長編サスペンス。 森林火災の全身火傷から生きのびた少年・クローバー。彼には『死ぬわけにはいかない』事情があった。さらには相手に『キーワードを与える』スキルがある。そして起きた事件は──森林火災。しかも、完全なる人為的火災で世界は火の海になる危機に。それを回避するにはクローバーのスキルしかない? 9年間、避け続けてきた森林火災と正面から向き合い、そして少年は気づく。僕の本当のスキルって? 少年が自分を許し前進するための、切なく愛しい物語。
【RWMシリーズ関連性】前年に発生した『西大西洋オイル流出ゴミベルト』問題(『ダウジングガール』でユウとレインマンたちが対応)がある。そこで部長クラスが大はしゃぎをしたので、会長規制が入って部長クラスの現場措置が厳しくなり始めた。(『山火事異常発生問題』) 【原稿用紙換算枚数】417枚 【読了目安時間】5時間 2017/7/14 配信開始
◇◆試し読み◆◇ 教会に歌声が響いていた。 讃美歌九十七番。 一番後ろの席に座り、『クローバー』は天井を見上げる。左側にあるステンドグラス。そこからまさしく歌詞のとおりに差し込んだ朝日が礼拝堂を照らしていた。 礼拝堂の中を赤や黄色に照らすその光、きらきらと輝くその光がクローバーの頭上も染めていく。大人と子どもの真摯《しんし》な歌声に導かれて、クローバーは目を細めてそれを仰ぎ見る。すがるように。救いを求めるように。そこから答えを導き出すために。けれど──。 クローバーは目を伏せる。 ステンドグラスをとおした光はまぶしすぎて、礼拝堂全体が揺らめいて見えた。どうしても燃える炎の中にいる感覚になる。 もちろんステンドグラスのせいではない。 さっき探査した案件のせいだ。 もっと、と思う。 もっと讃美歌を聴いていればこの感情は凪ぐのだろうか。 もっと礼拝堂の空気を深くたっぷりと吸い込んでいれば、そうすればこのざわついた感覚は消えるのだろうか。 そのときだ。 背後に気配を感じた。 直後、長いプラチナブロンドの髪がクローバーの両肩へと流れ、背中から細い腕がクローバーを抱きしめた。 しなやかな細腕の主が耳元で甘い声を出す。 「見つけた」 振り向かなくてもわかる。コードネーム『黒猫《くろねこ》』だ。 彼女はクローバーの耳元で囁き続ける。一応、礼拝中であることを考慮してくれているようだ。 「凹むたびに教会へ姿を消すクセ、いい加減に治して欲しいわ」 クローバーは軽く肩をすくめる。 「凹んでなんていませんよ」 「捜す身にもなれと言っているの。世界中にいくつ教会があると思っているの? ステンドグラスさえあればいいとなれば、キリスト教の教会限定にもできないわ」 「社章バッジにGPS機能がついているでしょう? 碓氷《うすい》さんに聞けば僕の居場所なんてすぐに教えてくれますよ」 黒猫がクローバーの耳を甘噛みする。 「……私が彼女をどれだけ嫌いなのか知っていてよくそんなことを言えるわね」 「彼女を愛してやまないのは恋人のフォックスさんくらいですよ」 僕だって、とクローバーは左耳を指さす。超軽量のイヤホン型モバイルフォン、通称イヤーモバイルを装着していた。 「せっかく心を癒しにここへ来たのに、ずっと強制接続されて碓氷さんに怒鳴られっぱなしです。半分も集中できない。讃美歌九十七番、大好きなのに」 「やっぱり凹んでいるんじゃないの」 しまった、とクローバーはかすかに眉を揺らす。 「とはいえ、今回はすぐにわかった。この教会、あなたの通っていた教会に塔の形が似ているわ」 「僕の通っていた教会? ……なぜ知っているんです?」 「あなたの部長に画像をもらったの。『あなたの部下の少年がすぐにいなくなって大変迷惑しています。