 祥子センセの声にたちまち身体が自由になる。うっわ……なんだ? 腕をさすりつつ背後を見ると、おそろしくがっしりとした身体つきの壮年の男性が立っていた。きっちりとダークスーツを着ている。
 さながら、と岩井クンが思うより早く祥子センセが紹介をした。
「彼はあたしのSPのモモちゃん」
「ホントにSP? 防犯ベルにセキュリティポリスってどんだけっ」
「それだけ祥子センセの研究はいろんなところで狙われているってコトよ。先週だって産業スパイが入りこもうとしたんだから」
 野太い声が答えた。モモちゃんであった。
 ん? この人ひょっとして。
「ゲイがそんなに珍しい?」
「いきなりカミングアウトっ」 「元気がいいわねえ。イキがイイのは好きよ。祥子センセ、このコを連れていっても?」
「うん。よろしく~。雪が降る前にとっておいたほうがいいしね~」
「なんの話です?」
 だから、と祥子センセとモモちゃんの声が重なる。
「大型二種免許。大型特殊車両《ダイトク》だけじゃ心もとないでしょ」
 え、え、ととまどう岩井クンの背中を今日はモモちゃんに押される。
 えっと、ぼく、どこへいく?

(続きは、本編で)

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