abstract

長編サスペンス。
40男の英雄と8歳の少女。そして世界に迫るヴィーナス効果──金星のような灼熱地獄になる暴走温室効果の危機。少しずつ壊れ始める世界の中で英雄は少女へ手を差し出す。「ウチの子にならないかい?」。英雄をとりまく世界は刻々と変り、少女は──彼と出会う。守りたい者、守りたいこと──世界と家族の物語。

about

【RWMシリーズ関連性】
『油田開発再燃問題』(『オトメな彼のオイル事件』でツルギたちが対応)から1年後、『それが、カミサマの付き人。』の翌年の物語である。こうして──『粉雪ダウンバースト』へと続いていく(『MJO事件』『死のプロブ』『暴走温室効果の危機問題』)。
【原稿用紙換算枚数】405枚
【読了目安時間】5時間
2018/2/2 配信開始

contents

第1話 断じて衝動発言ではない
第2話 クイニーアマン事件
第3話 バンドワゴン効果
第4話 ガール・ミーツ・ボーイ
第5話 ほかの誰にもできないこと

試し読み

◇◆試し読み◆◇

      1

 知ってた。
 おかあさんが、あたしを嫌っていたこと。
 嫌うどころか、憎まれてた。
 こんな子、いなければいいのに。
 いつもそんな目であたしを見てたから。
 でも──。
 あたしは違った。
 おかあさんが好きだった。大好きだった。
 理由なんていらない。理屈なんてない。
 ただ、おかあさんがいる、それだけでむねがいっぱいになった。
 好きになってくれなくてもいい。どんなに嫌いでもいいから、ののしってもなぐってもいいから、だから、そばにいてほしかった。
 出かけたままもどらないおかあさん。
 食べるものがなくなって、すっごくおなかがすいて。外に出れば誰かが助けてくれる、なにかをくれるって知ってた。
 だけど、そのすきにおかあさんが帰ってきたら?
 会えなかったら?
 ──いやだ……いやだよ。
 そんなの絶対にいやだよ。
 だから、外に出なかった。
 出ないで家でずっとまってた。
 ずっとずっと、まってた。
 そして、あの事件がおきた。
 やっと帰ってきたおかあさん。
 そのおかあさんがみんなに責められて。こぶしをふるわせて。──おかあさんはナイフを手にとった。
 あたしを、刺そうとした。
 びっくりした。
 嫌われてるとは知ってた。憎まれてるともわかってた。
 でも。
 殺したいほど嫌われているとは思ってなかったから。
 それでも……すぐに思った。
 いいよ。
 おかあさんなら、いいよ。
 あたし、死んでも、いいよ。
 なのに──。
 おかあさんは泣きさけぶ。
『私が何をしたっていうのよおっ』
 さけびながら──おかあさんは自分の首をかき切った。
 おかあさん、おかあさん、おかあさん──。
 いやだよ、いかないでよ。
 ひとりにしないでよ。
 そばにいてよ。
 なだめる大人の手をふりはらって、あたしはさけんだ。
『こんな街、なくなっちゃえっ』
 ──だって、本当になくなるなんて思わなかったから。
 思って、なかった、から。
 ──あたしの名前は、ハナ。
 会長がくれた名前。
 今は八歳。
 街をまるごとこわすほど、植物をあやつる力が、ある。


