まさゆめ
「明けましておめでとう」「今年もよろしくおねがいし
まーす」「おめでとさん」「爺ちゃん、お年玉―」「お
めでとうございまーす」
元旦も昼を過ぎると親族一同がぞくぞくとやってきた。
従兄弟に叔父に姪に甥に、さらにはよくわからない血縁
者たちが座布団に腰を下ろす。
離れの襖をはずした大広間だ。一人ではとても持ち上
がらないくらい重い机を三つ四つ並べた。座布団は足り
るか、グラスの数は足りるか、皿の替えは問題ないか、
母は座る暇もないくらい朝から動き回っていた。
やがて仕出し料理屋の軽トラックが表の砂利道につい
て俺も運搬の手伝いをさせられる。せっかくの帰省なの
にまったく容赦がない。
お重に入った料理に茶碗蒸し、吸い物、椀物、和菓子
の羽二重もちと毎年のことながら机に並びきらない量だ。
お重の脇には持ち返り用のプラスチックトレーにビニー
ル風呂敷を添える。乾杯する前からお重の中身を取り出
して、土産の用意をする叔母もいた。
「で? どうなの? 大学は。面白い? 彼女できた?」
未成年と知りつつ隣の従兄がビールを差し出す。
まさか告白と同時に振られたとはいえずに「ああ、ま
あね」と俺は適当に相槌を打つ。酔っ払った従兄のつい
だビールは半分以上が泡で飲み干すのに苦労をする。
「オレね。結婚するわ」
「うそ。マジで? 早くね?」
「長男だしな。お前と違って大学出てない社会人はそん
なもんさ」
そういうものなのか。俺は本気にしてお重の白飯に箸
をつけた。異様に硬い白飯だった。「むむむ」とうなっ
て力を加えると、箸はバキリと音を立てて折れた。
「うぎゃあ、かっこわりい。どんだけだー」従兄が腹を
抱えて笑う。
飛び出したいくらい恥ずかしかったが俺も笑ってごま
かした。「何してんの。大丈夫?」と伯母が新しい割り
箸を手渡す。「すみません」と俺は頭を下げる。
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食事の後は百人一首だ。大人も子供も入り混じって坊
主めくりに熱中する。万葉かるた取りでないところがミ
ソだ。
「うわ。また坊主だ」「あたし、姫」「やられた」
そこかしこで笑い声が上がる。机を並べる前の掃除は
大変だが、こうしてみんなで騒ぐのは悪くない。婆ちゃ
んも介護椅子に座っていつもは見せない笑顔をしていた。
そうだよ。婆ちゃんだよ。あれ? と俺はようやく違
和感を抱く。
どうして婆ちゃんがいるんだ? 婆ちゃんは六年前に
死んだ。俺は婆ちゃんに駆け寄る。婆ちゃんは「おうお
う」と両手を俺に差し出す。胸が熱くなる。婆ちゃん。
俺、ずっと会いたかったよ。たまらず俺は婆ちゃんを抱
きしめる。昔は年寄り臭くて嫌だったのに、そんな匂い
すら愛しい。
葬式では泣けなかった。口をへの字に曲げることしか
できなかった。頭の中がぼんやりして婆ちゃんが死んだ
ことが理解できなかった。
なんだ。そうか。俺はずっと婆ちゃんに会いたかった
のか。婆ちゃんの手を触りたかったのか。五年以上たっ
てから気づくなんて、俺はなんて馬鹿なんだろう。遠く
で笑い声がする。姪がお年玉をもらってはしゃいでいる。
俺は婆ちゃんの手を握る。しわだらけで冷たい手だった。
雨音で目を覚ました。時計の音が家中に響いている。
「いてて」俺は頭に手をやり身体を起こした。飲みつぶ
れたらしい。卓袱台の上には缶ビールとピーナッツが転
がっていた。
「夢か」ぽそりとつぶやいた。
この家から笑い声が消えて何年になるか。妻の三周忌
をすぎたころにはもう誰も寄りつかなくなってしまった。
定年を過ぎてすることもなく、俺はひとり季節感のない
暮らしをしている。
顔を上げて仏壇を見る。夢で見た婆ちゃんの位牌が黒
ずんでいた。
「まだ水も替えてなかったな」重い腰を上げたときだ。
玄関の引き戸を開ける音がした。こんな田舎ではどこ
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も家のカギなどかけない。隣の爺さんか、と思って足を
向けて俺は立ち止まった。
娘が立っていた。
妻の葬式のあと、一度も帰省しなかった一人娘だ。
畳んだ傘から水滴をたらして黙って俺を見ている。
娘の後ろからもう一人、顔を出す。一瞬、婆ちゃんじ
ゃないかと思ったほど、婆ちゃんそっくりの顔をした女
の子だった。
「お爺ちゃん、明けましておめでとうございます」黙っ
たままの母親の代わりに少女は声を出す。
――これも夢だろうか。
視界がぼやけた。俺は慌てて腕で目をぬぐう。笑みが
こぼれた。
いいじゃないか、夢でも。
今年は――いい正月だ。
(了)