ヒントになる画像などお持ちではないでしょうか』ってね」 クローバーは大袈裟にうなだれてみせる。プライバシーの侵害だ。 まあ、わかるけれど、と黒猫は身を乗り出した。柔らかい白いシャツブラウスが半袖Tシャツ姿のクローバーの肌に触れる。大きく開いた襟元から黒猫の胸の谷間があらわになる。それを隠すことなく黒猫はクローバーの左手を取った。そしてその手首にはめた金属製のブレスレットを指先で撫でた。 「クローバーの大嫌いな森林火災。しかも大規模火災。その発端を見つけたんですって?」 黒猫は指先をブレスレットからクローバーの唇へと移動させる。クローバーは視線を伏せたままでその指先を掴んだ。「はい」とその指の中へ小型チップを入れる。 「何これ」 「僕がこの教会に来てから拾ったデータです。アジアの極東エリアのものだけしか入れていません。もっと欲しければつけ加えますが」 「あなた──碓氷の怒鳴り声を跳ねつけてメンタルリセットしつつ、さらにはデータ整理もしていたの?」 「情報調査部員ですから。キャリア九年の」 「しかも十九歳。いろいろおかしいわよね」 「二十二歳で修繕部員キャリア十一年のあなたに言われたくありませんね」 むっとした気配を漂わせて黒猫はクローバーの耳の後ろに唇を当てる。そのまま首筋を舐めようとしてくる。どういう嫌がらせなのか。 クローバーは、やれやれ、と姿勢を正し、それから黒猫がこの教会へ現れてから初めて彼女へ振り向いた。 真っ直ぐに黒猫のその金色に近いグレーの瞳を見る。 弾かれたように黒猫がクローバーから離れた。 さっきまでの妖艶な雰囲気とは打って変わって険しい眼差しへと変わる。数秒視線を揺らし、黒猫は口の端を歪めた。 「……やってくれたわね。クローバーのくせに」 「『クローバー』ですから。みなさんへ幸せをお届け。そういったところですかね」 「会長はそういう意味合いであなたのコードネームをつけたわけじゃないと聞いたけれど?」 「相手に『キーワード』をプレゼントするのは事実ですから」 それに、と続ける。 「君もそうですよ。別に君は不幸を運んでいません。そのスキルは君のせいじゃない」 「『黒猫』のように相手の幸運を奪う、それは事実でしょう?」 「世の中の黒い猫たちは幸運を奪ってなどいません。黒い猫に対する冒涜《ぼうとく》だ。あれは黒猫が目の前を横切ったら不吉なことが起きるという迷信で──」 もう結構、と黒猫は吐き捨てる。それからクローバーが渡した小型チップを押し返した。 「あなたの『おかげで』私は行かなくちゃいけなくなったわ。そのデータは自分で渡して」 「誰に」 「ギフトさん」 え、と眉を歪めるクローバーへ黒猫は畳みかける。 「なんのために私があなたを捜していたと思うの? あなたをカフェに連れ戻すためよ」 「カフェにギフトさんがいるということですか? だってギフトさんといえば」 「運輸管理部の部長よ。ただの社員ではない。部長。それだけの事態だということよ。いい加減に状況の深刻性に気づいて」 さすがにクローバーの顔も強張る。 黒猫は繰り返す。 「いい? 必ずカフェへ戻って。そしてそのデータチップをギフトさんへ渡して。今すぐによ。わかった? いいわね?」 しつこく黒猫はクローバーへ指をさしてから礼拝堂から駆け出していった。 我に返ると讃美歌は終わっていた。 それどころか多数の視線を背中に感じた。 そっとクローバーは祭壇へ振り返る。参列者たちがクローバーを見ていた。牧師は聖書を手にして困惑した顔を向けていた。 さすがに騒ぎすぎたか。 できれば──もう少しここの空気の中に身を浸していたかったのにな。 クローバーはあきらめて席を立つ。 そして牧師へ会釈をして、礼拝堂をあとにした。 (続きは、本編で)