      2

「ウチの子にならないかい?」
 我ながら驚くほど無邪気な声が出た。妻のディーバと八歳の少女ハナが目を見張る。そこでようやく失言に近い発言だったとナユタは気づく。
 ディーバの金髪シニョンが逆立っていくようでナユタは慌てて両手を突き出す。
「勢いで言ったわけじゃない。衝動発言では断じてない」
「だったら」
「君の了承を得ずに口走ったのは申し訳なく思う。けど、ずっと思っていたんだ。半年前、ハナに会ってからもう俺は」
 俺は、とナユタは顔をくしゃくしゃにしてハナをがっしりと抱きしめた。
「なにすんのっ」
 とハナは叫ぶ。
「だってハナがあんまり愛らしいから身体が勝手に動いちゃうんだよ」
「冗談じゃないよっ。セクハラだよ。ジドウギャクタイだよ。ナユタのヒゲがちくちくする。痛いよっ」
 そう言われたらなおさら愛しさがこみ上げる。ナユタは我慢できずにハナへ頬ずりをする。ああ、なんて柔らかい肌。なんて小さい顔。細いボブヘアの茶髪の一本一本すら愛しくてたまらない。
「痛いってばっ。もういやだっ。助けて、ディーバ」
 腕の中で身悶えるハナがこれまた可愛い。その小さい手足が動くことが奇跡のようだ。いつまでも触れていたくてナユタはハナを抱きしめ続ける。ナユタのひとつでしばった黒髪が右へ左へふさふさと揺れる。
 ベシリと頭を叩かれた。ディーバだ。
「いい加減にしなさいよ。『たとえ手の甲であってもほかの女性には触れないし、もちろんキスもしない』と婚姻届けにサインをするとき誓ってくれたのは誰?」
「ハナは女性じゃないよ。女の子だ」
「ナユタ」
 しぶしぶとナユタはハナから離れる。すかさずハナはディーバのうしろへ走って逃げて、ディーバの黒い胸当てつきギャルソンエプロンの裾をつかんだ。  だって、とナユタは胸で言い訳をする。
 ディーバと結婚できただけでも幸せなのに、そこにハナまで現れるだなんて。夢なら覚めないで欲しい。だから現実のものにしたい。そう思って口にした。どこがいけない?
 そもそも、とナユタの胸は熱くなる。
 ディーバがプロポーズを受けてくれるまで何年かかったことか。
 ──あなたのことは大好きよ。このままずっと一緒にいたいと思っているわ。けれど『結婚』となると話は別だわ。ほかの誰でもなく『あなた』の配偶者になる、それが何を意味するのか、あなただってわかっているでしょう?
 ぐうの音も出ないとはこのことか。ナユタは唇を噛みしめて、だから時間をちょうだい、というディーバへおとなしくうなずいた。
 いまかいまかと待ち続けた。いつになっても返事はもらえず、もういっそ結婚なんてかたちにこだわることはないか、とあきらめかけたころだ。「待たせてごめんなさい」とディーバは微笑んだ。「あなたのプロポーズを受けるわ」と続けた。
 何が決め手になったのか。わからない。それでもディーバの力強い紫色の瞳を見て、本当に、と思う。彼女は決意したのだ。決意して、くれたのだ。一生俺といる。何があってもどこへ行ってもずっと俺と人生をともにする。彼女の瞳を見てあらためて思い知った。それがどれだけの覚悟を必要とする行為か。生涯父を慕って、そのまま逝った母ですら決断できなかった行為だ。そして未婚のまま俺を産んだ。それほどのことなのに。
 俺はそれを──彼女へ一方的に押しつけ一方的に決断させたのだ。自分の身勝手さを思い知らされた。ナユタはディーバを力の限りに抱きしめる。ひたすら、ありがとう、と繰り返し、彼女を三日三晩離さなかった。
 そしてハナ。
 半年前に管理営業部長の碓氷《うすい》から「ディーバに預かってもらってくれ」とここへやって来た少女だ。
 その愛らしさにナユタはひと目でとりこになった。
 ディーバから「まさか、ハナに恋しちゃったわけではないわよね」と凄まれたけれど、「それこそ、まさか。俺に幼女趣味はない」と断言し、無表情でナユタを睨み続けるハナを構わず抱きしめ頬ずりをしてきた。
 子どもとはこんなに愛らしい生き物だったのか。胸がいっぱいになる。ハナに触れているとそれだけで気持ちの奥が柔らかくなりいてもたってもいられなくなった。「あなたがこんなに子ども好きだなんて知らなかったわ」とディーバは肩をすくめたものの、そのディーバも心の底からハナを大切に思っていることは眼差しでわかった。
 少なくとも俺を見る目とはまったく違う。
 これが慈愛というものか。
