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『時空モノガタリ』2012年10月
カテゴリエリア・北海道、コンテスト。最終選考作品。

本文(全文)


 雪かき奉行

 しんしんと雪が降り積もった朝は、ザクッザクッという音が近所一帯に響き渡る。サエキの爺さんがスコップで雪かきをする音だ。
 サエキの爺さんの雪かきには無駄がない。
 玄関フード前から始まって道路の歩道一帯まで、機械で削いだようにスコップで雪をかいていく。段差なく、隙間なく、アスファルトが見えるか見えないか。そんなすれすれまで雪をかく。

「サエキさん。今朝も早いねえ。腰痛めないでねえ」近所の主婦が声をかけてもサエキの爺さんはフンと鼻を鳴らすだけだ。
「いいよな。年寄りは時間があってさ。おれなんて、帰ったら固くて重くなった雪の雪かきをさせられるんだぜ?」そんな小学生の冷やかしも、もちろんサエキの爺さんは耳を貸さない。
 タイミング悪く除雪車がやって来て、除雪したばかりの出入り口に雪の溝を作っていっても、サエキの爺さんはへこたれない。
 サエキの爺さんは背筋を伸ばす。スコップを止めるのは一瞬だ。眼光鋭く目測すると、次の瞬間には雪かきを開始だ。さながらプロのハンターがごとくだ。
 数種のスコップを駆使して、サエキの爺さんは完璧なまでに雪かきをする。スケートリンクになるかならないか。雪を削りすぎては足元が悪いのだ。

 他人に我が家の雪かきはさせない。それがサエキの爺さんの流儀だ。
 どうにも家人は雑なタチらしく、雪の掘り出しかたひとつもデコボコだ。どうしてスコップを路面と水平にできないのか。どうして雪をかいだ後の溝の処理をしないのか。どうして長靴の足跡を残して置けるのか。どうして午前のうちに雪かきを済ませないのか。午後からも雪は降るといっても午前の雪とは別ものだ。その認識がどうしてできないのか。
 サエキの爺さんには不満だらけだ。

 やがて近所からも雪かきを始める音が聞こえ出すころだ。
「お爺ちゃん。時間ですよー」玄関口からお嫁さんが声をかける。
 サエキの爺さんは「うむ」とうなずく。
 スコップを玄関脇に収納し、衣類についた雪を両手で払う。それからゆっくりと玄関先へと足を向ける。
 背後ではライトバンの停まる音がする。老人介護センターのデイケアサービスの車だ。
「おはようございまーす」ヘルパーさんの元気な声が響く。
「いつ見てもサエキさんちは除雪がいき届いていてすごいですねえ。助かりますー」
 そして家から出て来るのはサエキの婆さんだ。
 サエキの婆さんは左手に杖をついて、おぼつかない足取りだ。サエキの爺さんが婆さんの前にすっと出る。怒ったような顔つきで婆さんの右手を取ると婆さんをライトバンへと導いていく。 「たくさん雪が降ったのねえ。まだ降っているわねえ。くるくる、くるくる、降っているわねえ」サエキの婆さんは歌い出す。サエキの婆さんは認知症を患っていた。
 サエキの爺さんは無言のまま婆さんの右手をヘルパーさんに託した。サエキの婆さんが無邪気な顔を爺さんに向ける。
「どなたさまかは知りませんが、おありがとうございました」

 ライトバンが走り去った後、サエキの爺さんはタイヤの後を雪かきする。――帰宅したサエキの婆さんが転ばないように。出会って60年。一緒に蝦夷の地を選んでくれたひと。これからどれだけ一緒にいられるかわからない、あの人が無事であるように。
 サエキの爺さんは黙々と、雪かきを続ける。

(了)

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