雪かき奉行
しんしんと雪が降り積もった朝は、ザクッザクッとい
う音が近所一帯に響き渡る。サエキの爺さんがスコップ
で雪かきをする音だ。
サエキの爺さんの雪かきには無駄がない。
玄関フード前から始まって道路の歩道一帯まで、機械
で削いだようにスコップで雪をかいていく。段差なく、
隙間なく、アスファルトが見えるか見えないか。そんな
すれすれまで雪をかく。
「サエキさん。今朝も早いねえ。腰痛めないでねえ」近
所の主婦が声をかけてもサエキの爺さんはフンと鼻を鳴
らすだけだ。
「いいよな。年寄りは時間があってさ。おれなんて、帰
ったら固くて重くなった雪の雪かきをさせられるんだぜ?
」そんな小学生の冷やかしも、もちろんサエキの爺さん
は耳を貸さない。
タイミング悪く除雪車がやって来て、除雪したばかり
の出入り口に雪の溝を作っていっても、サエキの爺さん
はへこたれない。
サエキの爺さんは背筋を伸ばす。スコップを止めるの
は一瞬だ。眼光鋭く目測すると、次の瞬間には雪かきを
開始だ。さながらプロのハンターがごとくだ。
数種のスコップを駆使して、サエキの爺さんは完璧な
までに雪かきをする。スケートリンクになるかならない
か。雪を削りすぎては足元が悪いのだ。
他人に我が家の雪かきはさせない。それがサエキの爺
さんの流儀だ。
どうにも家人は雑なタチらしく、雪の掘り出しかたひ
とつもデコボコだ。どうしてスコップを路面と水平にで
きないのか。どうして雪をかいだ後の溝の処理をしない
のか。どうして長靴の足跡を残して置けるのか。どうし
て午前のうちに雪かきを済ませないのか。午後からも雪
は降るといっても午前の雪とは別ものだ。その認識がど
うしてできないのか。
サエキの爺さんには不満だらけだ。
やがて近所からも雪かきを始める音が聞こえ出すころ
だ。
「お爺ちゃん。時間ですよー」玄関口からお嫁さんが声
をかける。
サエキの爺さんは「うむ」とうなずく。
スコップを玄関脇に収納し、衣類についた雪を両手で
払う。それからゆっくりと玄関先へと足を向ける。
背後ではライトバンの停まる音がする。老人介護セン
ターのデイケアサービスの車だ。
「おはようございまーす」ヘルパーさんの元気な声が響
く。
「いつ見てもサエキさんちは除雪がいき届いていてすご
いですねえ。助かりますー」
そして家から出て来るのはサエキの婆さんだ。
サエキの婆さんは左手に杖をついて、おぼつかない足
取りだ。サエキの爺さんが婆さんの前にすっと出る。怒
ったような顔つきで婆さんの右手を取ると婆さんをライ
トバンへと導いていく。
「たくさん雪が降ったのねえ。まだ降っているわねえ。
くるくる、くるくる、降っているわねえ」サエキの婆さ
んは歌い出す。サエキの婆さんは認知症を患っていた。
サエキの爺さんは無言のまま婆さんの右手をヘルパー
さんに託した。サエキの婆さんが無邪気な顔を爺さんに
向ける。
「どなたさまかは知りませんが、おありがとうございま
した」
ライトバンが走り去った後、サエキの爺さんはタイヤ
の後を雪かきする。――帰宅したサエキの婆さんが転ば
ないように。出会って60年。一緒に蝦夷の地を選んで
くれたひと。これからどれだけ一緒にいられるかわから
ない、あの人が無事であるように。
サエキの爺さんは黙々と、雪かきを続ける。
(了)