 けれど、とナユタはハナの首元を見る。ペンダントトップのついたチョーカー。彼女はいつもそれを身につけていた。本社でハナを管理するためだ。そうしなければ自力で生きられない。それほどの力がハナにはある。
 だからこそハナはウチにいるわけだが。碓氷によると、ハナの両親は他界していた。親族もいない。天涯孤独の身だ。
 かくしてナユタは常々思っていたわけであった。
 ハナがウチの子であったならどれほどいいか。
 ウチの子でなければ、ウチの子になればいいじゃないか。
 なんでダメなんだ?
 あらためて思いを強くしてナユタはハナへ笑顔を向けた。
 そこをハナがディーバの背中から顔を出す。「っていうか」とナユタとディーバの顔を交互に見る。
「二人は夫婦だったの?」
「ハナ。何カ月ここにいるんだい。俺たちをなんだと思っていたんだい?」
「……恋人?」
 ああ、とナユタは感嘆の声をもらす。両手を広げてふらふらと再びハナへ抱きつこうとした。ハナは慌ててディーバの背中をつかむ。
「そんなに俺たちは幸せに見えたかい? 嬉しくて涙が出そうだ」
 ナユタは両手を広げたまま、ディーバごとハナを抱きしめようとした。それをディーバが右手で押し返す。
「いい加減にして。こんなときによく能天気なことを言えるわね」
「能天気? 心外だ。俺はいつだって君たちことが大好きでたまらないって話をしていて──」
「アラームが鳴っていたでしょう。警戒度2の音。それが気にならないの?」
「ウチはいつだって非常時だよ。その中でいかに幸せを見いだせるか。人間らしさを失わずに生きる秘訣だよ」
「人間らしさを保つ前に、人類が滅びるかもしれないわ」
「またかい?」
「たとえ話ではなくて」  うんうん、と笑顔でうなずくナユタにディーバは「ああもうっ」と声を荒げた。
「ナユタ、現実逃避もいい加減にして。ちゃんとモニターを見て」
「見た」
「──ナユタ」
「その上でハナに告げた。『ウチの子にならないかい?』って。ディーバ、繰り返し誓うよ。けして衝動発言じゃない」
 ナユタの背中越しにある大型モニター。
 そこには黒地に赤い文字ででかでかと警告文書が映っていた。
『MJO《エム・ジェー・オー》急激発達化』
 MJOとは何か。もちろんナユタは知っている。放置できる問題ではないともわかっている。このままでは、あの気象現象が事件化するのも時間の問題だろう。
 そう思っている矢先に違うアラームが鳴る。大型モニターへ警告文が表示する。
『MJO事件化』
「もうかい? 早いね」
 さらにアラームが鳴る。これまた大型モニターへあらたな表示がある。
『グローバルG《ガバメント》から緊急依頼』
「これまた早いね。事件化するって会長から聞かされていたのか?」
 で? と眉をひそめて大型モニターを見る。
 大型モニターに表示された依頼文。
『MJO事件をなんとかしろ』
「──相変わらずというかなんというか。丸投げで無茶振りだ」
 そこへさらに左耳へ装着した超軽量モバイルフォン、通称イヤーモバイルへコールがある。碓氷からだ。
『大至急、本社へ来い。用件は言わなくてもわかるな』
 彼女は一方的にそう告げるとコールを切った。ナユタはゆるゆると首を横に振る。
「これはアレかな? 俺を追い詰めるキャンペーンか何かかい? 俺は万能じゃない。なんど言えばわかってもらえるんだろうか」
「それは無理よ」
「ディーバまで」
「だって、いまだに私ですらあなたを見ると安心するもの」
 ディーバ、と言葉に詰まる。こらえきれずにナユタはハナごとディーバを抱きしめた。ああ……なんて柔らかくていい匂いで温かくて素敵な感覚なんだ。俺の腕の中に二人も女性がいる。それも愛する妻とそれから大好きな少女だ。なんという幸せだ。
 感慨にふけるナユタの足を「だから苦しいってばっ」とハナが蹴り飛ばした。編み上げブーツの上からも激痛が走る。
「お仕事なんでしょ? さっさと行けば」
 嘆かわしげな顔をハナへ向けようとしてナユタはとめた。
 ハナの視線が揺れていた。険しい顔つきをしながら、グレーブルーの瞳の奥が不安げに震えている。『ウチの子にならないかい』、すなわち養女、家族、その単語が冗談ではないと、いや、たとえ笑い話であってもハナの気持ちをとらえた証《あかし》だ。
 ナユタはかがんでハナに視線を合わせる。そしてその髪をそっとなでた。
「すぐに戻るよ。ディーバと待っていてくれ」
 力強く笑みを作ってみせる。ハナも素直に小さくうなずいた。
 本当にすぐに──戻れるといいんだが。
 その思いは胸に閉じる。
 大人のマナーだ。


      3

『だから、そっちじゃない』
 本社の格納庫へ小型ジェット機を駐機させ、いつもどおりに修繕部へ向かおうとしたところで碓氷からイヤーモバイルにコールがあった。
『ちゃんとメールを送っただろう。たっぷり移動時間があったんだ。メールくらいは目をとおせ』
「フォックスからのよくわからないデータが大量に送られてきていたからね。情報処理は苦手だと言っているだろう?」
 技術開発部の部長フォックス。世界で一番イカれた科学者とRWMだけでなく本当に諸政府から認識されている男だ。しかも碓氷の恋人だった。人の嗜好は様々だと勉強になる。
『フォックスのはどうでもいいが、わたしのメールくらいは確認しろ。もしディーバやハナに関するメールだったらどうするんだ』
「それはカンでわかるからすぐに読む」
『お前のボスと同じようなことを言うなや』
「それで俺はどこへ行けばいいんだい?」
『お前ー、まったくメールを読む気がないと。ああもういい。時間もない。経営監査室へ来い……って走るなっ』
 小走りになりかけたナユタは「は?」と慌てて歩調を緩めた。
「──何が起きているんだ?」
『起きているんじゃない。お前が起こしているんだ』
「なんのことだかさっぱりわからない」
『いいから、歩いて、ここまで来い。わかったな』
 吐き捨てるように言うと碓氷はコールを切った。
 いったいなんなんだ。首を振りつつナユタは経営監査室へ向かった。碓氷の言葉の意味はすぐにわかった。格納庫のウエイティングルームを抜けた直後だ。「あ」と声がした。「ん?」とナユタは振り返る。男女の社員がナユタを見て頬を染めていた。反射的に笑みを浮かべて片手を上げる。うおー、とか、やったー、とか声が上がる。
 なぜ喜ぶ? 問い詰めたいところであったものの今は経営監査室だ。彼らに背を向け本社の中央エリアにある社員カフェへ出ると、ここでもナユタを見た社員が「あ」と顔を上げた。これまた反射的に笑みを返した。またもや歓声が上がる。
 ……俺は何をした? さすがに戸惑うものの、確かにこの状況で経営監査室まで駆け抜けるわけにはいかないとはわかった。ナユタは背筋を伸ばすとゆったりとした足取りで、ただし歩幅は広げて運輸管理部のその先にある本社の中でも最高セキュリティエリアである経営監査室まで進む。そこでセキュリティパネルに手をかざす。
 社員でも生体認証を必要とする経営監査室。数年前から各部署の部長の詰め所のようになっている。一般社員には聞かせられないような事柄が内部では起きている。
 ナユタも入るのは久々だ。縁がなかったのではなく、いつもここでは厄介事を持ちかけられるので、極力足を向けないよう配慮していたからである。  今回もやはり厄介事であった。
 厄介事とカフェで察した以上の事態が待っていた。


(続きは、本編で)

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